2006年2月25日土曜日

レッド・ツェッペリンⅠⅤ  チープなオカルト趣味



最近約二十数年ぶりに昔の知人の女性に会った。
向こうはすぐに自分に気がついたようだが自分は彼女に気がつかなかった。

というか自分は二十年前とあまり変わってないらしい。素直に喜んでいいのかどうか悩むところだね。

彼女に貸したっきりになっていたレコードが何枚かあってそれを返したいと言われたのだが今更アナログのレコードを返されても困るし。

その中にレッド・ツェッペリン(ファンの人にはレッド・ゼプリンと言えと怒られそうだが)の4枚目のアルバムがあって訳詞をつけたままらしく(輸入盤だったから)「どうしようか?」と言われたのだが「捨てちゃって下さい」と言っておいたのだが昨日ごそっと送られてきた。ジェネシスとかキング・クリムゾンとかイエスあたりの、いままで謎の失踪を遂げていたアルバムが戻って来た。約15キログラム分。

実を言えば自分はこのレッド・ツェッペリンのアルバムをあまり好きではない。出来不出来で言っているのでなく単純に好き嫌いの問題だ。

昔、自分がラジオの放送作家だったころ、ある音楽番組でレッド・ツェッペリンの特集を組んだときに彼らの有名曲の何曲かの訳をさせられたとき、当時オカルトに嵌っていた番組DJをおちょくるつもりで「天国の階段」ににちょっと変わった日本語訳をつけた。



おねえさん、教えて下さい
この世にあるピカピカ光るものはすべて黄金ですか?
それを集めると天国へ行けますか?
お店が閉まっててても、言葉ひとつで売ってくれるのですか?

おねえさん、教えて下さい
壁に書いてある言葉をそのまま受け取るのは間違いですか?
小鳥のさえずりにさえ幾つもの意味を感じるように
すべての言葉にたくさんの意味を感じなければならないの?


とまあこんな感じに意訳して語りかけ調にしてみたのである。

皮肉にも、これを読んだ当のDJ女史は「今まで読んできたどの訳詞よりもよく出来ている!」と感心してくれたが。

ロバート・プラントが書いたこの歌詞もまた簡単な脚韻を踏んだ一種の四行詩であり、ノストラダムスのそれと同じやり方で訳していったほうが意味はわかりやすい。

まあ、たいした意味はないのだが。

一貫した「意味」のようなものがあるとすればレディ(おねえさん)がすべて輝くのものが黄金になると示すtune(=変化)と、我々が熱心に何度も耳を傾ける音楽(tune)を引っ掛けて、「音楽こそが現代に残された唯一の錬金術である」と言っていることくらいか。

なお、この音楽万物説というべき発想は、アレスタ・クロウリーなどと共に60年代イギリスの若者に支持されていたルイズ・スペンサーの本『Magic Arts in Celtic Britain』に何故かそのまま登場するらしい。きっとロバート・プラントはそこから持ってきたのだろうし、プラントに彼の本を薦めたのはおそらくはジミー・ペイジでないかといわれている。

レッド・ツェッペリンもまた今まだ神格化され聴かれているバンドのひとつではあるが、やはり曲詩ともに純化してゆくのはこのあとの「聖なる館」以降ではないか。自分もレッド・ツェッペリンの最高傑作は「プレゼンス」ではないかと思う。このへんのことをマニアと語りだすと限りがなくなるのだが。

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(初出2002.04.25 『人生の一日』に冒頭部分を追加)

2006年2月18日土曜日

060218 いわゆる「堀江メール」の信憑性

どう考えてもウソくさい。自分も「ホリエモン」のブログを読んだりしているし、以前堀江貴文からの本物のメールを読んだことがあるが、あのメールに書かれている文章はどう考えても堀江貴文のメール文体ではない。99%とは言わないが90%くらいは自信をもっていえる。

それ以前の問題として、仮に堀江が部下に送金の指示をするのならばなにも担当者にあんな危ない内容のメールをする必要はないだろう。

それこそ宮内にこと細かく指示して、担当者には「宮内の指示に従うように」とメールすればいいだけだ。

民主党の人間というのはこんな簡単なことすら判断もつかない阿呆の集団なのだろうかね。

もしその問題のメールを見て「ガセネタ」と思わないならば、そっちの神経の方がどうかしているだろう。(思ったことをそのまま口にしていいかどうかの判断は別にしても、ちゃんと「ガセネタ」と言った小泉首相の方が一般的な感情からいえば正常である。)

