2011年7月29日金曜日

秩序かチカラか それが問題だ

菅政権に対する批判悪口の類、けっこう寄せられるのだけれども、こちらではあまり触れる機会がない。




こちらに寄せられる意見の割合からすると(まあ当然といえば当然なのだが)「菅は即刻首相を辞めろ」的なものが一番多い。それこそ8割に届くのではないか。各種世論調査とそんなにかわりはない。



だが、被災地の人間の実感からすると、こちらのほとんどの人間は政府(民主党)のことはとっくに諦めているような感じだ。政府(民主党)に対して何かを期待しても無駄だということはすでいくつもことですでに明らかになっている。



いや遅いどころのはなしではない。むしろ今の政府はこちらの復興作業に対して労力を注ぐのをためらっているようなところが見え隠れする。



これをどう捉えるのか。口の悪い人の見方では「ヤツら(民主)は東北を食い物にするつもりなんだろう」ということになる。



そう捉えられてもしかたのない点が確かにいくつもあるからだ。



たとえば、つい先日政府は宮城県に対して食用牛肉・食肉牛の出荷全面停止を呼びかけた。



「あたりまえだろう」という人も多いかもしれない。ところが実情を聞いてみるとそうではないということがわかってきた。屈辱モノなのである。



自分には直接の畜産関係の知り合いがいるわけではないのだが、いろいろな人からはなしを伺っていると以前から浮上していた「ある疑惑」がさらに強まってきているという。



宮城県としては福島県の前轍を踏まないようにと県独自で食肉用牛の全頭検査の体制を敷いて、それを国に上申したところが、国側がそれを無視するような形で勝手に「宮城県牛の出荷全面ストップ」を発表したのだという。



これは単にタイミングが悪いだけなのだろうか。



違うだろう。国つまり民主党政府はこのように独自スタイルを強行実施しようとした宮城県に対して、ある種の嫌がらせともとれるタイミングで勝手に全面出荷停止という処置を講じたのではないだろうかと言われているのだ。民主党としては、要するに「勝手な動きをするな」ということなのだろう。



何故このようなことが言われるかというと、実は同じようなことが一年前にもあったからだ。あれだ。宮崎を中心とした九州地方で起きた口蹄疫騒ぎのときである。国の対応は明らかに遅かった。なにしろ「広がらないだろう」とタカを括って農水大臣は中南米外遊中を続けていたくらいだし。このような国の無策・あるいは後手後手の動きに対して業を煮やし独自の検疫体制をとろうとした宮崎県に対して民主党の政府はムダともいえる種牛の殺処分命令であるとかの酷い仕打ちを行ったことは記憶にも新しい。



タイミングといい順番といい、まるでそのときをなぞっているかのような今回の政府の発表に対して、私たち宮城県民は民主党のこのやり方をどう思っているのか。お分かりいただけると思う。



自分も瓦礫の処理のために、道路の一時的使用の許可を得るためといろいろと駆けずり回ったことがあったのだが、いつも手続きがどん詰まりになるのが国土交通省のところだった。県や市がいくらオーケーを出して書類が上申されても、上(国)からの許可が出ないで結局作業が頓挫したり無期延期になる。こんなことが何度も続いたのだ。



以前、同じようなことがあったときのことだ。ある人が「こんなの(すでに野党に下野していた)自民党の代議士事務所に陳情すればすぐにだよ」的なことを吹聴していたのでためしにお伺いしてみたところ、なんと申請の3日後にはちゃんとした書類としての許可証(陸運局発行のもの)が窓口に届いていたりするのである。



こういう代議士国会議員に陳情して実現するようなやり方はフェアとはいえないのでどちらかというと自分は嫌っているのだけれども、背に腹は代えられない。そういう事態なのだ、この被災地の実情は。



どちらを選ぶのか。秩序なのか。それとも力(ちから)なのか。私たちは常にそういう選択を迫られているのである。



で、自分の実感というか心情を吐露すると、民主党(政府)に対しては「何もしなくていいから復興作業の邪魔だけはしないでくれ」ということになる。そうなんだよ。復興作業の邪魔をしているのは他ならない民主党の政府そのものなのだ。



菅直人という人間に対しても自分は同じようなことを思っている。まあ、首相として無能なのはしかたがない。官僚全てを敵と看做しているような了見の狭い男だ。せいