2011年4月4日月曜日
テレビなどのマスコミが伝えないもの
東日本大震災のあった日から三日目の3月13日日曜日の出来事を書く。
この日、自分は同じ友人宅に避難していた仕事仲間ふたり、NとMと多賀城駅まで往復をした。
松島の近くに住んでいるというNの知り合いの女性ふたりが、こちらを目指してきているのだが、途中JR多賀城駅あたりで足止めをくっているというので彼女たちを迎えに行くというのだ。
最初は「行ってらっしゃい」と言ってNとMのふたりを送り出すつもりでいた。
するとNから「かまたさんも一緒してくださいよ」と頼み込まれた。
「なんで?」と訊くと、Nは「だってかまたさんあのあたり詳しいじゃない」と言われる。
確かにそうなのだ。少なくとも、オモテである国道45号線沿いだけを行くというのならば、なにも自分がわざわざ同行することもないだろう。しかし国道45号線が途中で分断された状態の今、ウラをどう(歩いて)ゆくとか、どこが安全か安全ではないかとかそういう細かな事情を一番よく知るのは4人の中ではこの自分だ。
というような経緯で、自分もまた自転車で福田町から多賀城までの往復に同行することになったのだ。
その行中、自分が目の当たりにしたものとはここでそのまま書くのもはばかれるような無残なものばかりだった。
国道45号線のJR中野栄駅にたどり着く。
ここからの目指す先は津波に水没した地帯であり、車両通行止めの処置が取られていた。
アスファルト塗装の国道路は見渡す限りどこまでも押し流されてきた土砂や泥、無数のゴミで埋め尽くされている。かろうじてところどころに轍(わだち)が出来ている状態だった。
そこから先は自転車は降りて押して歩いてゆかなければならなかった。
そう、おそらくは皆さんもテレビなどで何度も目にしただろう。あの2メートルの津波に襲われたあたりを我々は通過したのだ。
自分達三人は道路に出来た轍を頼りにして自転車を押して多賀城駅まで向かった。ノロノロと。
自転車を押しながらのろのろと進む我ら一行が途中みかけたものとは、まさに非日常世界と呼ぶにふさわしいものばかりだった。
たとえば、大規模酒販店の前には泥だらけになった焼酎の樽をバンにぎっしりと積み込む男達がいた。
ガラス戸の破られたコンビニから籠いっぱいの食料品や飲み物を持ち出している年老いた女性がいた。
いまこのあたりの津波に襲われ水没したような地域ではどこでも同じような出来事が起きていて、このような光景がごく普通に見られるのだろう。想像に難くなかった。
ここから我々には同行者が増えた。
中野栄駅の向かい側にある薬局の前で自転車を停めて携帯で必死になって話をしていた二人組の男と暫しのあいだ情報のやりとりをしたあとだった。
そのふたりが先を行く自分達に追いつくと向こうから声を掛けてきたのだ。
携帯が繋がらないのはこの場所に問題があるのか、それとも携帯会社そのものの問題なのかというようなことを尋ねてきた。簡単に言えば、同行のNの手にしていた携帯端末を指して「繋がらないのは近くの基地局がダメになったからなの?それともa○だからなの?」と声を掛けてきたのだが。
追いついてきたふたりから詳しい事情を聞いた。ふたりは塩竈市にいる知人の安否を確かめにゆくのだという。先ほどこちら三人の携帯のそれぞれのキャリア見て、五人揃うと全キャリアをカバーできることになるのに気づいたという。なるほど確かに言われるとおりで、五人まとまって移動するメリットは計り知れないものがあることにこっちも気がついた。
新たに同行となったふたりは自分たちが見てきたというものをまるで競うようにして口にしはじめた。
