2008年9月21日日曜日

ブログジャーナリズム誕生前夜

ブログジャーナリズム誕生前夜


これはまことにもって皮肉な話だとは思うのだが、今、日本からは真の意味でのジャーナリズムというものは消えかけている。死にかけているといってもいいのかもしれない。

自分は今別のところで予言者を名乗る「ジュセリーノ」というブラジル人の嘘を暴く内容のブログをやっているのだが、そういう立場になってみてしみじみとそのことを知らされ、感じさせられるのである。

自分がやっているそのブログは決して「ジャーナリズム」というようなものではない。そのことは予め言っておくが。

しかし、このブログが期で本物のジャーナリストと呼ばれる方々とメールをやりとりしたり、時には直接(電話で)話をしたりするという機会を得ることが出来た。

そのたびに自分が彼らに訴えたのは「現地ブラジルでのジュセリーノについての実情というものを調査すれば、このジュセリーノという予言者の正体なんかすぐにわかる」ということだった。

それからどれだけの時間が経ち、どれだけの人たちにこのことを訴えたのだろうか?

にも関わらず自分のこの訴えというものが実現されたことは一度もないのである。

それどころか、その後になってもテレビや雑誌ではこのジュセリーノのことを本物の予言者であるという立場での扱いだけが広がった。

その結果何が起こったのか?

いうまでもない、「9月13日に名古屋でM8.6の大地震」という心無いデマ騒ぎである。

このデマを生んだもの、それはいろいろとあるだろうが、そのひとつはあきらかに「ジャーナリズムの怠慢」だったと自分は思っている。

そしてこれからもこのようなデマ騒ぎというものは何度となく起きるのであろう。

誰の為に、何の為にかはわからないが。


さて、今さっき自分は「自分のブログはジャーナリズムではない」と言ったが、「ネットの世界」という隔絶された中において、つまり「ブログ」の世界に置いてはやはりジャーナリズムの役割というものも果たしているという側面もあるということは考えている。

これはベタな例えになるが、一種の平行進化のなせる業だと思っていただければと思う。

たとえばオーストラリアには「有袋類」という哺乳類の一種が繁栄している。カンガルー、コアラ、これらは皆「有袋類」の一種なのである。なんだかへんなかんじもするかもしれないが、カンガルーというピョンピョン飛び跳ねて走り回る動物は見た目なんとなくウマであるとかシカの仲間に近い感じがするし、ユーカリの木の上で葉っぱを食ってのっそりと生活しているコアラはカンガルーの仲間というよりも「クマ」であるとかに近い感じがしてしまうが、コアラもカンガルーも実は「有袋類」という同じ祖先を持つ動物が進化して枝分かれした近種の動物なのである。

これと同じことが今ネットの世界にも起きていると思っていただきたいのである。

ブログというものも、さまざまな形に進化し枝分かれして、たとえばあるブログは「公開日記」のようなものになり、またあるものは「音楽配信の情報」に特化し、またあるものは「動画チャンネル」に、という具合にそれぞれがそれぞれの役目を持って進化しているのだ。

そしてあるグループのブログは同様にして「報道」にと特化し、そしてその中のいくつかは「ジャーナリズム」に対応するブログに進化しているのだと。

これらの「ブログ・ジャーナリズム」の可能性についてならば実は自分はいつでも「本家本元のジャーナリズム」にとって代われる可能性はあると思っている。

それだけ本家のジャーナリズムというものがだらしなくなったからだ。

複雑に絡み合った利害関係というものを重視して、本来伝えるべきことを伝えなくなったジャーナリズムなどもうジャーナリズムとは呼ばない。

思い起こせばたった二年前のことだ。ニッポン放送株取得で揺れたあのころ、当時ライブドアのCEOだった堀江貴文は「ブログがジャーナリズムにとって代わることは可能だ」という旨の発言をしてマスコミに袋叩きにされた。