永田という議員のことは良くは知らないがあの国会(しかも予算委員会だぞ)での発言を見た限りでは最近の若手のオカルティーとそのままイメージが重なる。「MJ12」とか「竹内文書」とかなんでもそのまま信じてしまいそうだ。

「言論封殺だ!」などと軽軽しく言わないでもらいたい。言論の自由には責任と義務も伴うのである。まずその責任をまっとうせよと言っているだけだ。

そういえばここの前原代表という人間もかなりのオカルティーのようだ。予算委員会の直後に「かなり精度の高い情報だ」と言っていたがそれはどういう意味なのだろう。

本物か贋物かが問われているというのに精度もクソもないのだが。

つまりその時点では自分の目でその本物のメール(と呼ばれているものを)確かめておらず誰か側近の話を真に受けて発言したということか。だとしたらこの前原代表も対した根拠もなく発言していているわけで「ガセネタ」と発言した小泉首相よりも相当程度が低い。

なんにしても民主党は、党を挙げてこのメールを手がかりにして自民党に対して攻撃を仕掛けるようだしそれはそれでいい度胸だと思うし見物だとは思う。間違いでした。すみませんで済む話ではない。永田議員の辞職どころか代表のクビまでふっとぶなこりゃ。

これから先はあくまで自分の想像だけで書くのだが、もしかしたら民主党はまったく別のルートで武部幹事長の二男と堀江がどこかで深くつながっているという情報を得て、武部の二男の所有する銀行口座を議会の決議権かなんかで全部開示閲覧できればそれが明らかになると踏んで、あえてこのような出所不明なメールを持ち出して来て永田議員に質問をぶつけさせたのかもしれない。まっあくまでもこれは自分の推測だが。

推測だけならなに書いても自由でしょ。

2006年2月10日金曜日

ピーター・ゲイブリエルが変えた音楽世界とは 1


それでそのジェネシスを脱退したピーター・ゲイブリエル(以下PG)が最初から順調というわけではなかったようだ。

いまのところ唯一ともいうべき評伝からもカットされていることなのだが、当時契約のあったカリスマレーベルとの確執からレコード何枚分ものデモテープが闇に葬り去られ、契約履行のためだけとしか思えないギクシャクとした内容のファーストアルバムがリリースされたのは77年の8月である。

このアルバム、通して聴くとA面の一曲一曲のセンスの良さとB面のだらしなさがまるで別人のものじゃないかと疑いたくなるくらい離反している。

なんでも、カリスマ・レコードが用意したプロデューサー、ボブ・エズリン(このあとピンクフロイドの『ザ・ウォール』を手がけている)との確執が空中分解してこのような出来になったといわれているが。

さて、個人的なことになるが、自分がPGを真剣に聞きだしたのはこのアルバムからであった。

当時親しかった女の子がジェネシスの熱狂的なファンだったので、ジェネシスはだいぶ前から聞いては(聞かされて)いたのだが、正直、たまーに良い曲はあるのだが全体的にダラダラとした長い曲ばかり続き、それもELP信者(!)の耳にはどこか生温い感じがするものばかりだったのでジェネシス=PGに対してさほど興味はなかったのだが。

が、このアルバムのA-2「ソウルスベリー・ヒルズ」A-3「モダン・ラブ」をはじめて聞いたときは(たぶんNHKFMの渋谷陽一の番組だと思うのだが)「嘘だろ」といいたくなるくらいだった。

それくらい今までのPG=ジェネシスの音楽とは違うものだっだ。

自分がジェネシスに感じていた疑問というか不満を吹っ飛ばすに充分すぎるくらいのインパクトであった。

トム・クルーズの映画「バニラ・スカイ」でも使われていたが、「ソウルスベリー・ヒルズ」の持つリズムの軽快さ、メロディーの力強さ、寓意性に富んだ言葉はイギリスから遠く離れた日本に住む18才の少年にも確実に伝わったのである。

今では信じられないことだが、当時の洋楽ファンはミュージシャンが動く映像なんて滅多やたらに見れるものではなく、それこそNHKテレビでたまにやる「ヤング・ミュージック・ショー」(なんちゅーネーミングセンス!)で見れるくらいで、しかも当時の仙台なんかでプログレ関係の音の出る動く映像なんてめったやたらに見れたものではなかったのだが、ときどきヤマハやサンリツ(!)で行なわれたフィルム上映会には飛びつくように通っていたものである。

どっちだったかは忘れたが(上映後、下のスタジオにハウンドドッグの大友康平氏がいたのでたぶんヤマハホールだ)そのフィルム上映会でPGのプロモフィルムを見ることが出来た。