たとえば、まだ半分水没して散乱状態の酒屋から大量のボトル類を運び出していた男たちを、今度は別のグループが取り囲むようにしてなじりはじめる、そしてついにはそのボトルの奪い合いになっていたとか。あるいは、ゲームショップから子供達がソフトやハードを大量に持ち出していたが、やはり数人の大人たちに取り囲まれて足蹴にされて収穫物を奪われ、なすすべもなくただ泣きながら頭を抱えるようにしてじっとうずくまっていたとか…。
このような話を耳にしてなにが悲しいかといえば、それをとがめたりするものが誰ひとりもいないということかもしれない。自分もまたそういう光景を目にしてもただ通り過ぎてきた人間である。
遠くでもうもうと黒煙を上げて炎上するコンビナート基地の方角から時折低い爆発音が響いてくる。
二台のヘリコプターが低空を何度も旋回飛行しているのでとにかくうるさい。
どうしても声が大きくなる。
このあたり国道45線沿いにはゲームセンター、レストランといった大型店舗がいくつも並んでいる。これらが皆二メートルの津波に攫われたわけだからその被害は甚大である。
波に流されてひっくりかえっているおびただしい数の車の間を縫うように進んでゆくと、津波の被害とはまた別の意味で滅茶苦茶にされている建物がいくつもあった。
特に酷いものではウィンドウのガラスが叩き割られ、鉄製の分厚い防火扉がねじ切られていたものもあった。
それはサラ金の営業所だった。
同行のMが大声で「もう向こう側からケンシロウとバイオレンスジャックとメル・ギブソンが揃って歩いてきたとしてもオレ驚かない!」などと叫ぶ。
アホかと思いながら聞き流していたが、途中同行のふたりはにはツボだったらしく、不謹慎なくらいにゲラゲラと大きな声で笑い転げる。
NがMに向かって「いくらなんでもそれは無理! あ、でもメル・ギブソンはアリか」と突っ込みを入れる。
「なんでメル・ギブソンだけアリなの?」
「ケンシロウとバイオレンスジャックはマンガだから絶対無理!」
「マッドマックスだって映画だろ!?」
「マッドマックスはナシでも、メル・ギブソンなら実在人物だからアリ!」
みたいな徒労で無意味な会話というか怒鳴りあいが続く。
しかし、そんな不謹慎な一行でも、特に被害の深刻な多賀城駅前近くのあたりに差し掛かるとそんな気分が吹っ飛んでしまっていた。修羅場というのだろうか、人々がそこかしこで泣き、わめき、怒鳴りあっていた。
屋根瓦の崩れたような古い民家の前では、数人が地面に敷かれたブルーシートを囲むようにして泣いていた。
チラリと覗き込んだMが「犬ですね…」と呟く。切ない光景だった。繋がれたまま押し寄せた津波になすすべもなく命を落としたのだろう。飼い主の気持ちを思うといたたまれなくなるような出来事である。
そんな光景を、いくつもの悲劇というものをまるでパノラマのように目の当たりにして五人は多賀城駅への交差点までやっとたどり着く。ここまでくるのに一時間は有したかもしれない。いつもならばクルマで10分もかからないような距離である。
あたり一面に立ち込めるガソリン臭というものがこの場所の一層の危なさというものを物語っていた。
ところが、そんな危険な場所だというのにくわえタバコで歩いている若い男がいたりするのである。
近くに立っていた銀色の服に固めた消防団員が大声で若い男に注意をする。
しかし、その若い男は「我レ意ニ関セズ」とばかり無視して通り過ぎてゆこうとした。
が、その後ろを猛ダッシュで追っていった中年女性に咥えていたタバコをもぎ取られていた。
非常時でなければありえないような、それこそコントのような光景だった。
「どうしますかこの先曲がります?」途中から同行の男達のひとりが尋ねてきた。
決断を下した。自分が「やっぱり、多賀城の駅前から探さないと…」と、ここからはふたりとは別行動をとることにした。
ふたりは「やっぱりそうしますか…」と名残惜しそうに答えた。
2
(撮影:M2号)
駅へつづく交差点を曲がると、そこはさらなる惨状であった。
まるで折り重なるようにして複雑に何段にも積み上げられた乗用車。
