2011年4月23日土曜日

出来ることをするしかない

仙台と仙台近郊についていえばガスもほとんどの地域で使えるようになった。水道も慢性的な断水状態からはやっと脱した。やっとこれから始まるという感じ。避難所ではどこもかも風邪や感染症が蔓延している。これで少しづつではあるが減ってゆくのだろう。

テレビを見てて気になったことがある。被災者の方々から出て来る「元気をもらった」という言葉。なんだろうか。違和感がぬぐえないのだ。逆に(避難所にいた)十代半ばの中高生くらいの女の子の口から出た「元気にしていただきました」という言葉になにかしらホッとしたりしている自分である。

避難所を次々に慰問や炊き出しに訪れる有名人や芸能人の人々。実にありがたいことだと思う。これに対してやれ「売名行為」だとか批判する向きもあるがとんでもないこと。

避難所で被災している人の口から「別に来てもらってもなぁ」みたいなネガティヴな感想が漏れているのを自分も耳にすることはあった。それはそれでその人が得た実感というものだろう。それを否定するつもりはまったくない。しかし、避難所を訪れた芸能人有名人を間近に見て、握手したり声を掛けてもらって喜んでいる避難所の人たちに湧き上がる歓声や笑顔というものもまた大きな事実であって、それから目をそむけたり否定することは誰も絶対にできないだろう。

(大震災のあった3.11から)まだ一週間も経たないころのことだった。崩れ落ちたブロック塀をいつまでもそのままにしている家があったので片付けを申し出に行ったことがあった。チャイムを鳴らすと出てきたのはともに70代くらいのご夫婦。最初は不審がられた。「あなたたちはどこか役所のひとたちかい?」みたいなことを言われる。同行していた五十代くらいの男性が「そうじゃないけど、このままにしていると(余震があったときに)危険だし(通行者が)気分がどうしても暗くなるので片付けさせてほしい」といって了解を取り付ける。そんな感じのことはたまにあった。

これも同じころだった。十人以上の人間が自然に集まって、土砂や瓦礫で塞がれてしまっていた近くの道路の片付けや簡易補修をしていたときのことだ。中にやたら手際のよい相当に年配の男性がいた。聞けば、四十年以上もこのような道路舗装に携わっていたという元土建の人。

「(この宮城に)おらみてぇな土方とかがまだいっばい必要なんだ」みたいなことを言っていた。なんというのか実に清清しく力強い言葉。またこの人は昼休みにタバコをふかしながら遠くをじっと見つめて何かを呟いていた。きけば「残念だ…残念だなゃぁ…」としきりに呟いていたという。何が残念なのかそのときはよくわからなかった。ただこの惨状のことを嘆いているのかと思いきやそうではなくて(これはあとで知ったことだが)この六十はゆうに越している方は、自分が復興したこの街を見ることなく人生を終えるのを嘆いて、しきりに「残念だ」と呟いていたというのだ。

つまりこの方の見立てでは街が完全に復興するのには10年や20年では済まないということ。あとからこれを知ったときは自分もずしんときたね。一緒にそばにいた30歳の男も「やべぇ、時間はあると錯覚してたっすオレ」とうなだれていた。


この震災の本当の意味での恐ろしさ復興の大変さというものを日に日に実感しているという人が増えてきている。いわゆる「震災鬱」の人が本格的に数を増している。

そういう今だからこそ必要なのは、被災者に対する直接的な金銭の援助でもあるわけだし、将来に向けてのビジョン・具体的な解決策というものを提示できる行政、政府でもあるわけだが、それと同じくらいに、普段テレビに出てるような有名人、芸能人がこちらに「降りてきてくれること」は大切な役目なのだと感じている。普段はテレビの向こう側の別の世界の人がこちらにやってくることの意義は非常に大きい。彼らの出来ることは彼らにしか出来ない重要な行為、アクションなのである。

だから「実にありがたいことだ」と自分は心の奥底から感謝をしている。

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