あの世界的な大変革を呼んだといわれている「モダン・ラブ」のプロモフィルムである。

アメフトのプロテクターやフェンシングのマスクを身につけたPGが、動く歩道の上で口パクしているだけの、今では「ぷっ」と吹き出しそうになるような、チープな出来ではあったが、当時としてはかなり完成度の高い「一曲のためだけのプロモ・フィルム」で、PGのシアトリカルな演技力もあり、自分はそのちっぽけなスクリーンな映し出された映像に釘付けになってしまったのである。

しかし場内の反応はイマイチであったようだ。いや、詩の内容がわからないと、なんでこんなことしてるのかさっぱりわかんないからなんですけどね。

しかし、このPGの「モダン・ラブ」のプロモフィルムに釘付けになった男が実はアメリカにもいたのである。

そしてそれが時代を大きく動かすとはまだ誰も知る由もなかったのであるが。
(続く)
http://jp.youtube.com/watch?v=FhVvam48_CI

http://jp.youtube.com/watch?v=HdrpT9ISLC8

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2006年2月9日木曜日

そして三人が残った というか、やっとS・ハケットが抜けたジェネシス

ジェネシスってピーター・ガブリエルがいたころは曲が長かったりでつまらなかったけどガブリエルが抜けてフィル・コリンズがリーダーになってからはポップになって売れた・・・」

なんて言っている人間は、まずまちがいなくただの聞きかじりの知識だけで喋っているだけで、実際にジェネシスなんてまともに聞いたことはないはずだ。

(自分をP・ガブリエルの熱心なリスナーであると知って)目の前でそんなことを口走る人間は多かった。

そんなときは「それでは『トリック・オブ・ザ・テイル』と『静寂の嵐』のつまらなさはどう説明するのかね?」と逆に聞くことにしていた。

するとまあだいだいの人間は口篭ったり、黙ってしまった。

つまり聴いたこともないし知らないのだな。

ジェネシスのメンバー変遷を軽くおさらいすると、74年『眩惑のブロードウェイ』を発表した直後、リーダーでありボーカリストだったピーター・ガブリエルが脱退する。

その後、ジェネシスはライブアルバムと上記二枚のアルバム、計3枚のアルバムを発表して、オリジナル・メンバーのひとりだったスティーブ・ハケットが脱退した。それが78年のことであった。

その直後にリリースされたのが世界的な大ヒットになったB6を含む、この「そして三人が残った」である。

つまり上記のようなことを言う人間は本来ならば「ジェネシスってスティーヴ・ハケットがいたころは曲が長かったりでつまらなかったけど、ハケットが抜けてフィル・コリンズがリーダーになってからはポップになって売れた。」といわなければならないのだ。

時間軸をはっきりさせておくとこうなる。

ジェネシスが「トリック・オブ・ザ・テイル」を発表したのは76年。ガブリエルが初のソロ・アルバムを発表したのは77年。

そしてジェネシスからスティーヴ・ハケットが抜けて「そして三人が残った」がリリースされたのが79年、と常にジェネシスは(抜けたリーダーの)ガブリエルの後を追うような形でポップなスタイルを確立していったのである。決して逆ではない。

とはいえ、ソロになったスティーブ・ハケットがその後低調かというと、実は精力的な音楽活動を続けており、そのほとんとがギターソロのアルバムなのだが、その卓越したテクニックと曲作りの上手さという点で今でも高い評価を保ちつづけている。

思えば、ガブリエル時代のジェネシスの最大の欠点は、その民主主義というよりも悪しき平等主義がもたらした弊害にあった。

端的に言うと、スティーブ・ハケットによるギターのソロパートというものを強調しすぎることであり、メンバーの誰もがそれに歯止めをかけられなかったことなのである。

そういう意味ではピーター・ガブリエルは無能なリーダーだったと言えるかもしれない。

案外アンソニー・フィリップスあたりがリーダーシップを取ってれば抑制のとれた曲を量産するアメリカ市場向けのポップバンドになっていたかもしれない。

実際、『アバカブ』の中からシングル『ノー・リプライ・アット・オール』がアメリカで大ヒットするとほぼ同時にヨーロッパでのジェネシスの人気は停滞し、下降気味になってしまった。