泥だらけのパトカーやタクシーが道路のあちこちに放置されたままだ。
そのエリアを通り過ぎると、今度は道路の両端には無数の疲れ果てた人々が。
毛布に包まり道端に座り込む人たち。
繋がらない携帯に向かって罵声を浴びせて歩き回る若い男女。
抱き合い大声で泣きはらすひとたち。
ぼさぼさの髪で当日起きたことを周りのひとたちに語る人。
それに耳を傾ける人たちであふれかえっている。
どんな表現をつかっても伝えられないような光景がどこまでもどこまでも続いていたのだ。
自分達はそれらの人をかき分けるようにして前に進まなければならなかった。
橋を渡りたどり着いたJR多賀城駅前はさきほど目にしたところに比べれば、比較的震災の大きな被害は見当たらない。しかし、橋の向こう側とはまた違ったまがまがしい雰囲気に満ちていた。
「カラスが多いよね…」同行のNが空を見上げる。
言われて気がついた。この多賀城駅前を支配している禍々しい雰囲気の原因はカラスの鳴き声がまるでコダマするように四方八方から聞えてくることだったのだ。
Nは「カラスもさすがに津波には驚いたか…」と言いかけるが「違う…」とMが口をはさんだ。
「違う。そうじゃないでしょ、これは…」
身長二メートル近いMは後ろを振り向くと、今まで自分たちが歩いてきた方向のさらにその先を指差した。
「ないんだよ…巣が…」
ハッとした。きっとそうなのだろう。
カラスたちが営巣していた木々もまた津波で根こそぎもっていかれて、場所を失ったカラスたちがこちらに避難してきたのだろう。
沿岸の土地がごっそりと巨大津波にやられたという事実を示すのがこの禍々しいまで響き渡るカラスの声なのだ。
三人を包んだ深い沈痛を破ったのはNの「あっ、いた!」と「あそこあそこ!」と言う声だった。
Nは前方を指差す。
指の差す先には駐輪場の建物がある。
その立体駐輪の前は半円状に広がるスペースになっている。その片隅に五人ほどの若い女性たちのグループが地べたに座り込んでいるのが見えた。
Nが手を振り「おーい!」と大声で呼びかけるが、気がつかないようだった。誰一人としてこちらに顔を向けない。
Nが駆け出して今度は「○○ちゃん!」と名前を呼ぶと、ひとりがこちらを向いた。
と同時に、彼女の前にしゃがみこんでいた若い男が振り向きこちらを鋭い目つきで睨んできた。
「くんなよ おっせーだよ おっさんよお」若い男は吠える。
その挑発的な態度の若い男は立ち上がると、まるでマンガかVシネに出て来るチンピラの真似でもしているのかと突っ込みを入れたくなるような彼の人生信条が丸わかりのガニ股歩きで肩をゆらしながら近づいてくる。
が、そこで彼ははじめてNはひとりではなくて、こちらが三人連れ(しかもひとりは身長2m級)であることに気づいたのだろう。こちらを睨んでいた男の目が突然という感じで泳ぎはじめた。
そしてなにか捨て台詞を口にするとその若い男は去っていった。
3
足止めをくっているのはふたりだと聞いていたのだが、実際はひとり多い三人だった。
さらに途中から合流したというふたり組も加わっていた。
これで我々三人は五人の女性をそれぞれ無事に仙台まで送り届けなければならなくなったということになる。
最初自分が思っていた以上に大きな仕事になってしまった。
再びここで帰路について議論がなされた。
今来た道を引き返すようにして国道45線沿いを歩いてゆくのもひとつの方法だが、先ほど自分達が目の当たりにした惨状を彼女達に見せつけるのもどうかということで、最終的に自分の判断で仙石線の線路の上を歩いてゆくことにした。決め手となったのは昨晩聞いたラジオの報道だった。仙石線の線路の上は歩行者であふれているということを耳にしていた。つまり少なくとも危険性は薄く、歩行禁止にはなっていないということと、駅と駅の間をゆくのであれば線路の上を歩くのが最短距離になるからだ。