まあ面と向ってケンカを売られたのと同じことであるから、彼らがこの堀江発言に猛反発をしたのは当然である。

しかし、この発言の主意というものについてよく考えてみれば、堀江貴文が示したのは「メディアの将来図」というものであり、そういう意味で彼は間違ってはいなかった。

それどころか、そのたった二年後である今現在になって、自分はこの堀江貴文の発言は正しいのではないかという実感すら抱いている状況である。

というよりも、自分は真実の報道の出来ないジャーナリズムだったら即刻全部死んだほうがマシなのではないか、そのほうが日本のためになるのではないだろうかと、そういうことを考えるに至っているのだ。

雑誌が売れないであるとか、新聞が売れないというような状況は誰が招いたのか。

あるいはテレビの視聴率が軒並みダウンしているのはどうしてなのか。

結局、自分達の怠慢なのだ。そうやってなんの危機感ももたずに安穏として碌を食んでいた結果が自分たちの首を締めるような結果となって帰ってきているだけなのではないだろうか。

果して、そのことを真剣に考えているメディアというものはあるのだろうか。

もし、自分の領域を守ろうとするのであれば、それは新たな「敵」を潰すことではない。

自分達の使命とはなになのかについて改めて考え直すことではないのだろうか。
                                                   2008.09.21

2008年8月14日木曜日

80814 ひとこと~ ジュセリーノの再来日についてはこう考える   

ひとこと




 今回予定されているジュセリーノの来日の目的というものがもし「個人レクチャー」というものなのであればそれは阻止されるべきのものであると私は考えております。
 その理由ですが、ジュセリーノが日本で行おうとしていること ― それは「霊能力商法」にあたるものだからです。ジュセリーノは「予言者」を自称している人間だということを抜かして考えてはいけないでしょう。
 もしマスコミがジュセリーノのことを「予言者」として、あるいは彼の「霊能力」というものについて実在し、好意的に報じるというのであれば、それはあきらかに犯罪行為にも等しい行為となる。 ― 私はそう考えております。
 ブラジルにおいてもっとも大多数を占めているジュセリーノの評判、それはただの「詐欺師」である。そのことを抜かしてジュセリーノのことを報道してはいけない。そう強く主張します。
 以上の理由から今回のジュセリーノの来日というものは阻止されるべきものであるし、でなければ、そういう個人レクチャーの開催の事実が明確になった時点でジュセリーノ本人を日本国内の法律で取り締まるべきであろうとここで声明を出すことにしました。被害者が出てからでは遅いのです。
(2008.08.14)

2008年8月6日水曜日

ムペンバ効果

NHKのテレビ番組「ためしてガッテン!」で取り上げた「ムペンバ効果」について、物理学の専門家早稲田大学大槻教授が「ありえないこと」と番組を放送したNHKに抗議。

大槻教授のブログ
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/72_2893.html

ムペンバ効果について
http://ja.wikipedia.org/wiki/ãƒ

まあこれについては「水に優しい言葉をかけると美しい結晶になる」という「水からのメッセージ」(波動研究社刊)ようなオカルトとは別にしてわけて考えた方がいいと思っている。

一番重要なことは、この現象が何故か本当に起きているいることが何人もの実験者・科学者によって証明されていることだと思う。

つまり「現象」としては起きていることだけは間違いがなさそうなのだ。

ただしこれを物理学的に説明しようというのはそもそもの間違いなのではないかという懸念もされている。

冷凍庫(製氷庫)というのは物理の実験の結果と並べて較べられるような条件とはいわくいいがたいものがあるからだ。

たとえば「冷凍庫」あるいは「製氷庫」というものは「熱」の移動ということでいうのであればいわゆる「閉鎖系」ではない。常に外側からガンガンと零下何度にも下げるための冷気が送りつづけられている状態になっている。