この『そして三人が残った』からのシングル『フォロー・ユー、フォロー・ミー』はジェネシスにとって最後の全ヨーロッパ(だけの)大ヒット曲。

この曲がピーターガブリエルの『ソウルスベリー・ヒル』にインスパイヤされたものであることは当時誰もが感じたはずだ。

実際、フィル・コリンズはその前後「あの曲」という言い回しでガブリエルの曲からの影響で出来た曲であることを暗に認めてしまっていた。

この曲の全ヨーロッパでのヒットとして有名なエピソードとしてひとつだけ挙げる。

フィギアスケートの女王、スイスのデニス・ビールマン(あのビールマン・スピンで名を残したのビールマン)がエキジビジョン(最終日)では、どのヨーロッパの、どの大会でも必ずこの『フォロー・ユー、フォロー・ミー』を使っていたくらいだったのである。

まずこの曲が流れはじめるとどの国でも観客は総立ちで大喝采になっていたものだった。

こういった誤解はその他にもかなり多い。そのほとんどは、今更その誤解を指摘してみてもしかたのないことではあるのだが、たとえば洋楽専門のラジオのディスク・ジョッキーでどう考えても自分と同年代の人間がこういう基本的なミスを犯していたりするのを見聞きすると、なんとなくだが自分の(無力の)せいのような気がしてならないことがあるのだ。

かなり夜郎自大な感覚ではあるが。



FOLLOW YOU FOLLOW ME
Written by Tony Banks/Phil Collins/ Mike Rutherford


Stay with me,
My love I hope you'll always be
Right here by my side if ever I need you
Oh my love

In your arms,
I feel so safe and so secure
Everyday is such a perfect day to spend
Alone with you

I will follow you will you follow me
All the days and nights that we know will be
I will stay with you will you stay with me
Just one single tear in each passing year

With the dark,
Oh I see so very clearly now
All my fears are drifting by me so slowly now
Fading away

I can say
The night is long but you are here
Close at hand, oh I'm better for the smile you give
And while I live

I will follow you will you follow me
All the days and nights that we know will be
I will stay with you will you stay with me
Just one single tear in each passing year there will be

I will follow you will you follow me
All the days and nights that we know will be
I will stay with you will you stay with me
Just one single tear in each passing year...


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2006年2月8日水曜日

ピート・シンフィールド 「stillusion (Still+Illusion」

sideA
1:The Song Of The Sea Goat
2:Under The Sky
3:Will It Be You
4:Wholefood Boogie
5:Still
sideB
1:Envelopes Of Yesterday
2:The Piper
3:A House Of Hopes And Dreams
4:The Night People





(上がオリジナル『Still』下が再発されたCD『stillusion』のジャケット)






レコード・CDの整理をしていて困るのが同じものが何枚も出て来たときだ。ひどいときなど、エマーソン・レイク&パーマーの「展覧会の絵」がアナログ盤が3枚、CDが3枚も出て来て処分に困る以前に自分の記憶力のなさに絶望的になったことがある。

逆に持っていたはずなのに探したら出てこないというのもある。大概の場合、ひとにやっちゃってそのままになっているとか、なんとなく売っぱらっていたのにそのことを忘れていたりしていた場合だ。Windows95以降は手持ちのレコード・CDをリスト化したのでそういう間違いはなくなったが。

ただ困るのが、昔昔の古いレコードがCD化されたとき、ボーナストラックがあったり、逆に削られていたりで収録曲が違っている場合どうするかで、今のところこれといった解決策もないままずっと二重持ちしていたりするものが何枚(十何枚?)もある。



自分がピート・シンフィールドの唯一のソロアルバム「still」を初めて買ったのは高校3年のときの7月9日。それは今でもはっきり覚えている。何故かというと自分の誕生日であるからだ。平日の午後、夕方近くに近所のサンリツというレコード屋でこれを買って家に戻る途中、同級生だった近所の女の子が自宅近くで立って待っていた。手紙を手渡された。「誕生日のプレゼントかなー」と思って礼を言うと、彼女は何か深刻そうな面持ちのままで脱兎のごとく走り去ってしまった。

家についてからその手紙(封筒)を開けると、それはその同級生からのものではなくて、当時交際していた女の子からのもので「これからことを考えてもう会わないことにしましょう」というお別れの手紙だった。

今でもこれを聞くと当時の情けない気持ちが蘇ることがある。

はじめてこのアルバムを聴いたというか聞かされたのはもっと前だった。強制的に聴かされたといっていい。英語の歌詞が珍聞漢文だったこともあるが、日本語の訳もまたわけのわからないもので「で何がすごいの?」と聴かせてくれた相手に尋ねたのだったか。それとも単にそう思っただけで実際には言わなかったのか、そのあたりの記憶もあいまいだ。