多賀城駅から再び橋を渡って今度は八幡(やわた)方面を行くことにした。さすがに鉄橋の上を歩いて渡るのは(大きな余震の可能性もあるわけだから)避けたほうが賢明だと判断したからだ。
右折して八幡二丁目の小道に入った。ここも津波が押し寄せ水浸しになったようだ。
道のところどころにまだ手付かずのまま取り払われていないゴミが散乱している。
途中からさらに角を曲がって坂道を登った。
女性の誰かが「大丈夫なんでしょうか?」不安そうな声で言った。
自分は「こっち真っ直ぐ行くより絶対に確実に安全だから…」と言って聞かせる。
登っている坂の途中から道路の表面の感じが違ってくる。見違えるほどきれいなままだ。ここからは海水に浸されなかったということがひとめでわかる。
両脇の住宅の塀の濡れ具合を見てもこのあたりが津波の限界点だったことがわかる。誰かが「ここまではさすがに津波は来なかったのか…」と言う。
もう少し坂を上ってゆくと、お年寄りの男性に「どこさ行ぐの?」と声を掛けられる。
「線路伝いに仙台まで」と答える。
するとそのお年寄りは怪訝そうな顔つきになると「仙台まで? 歩いて?…遠いべっちゃぁ…」とため息交じりに言う。
そのお年よりはおそらく「仙台駅」と聞き間違えたのか勘違いしたのだろう。我々がとりあえず目指しているのは二駅向こうの陸前高砂駅である。
自分はそこに立っている古い松の木を指差してお年寄りに「波は越えなかったんですね?」と尋ねてみた。
老人は不意をつかれたようだった。ちょっと間をあけてから、感慨深げに
「あー、んだんだ 末の松山…波越さじ…だっけ…」と松の木を見上げた。
全員がつられるようにしてそこに聳えたつ大きな松の木を見上げた。
(撮影及び写真提供:momoさん)
末乃松山について
4
その古い松の木の存在が意味するものについて同行のNが女性たちに向かって一生懸命に説いていた。
「とにかく今度の地震は百年に一度どころか、千年に一度の大災害だってこと!」
千年に一度の大災害 まさしくそうなのだろう。約千年前にこの地を襲った地震と津波の恐ろしさはまたたくまに都に伝えられ、京都のひとたちを震えさせた。いろいろな伝説やら噂話が街中を駆け巡ったと伝えられている。それは今のマスコミの勘違い報道っぷりとどこか似ているような気もした。
再び下り坂を下りて行き、大きな道路と立体交差する陸橋の前に出る。階段の柵のカギは解放されていて、そこから何人もの人が昇り降りしているのが見える。我々もそこから線路に入ることにした。
仙石線の線路上は行き来する人でいっぱいだった。ところどころ線路がたわんでいたりする。しかし、皆意外なくらいに元気だった。枕木でデコボコする二本の線路の間を自転車に乗ったまま通り過ぎてゆく人もいた。
女性陣はここまできてやっとほっとしたのだろう。急におしゃべりになりはじめた。いろいろなことを喋りはじめる。その中で途中合流のふたりから彼女達の事情というものを聞く事ができた。
ふたりは松島のさらに向こう側の鳴瀬(東松島市)から途中までは軽トラで逃げてきたという。しかし塩竈のほぼ手前あたりでクルマを置いてゆかねばならなくなったのだと悔しそうに言った。
「朝になってエンジンがかからなくなって…ガス欠っていうかガソリンが抜かれてたんですよ夜の間に!」
ガソリンを求めてクルマを避難所まで押してゆき、結局そこからは歩きはじめたふたりのもとにはさっきの若い男のように「どこまでゆくの?乗せてってやろうか」と声を掛けてくる運転者が何人も現れたという。中には、車内がガソリン臭く、よく見るとゴムホースのようなものを積んでいたクルマもあったという。
「ああ、ありうる話だな…」自分は昔見たパニック映画を思い出した。
5
「(声を掛けてくるような運転者は)目つきがもう普通じゃないし…、っていうか下心が丸見えだっちゃ」