「零下何度に保った閉所に置いておくと」というような条件ではけっしてないからだ。

どうもそこがこのムペンバ効果のキーというかポイントのような気がするのである。

たとえば、零下10度に保つように設定された冷凍庫の中に100度のお湯を入れた容器をいれれば、冷凍庫は突然上がり始めた庫内の温度に対して、それを保とう(下げよう)としてかなり強い冷却化が起きるはずだ。いわゆるオーバードライブがかかるのである。これによって急激に冷凍に向けて、実測よりもかなり速い速度での冷凍化という現象というのはありうるような気がする。

たとえばふつうの水とお湯を同一庫内に並べて置いたとすれば、当然このふたつの容器の間でも対流という熱の循環が起きるわけだから「普通の水」のほうがある一定の時期(同じ熱量になるまで)は冷凍庫内では「損」をする。

思った以上に(ふたつの冷凍までの時間に)差が出ないということはありうることだろう。

いやしかし問題なのはそのことではなくてさ、大槻教授のいう通りでNHKのテレビ番組の方だよな。

少しでも早く氷を作るための方法としてこのムペンバ効果を利用した「お湯をそのまま冷凍庫に入れるむという遣り方」を視聴者に提示したとしたのならばそりゃやっはりイカンでしょう。

なによりも冷凍庫に対していいはずがないし、(教授のいうとおり)エネルギーの無駄使いを推奨していることにもなる。

この場合一番いいのは「(家族に)氷を買いにコンビニに行かせる」あるいは「御近所に助けを借りる」であり、でなければお客さんに「氷を切らして申し訳ございません」と詫びを入れて熱いほうじ茶などを差し上げることではないのか。

昔はそれが当たり前だったんだがな。



テレビのクイズ番組でこの「ムペンバ効果」が出る可能性が高いのでこの際はっきりと覚えておきましょう


ムペンバ効果 ムンベバ効果 ムベバン効果 ムバンペ効果 ペンバム効果 バンペム効果 ムベンパ効果

似てますけど全部不正解にされます。

「ムペンバ」効果が正解です。

アルファペット表記だと MPEMBA effect

人の名前です。

2008年6月26日木曜日

タイヘンです!毎日新聞がヘンタイです

毎日新聞社の日本の悪評バラ撒き行為。コーナーだけではなく社全体で行っていた可能性

http://news.livedoor.com/article/detail/3700459/


 日本の悪評を世界にバラ撒いた毎日新聞社は、その責任を当該コーナーのみに押し付けたいようだ。しかしコーナーだけではなく、社全体として行っていた可能性が高い。その理由は、サイトに設定されたMETAタグのキーワードが説明している。

 METAタグとはサイトごとに設定する、ロボット検索エンジン用のサイトの説明文のようなものだ。
 「私のサイトはこんな情報を扱ってますよ」ということを、このMETAタグに記述する。その中のキーワードの項目に、毎日新聞社はこんな文字を設定していた。

 japanese girls,geisha,waiwai,hentai

 日本語に直すと「日本の女の子、芸者、ワイワイ(当該コーナー)、変態」である。
 最後の「HENTAI」という言葉だが、外国では日本のアダルトゲームやその手のエロ絵のことをそう呼ぶ。つまり毎日新聞社はエロで外国人を釣っていたわけだ。

 このMETAタグというのは普通は社内の会議によって決められるものだ。どのキーワードを設定するかで、集めたい人が決まってくる。当該コーナーからの要望で採用したのか、はたまた勝手にエンジニアが挿入してしまったのか。その真実は分からないが、毎日新聞社は「HENTAI」というキーワードをトップページに掲げていたわけだ。これでは当該コーナーだけは悪いと言われても納得するのは難しい。
 今ではそのキーワードは消されてしまっているが、web魚拓で確認することが可能だ。
 このあたりの真相をハッキリさせておかないと、これからもこの点で毎日新聞はつつかれることになるだろう。もちろん、デジタルマガジンとしてもこのことは忘れない。
 毎日新聞社は謝罪だけではなく、真実を公開してみてはいかがだろうか?