幻想的なカバーイラストと柔らかなピンク色が印象的なとても上品なジャケットで、叙情的な歌詞と完成度の高い作品が並び、ただピート・シンフィールドのボーカルの弱さ(はっきり言って下手)を除けば良いアルバムではないかと思う。全編最初からグレック・レイクやリザードみたいにジョン・アンダーソン、あるいは当時付き合いのあったブライアン・フェリー、PFMのフラビオ・プレモリあたりに歌わせればよかったはずなのだが。

それでも、いまこのCDを聴いても、このシンフィールド自身によるボーカルで歌われる歌詞を耳にしただけで、当時心に浮かんだものがよみがえるのだから音楽(曲+詞)のチカラは侮れないだろう。

特にタイトルチューンの「Still」のもつ言葉のマジック(技法的には単純なものだが)
高校あたりの教科書に採用しても良いんじゃないのかと思うくらい普遍的で深い。



Still...(Pete Sinfield)

Still I wonder how it is to be a stream,
From a dark well constant flowing,
Winding seawards over ancient mossy wheels
Yet feel no need of knowing?
Still I wonder how it is to be a tree,
Circled servant to the seasons,
Only drink on sky and rake the winter wind
And need no seal of reasons?
Still I wonder why I wonder why I'm here
All my words just the shaft of my flail
As I race o'er this beautiful sphere
Like a dog who his chasing his . . .
Tailors and tinkers, princes and Incas,
Sailors and sinkers, before me and like me . . .
Still I wonder how it is to be a bird,
Singing each dawns sweet effusions;
Flying far away when all the world has stirred
Yet seek no vain conclusions . . . . . .
Still I wonder if I passed some time ago
As a bird, or a stream, or a tree?
To mount up high you first must sink down low
Like the changeable tides of the
Caesars and Pharoahs, prophets and heroes,
Poets and hobos, before me and after me all the
Painters and dancers, mountainside chancers,
Merchants and gamblers, bankers and ramblers,
Winners and losers, angels and boozers,
Beatles and Bolans, raindrops and oceans,
Kings, pawns and deacons, fainthearts and beacons,
Caesars and Pharoahs . . . . . .

後半でらでらと並べ立てられる、対比としてのふたつのものの中に、いきなり「ビートルズとボラン(マーク・ボラン)」が出てきたりして、これはなんかに似ているなと前々から思っていたが、ジョン・レノンが1970年に発表したアルバムの収録曲「GOD」の中でジョンレノンが「信じない」として列挙した、ありとあらゆる心象事象のなかに突然「ジマーマン(ボブ・デュラン)が出てくるのとよく似ている。

ジョン・レノンのこの曲もまた私たちがノーとしなければならないもののなかに「GOD(もちろん神のことだよ)とともにオカルティズム(心霊信仰という意味での)を挙げている。

なるほどなるほど。そうしてみると、当時ロックの世界では当たり前のように臨在していた「神秘主義」をこうして「ノー」であるとはっきり否定する作業というのはむしろ必要なことだったのかもしれない。



今から12~3年前のことだが、目黒本町のビデオ店の店長だったころ、アルバイトのMという男が「ピート・シンフィールドのスティルがCDになったんで買わないか?」といって来た。いや、正確な言い方をすれば「自分も買うのだが一緒に同じ物を買ってくれないか?」と頼まれたのだ。今までいろんな頼まれ事をされてきたが「一緒に同じCDを買ってくれ」と頼まれたのはこれが最初で最後だ。

というわけで買ったCDのタイトルを見ると「stillusion」になっていた。しかも、マンティコアのマークはついていたがオーストリアのvoiceprintという聞いたこともないレーベル。曲目と曲順は

1:Can You Forgive A Fool
2:The Night People
3:Will It Be You
4:Hanging Fire
5:A House Of Hopes And Dreams
6:Wholefood Boogie
7:The Piper
8:Under The Sky
9:Envelopes Of Yesterday
10:The Song Of The Sea Goat
11:Still

つまり単純に言えば1と4の2曲が増え、オリジナルに入っていた9曲の順番をまったく組替えたということになる。けっ、なんちゅー面倒なことしてくれたんだか。したがって今だに(Still)私はこのCDとオリジナルのアルバムが同じ物とは思えずにいる。聞けば数年前やはりオリジナルのStillがそのままの曲順と曲数のまま復刻再発されたという。私がどちらを薦めるかといえばやはりオリジナルの方である。

06.02.08.11:37