一列になって線路の上を歩いている自分のすぐ後ろの女性がつぶやくのが耳に届く。
そのうしろからか「でも避難所でああいう◎◎◎◎(超差別用語につき伏字)に付いでいっだ子もいだがらっしゃ…」
「やんだー… んなのについでいったら何されっかわかったものじゃねぇぺっちゃやぁ…」
「んだがらしゃ…」というと、そこから急に声をひそめてたぶん後ろ向きになってこちらに聞えないようにヒソヒソと話し合う気配がした。
中野栄-高砂駅間の大きな踏み切りにたどり着いた。目の前がすぐ高砂駅のホームである。自分もふだんから頻繁に利用している踏み切りだ。もっとも普段は交差している道路の方を行き来しているわけで、こうして線路から見る光景はどこか新鮮というか違和感があったが。
我々はそこで線路からそれて道路に出た。そして一行の何人かがトイレを使いたいというので使えそうなトイレを探すために一度国道45号線沿いに出ることにした。しかしいくら探してもどこにもトイレの使える店とかはないような状態だった。陸前高砂駅の駅前ロータリーにたどり着く。閉鎖されている駅舎には仮設のトイレがある。なぜ仮設かというと、この陸前高砂駅はたまたまだが改装中だからだ。
「ここ使ったら?」というと「うん…」と女性たちは気乗りしなさそうであった。「しょうがないっちゃねぇ」とひとりが言って自動改札を乗り越えようとする。隣にある銀柵を押してみたら簡単に開いた。ここも施錠はされていなかったのだ。
開放されていた改札口から出てきた女性たちはみな暗鬱そうだった。それ以上は何もいえない。
再び駅舎のオモテに出た。
ところどころに数人のグループはいるものの、駅前はいつもに比べればひっそりとしている。JA(農協)も閉鎖したまま。(ま日曜だから当たり前といえば当たり前なんだが)バスロータリーには誰もいないしロータリーに面した店全てがシャッターを下ろしたままだった。ただ、一角のタクシー乗り場には何台ものタクシーが客待ちしていた。
一行のうちの鳴瀬からのふたりはタクシーで姉夫妻が住むという東仙台を目指すというのでここで別れることにした。
笑ってしまいたくなったのは、ここにも若い女性目当ての◎◎◎◎の連中がうようよしていたことだ。
皆がまるで申し合わせたように次々に声を掛けてくる。男三人を含む集団にだ。
「チャリでどこに行くの」とからかうように声をかけて来るのもいた。自分は内心『コイツら完全にいかれているな…』思った。いや、元々おかしな人間がこの非日常の世界で本性を顕しただけだという考え方もできるかもしれない。
我々六人は再び動き始めることにした。午後も3時を過ぎて、これ以上ここで時間を潰してもなんの進展も期待できないからだ。
ここでNが突然「かまたさんちのアパート空き部屋なかったっけ?」と尋ねてきた。
「(空き部屋は)あるよ。でも、水道も電気もないところに泊めたってしかたないだろ…それよりも水と食いもんと毛布とか寒さがしのげるところだ。それがあるんだったらオレはとっくに実家に戻ってるし…」というと、Nはあっさり「そういえばそうだよね」などと気の抜けたようなことをいいだす。
女性陣はこの漫才みたいなふたりのやりとりをポカーンという感じで眺めていた。
そのときだった。カメラや録音機材のようなもの抱えたいかにも「テレビ取材班です」という感じの一行が通りかかったのは。
先頭のどこか見覚えのある男が録音マイクらしきもの手に駆け寄ってきた。そのうしろをカメラをスタンバイにしたカメラマンたちが気だるげにのろのろとついてくる。
マイクを手にした男は「こんなときでもわたしは取材慣れしてますから」とでも言いたげな、満ち溢れた自信というものを漂わせている色黒の中年男性である。
「大変でしたねぇ…」と顰め面をして近づいて来た。