この件に関するニュースはほかにもいろいろとあって頭の中を整理するのがタイヘンなのだが、要するに毎日新聞の英字新聞のコラムのネット版での逸脱した行為というものはどうやら少数の担当者によるものではなく、毎日新聞社がそれを知っていて黙認したものだということまではわかった。

これはまずまちがいないだろう。英字新聞の部署だけでやれることでは決してないからだ。
「知っていて注意もしなければ強権を発動してそれを止めさせなかったというのはすなわち黙認していたということだ。そのことに対しては申し開きはできないだろうと思う。

かくいう自分も自分のブログにメタタグを打ち込むぐらいの細工はしている。目的はもちろん「目につくように」「検索エンジンで上位にくるように」という適正化のための一環である。

それとやはりそのメタタグで打ち込むキーワードそのものが自分の一番訴えたいことだという絞込みというものがあるからそのようなことをするわけで、これに対しては自分としては別に悪いことだともアンフェアなことだともなんとも思っていない。

たとえば、自分はブラジルの予言者「ジュセリーノ」の嘘を暴くブログをやっているのだが、そのブログに打ち込んだメタタグはもちろん「ジュセリーノ」であり「Jucelino 」であり「Jucelino nobrega da luz」である。

それだけではない。ブログのタイトルにも「ジュセリーノ」の名前を入れ、ついには「ジュセリーノ予言の真実」という、自分が訴求したいものに「合的化」したものに代えた。そのほうがさらに上を行く「合目的な適正化」というものだからだ。

さて、そんな自分からするとこの「毎日新聞」の英字版であるとか、あるいは「毎日新聞」という会社のやっていることはあまり賢いとはいえない。

どこか青臭い感じがしてしまうのだ。コソコソとまるで「自分はこういう裏技を使えるんですよ」というような青臭い自慢臭が漂う。

もっといえば「子供のいたずら」にも似た浅はかさというものを感じる。特にこの行為が明るみに出たときの「毎日新聞」の対応というものはいただけなかった。まるでこどもの「だってボクやってないもん!」のセリフとおんなじだ。

さらにいえばこの、その後のゴタゴタというものでの「毎日新聞社」の言い分というものに耳を傾けると、「姑息」な感じというものを受けてしてしまうのだ。

そこで提案である。
ネット版(海外版)というものがもし外国のリーダー(読者)の注目を惹くためにメタタグを入れたというのであればタグなんか入れ込むよりいっそ英字版サイトのタイトルを「Hentai mainichi daily」にしたほうがいい。

堂々と主張ができる「自分等はヘンタイHentaiなのだからこうしてhentaiな記事を海外にむけて発信しているのだ」と。

なんなら(もしこれが毎日新聞本社が知っていて黙認したということならばだが)「毎日新聞」のサイトまるごとを「ヘンタイ毎日新聞」あるいは「毎日ヘンタイ新聞」と変えてはどうだろう。

そうすれば誰も文句は言わない。(糸井重里あたりは文句をいいそうだが)

実際書いていることがそうなんだから。「名は体をあらわす」とはよくいったものである。

これから自分は「毎日新聞(のサイト)」という言葉を使うときには、自動的に頭に「ヘンタイ」という四文字をつけてしまうだろうし、「毎日新聞(のサイト)」と口に出すときには頭の中に浮かぶ「ヘンタイ」という言葉を押し殺してから「毎日新聞」と口に出す。

しかしもし当事者たちが自分のしていることが「悪いこと」だと思っているというのであればだが、悪いことはいわない。謝罪どころのはなしではない。

即刻、新聞社としての会社の方針そのものを根本的に見直すことだと思う。

この新聞社のやっていることは「日本」という国に対してもだが、それと同時に「日本人の読者」に恥をかかせることだからだ。

そんな新聞社なら(ひとりの日本人として言うのだが)いらない。

なくなっちまったほうがマシである。

新聞が嘘を書くようになったらその国は終わりだ。