「どちらのほうから避難されて来たのでしょうか。よろしければ少しだけお時間頂いてお伺いできませんでしょうか?」などと必要以上の丁寧語でもって話しかけてきた。
いやな予感がした。いや予感ではない。以前まったく同じような、このようなシチュエーションでテレビの取材を受けて散々な思いをしたことが脳裏をよぎったのだ。自分が不安というか苦々しく感じていたのは、女性たちがこの有名(?)なテレビレポーターに声を掛けられたりしたもんで、かなり浮き足だっているのが傍から見ててもよくわかったことだ。
6
我々男三人は互いに目配せすると首を横に振って取材を受けたくない意思を彼らにしめした。
それというのも先日福田町の駅前で一台のワンセグテレビで全国ネットの報道番組を覗き込んでは「バカヤロー引っ込め」「おまえじゃわからん ミワコかエリナに伝えさせろ」とアップになった女性キャスターに罵声を浴びせかけていたことがあったからだ。
レポーターのマイクはそのまま女性たちに向けられた。自分は思わず「アッ」と口にしていた。ある意味自分が恐れていた最悪の展開になってしまったからだ。
最初戸惑いをみせていた三人グループの中で、最初に、年嵩の女性が「松島…からです」と小声で答える。
訛りを気にしているのだろう。イントネーションが少しおかしい。
それをきっかけに、レポーターが三人に向かっていろいろな質問を繰り返す。
そのうちに三人はうつむきだして、そして全員が黙りこくってしまった。
自分はその光景を傍で眺めていて何か胸に引っかかるものがあった。それが何かについては後日別のブログにでも書くとする。自分は何かデジャヴ(慨視感)のようなものに囚われていたのだ。
矢継ぎ早のレポーターの質問をうけていた三人の女性のひとりがシクシクと泣き出してしまった。
そしてその泣く瞬間を逃すまいとしてだろう、カメラマンが二・三歩前に出ると、屈んでカメラを上向きにする。
「ご家族はご無事なんですか?」
このような状況下で女性ひとり泣かせるのには充分すぎるくらい酷い質問である。
NとMのふたりがカメラマンとレポーターに向かって、これみよがしに舌打ちをしてから「いい絵撮れてよかったよな」とか「ナイスコンビネーション」など嫌味たっぷりに大声で聞えるようにつぶやく。
気色ばんで立ち上がったカメラマンはこちらを一瞥するが、ふたりの鋭いまなざしに気づいたのだろう。
まるで何事もなかったかのように彼は再びカメラのモニターに顔を向けた。しかしその手は小刻みに震えていた。
髪を短く刈り込んだそのカメラマンの横顔を見て、そのこめかみあたりに殴られたような赤いアザがあるのを見つけたときには「ああ、コイツも犠牲者のひとりなんだろうなぁ…」と自分も悲しい気分になっていた。
しかし、NとMの怒りは収まらないようで
「あーあ、泣かせちゃったよこの人たちどうするつもりなの」とか、Mが上から見下ろすようにしてレポーターたちに毒づく。
マイクを手にしたレポーターは正面を向いたままこちらに手のひらを向けて、押すようなポーズをすると「ちょっとお願い、ちょっと黙ってて」とMとNの二人を制しようとする。
こうして取材クルーとこちら三人のあいだには一触即発の険悪なムードさえ流れはじめた。
7
ここで流石に空気を読んだのか、レポーターはそこで質問を打ち切った。
気まずそうに「ごめんなさいね」と女性三人に向かって謝罪の言葉を口にする。が、最後の最後に「まあ…大変なときで神経も普通じゃないでしょうから…」と付け加えたのだ。
自分は『何言ってんだバカかこいつは!』とそのとき初めてこの無神経なマイク野郎に対する怒りがこみ上げてきた。
この未曾有の大災害の現地に乗り込んできて、被災者に対して「大変なときで神経が…」とか言える立場かと。オマエは最初からインタビューで彼女たちを泣かせることが目的だったんじゃねえのかと。その言い訳は彼女たちに対してではなくこっちの男三人に向かって言えよと。
レポーターの男はクルーに対しては「ここはまあ、撤収の方向でね」とインタビューの中止を伝えた。
8
立ち去る取材陣の後姿を見つめながら、自分は「精神が普通じゃないのはオマエらなんだって!」と呟いていた。
この自分の呟き、おそらくは彼らの耳には届かなかったはずだ。喜んでいいのかそれとももっと大声で叫べばよかったと失敗を悔やむべきなのか判断が難しいところだが。まあしかしこのようにしてブログ用にと携帯の端末で短いメールを何通も送り続けたのだけれども。
彼女達が平常心をとりもどしたタイミングを見計らい、とりあえず今夜の予定をどうするかについてが話し合われた。元々はとりあえず今夜だけはNの実家に三人(本来はふたりの予定だったが)を泊める算段はしていたようだが、三人はそれを固辞して、はじめから「どこか公共の避難所のようなところに行きます」と答えるばかりだったのだ。
最終的には彼女たち三人の意向を汲んで、ラジオで伝えていた最寄の避難所まで送ってゆくことにした。駅から歩いて10分ほどの距離にある地域センターである。
たくさんのひとが出入りしていてごったがえす地域センターの入り口で我々は彼女達と別れを交わした。
行きかう人だれもがこちらには注意を払わない。みな自分のことで精一杯のようだった。
男三人になっての帰途、それまで抑圧されていた言葉がまるで沈黙の呪縛を解き放たれたかのように次から次にとそれぞれの口から出てくるのを誰も止められない。
「要するにさ…どさくさにまぎれてってやつなんだよ」
「つまり さっきの取材陣もさ、クルマでナンパしてる男も性根は同じ 腐ってやがる」
「こんなときでもどっかに自分を満足させてくれるなにかないかとハイエナみたいに群がってくる」
さらには
「いまだから言うけど、あのふたり化粧してないから最初誰が誰だかわかんなくて困った」
「化粧しないほうが結構可愛いのにねもったいないね」
「だから狙われるんだろうが アホか」とか彼女たちの前では憚れるような軽口まで出る始末。
9
ここで締める。
テレビなどのマスコミが伝えないもの、それは震災被害地域でのマスコミの傍若無人な取材方法と振る舞いである。似たような話はいくつもいくつも耳にしている。どこまでが事実なのかこの自分には確かめようはないが。ネットで伝えられているものもある。おそらくそれはきっと氷山の一角でしかないのだろう。自分は自分が実際に体験した出来事だけを書くのみ。今のところはそれで手一杯。
追加
その後塩竈に住む知り合い(小中学の同級生)のはなしを聞いた。
半分水没した海岸で取材をしていた連中にはかなり酷いことをする人間もいたようで、彼はテレビ局に対して抗議の電話を入れたという。その話もここで書きたいのだが、それだとプライバシーの侵害になるので慎むとする。
それにしても、海に向かって立小便をするとか神経がおかしすぎるだろう。
「キムタクのHEROに出て来る中井貴一がその光景をみていたなら絶対に刺されていたレベル」だそうだ。
追加 その2
にしても全国向け(実は関東ローカル向け)放送のとっちがい報道だけはもう勘弁できねぇ、みたいな気分にさせられることがある。(しかたなくなんだが)さっきもテレビ朝日の夕方のニュース番組を見ていてアタマに血が上りそうになって健康によくない。それこそあのニュース番組のほうが放射能よりよっぼどからだによくない。
まず第一に、ニュース映像に効果音とかBGMを被せることの意味をこの番組の責任者に問い詰めたい気分である。しかもなんだあの中田ヤスタカのライヤーゲームのパクリみたいなエレクトロサウンドは。それとも「自分達は嘘つき報道(ライヤージャーナル)ですから」とでも言いたいのだろうか。
※ あとで知ったのだがパクリじゃなくて中田ヤスタカ自身によるオリジナルだそうだ。中田も仕事選べよなぁ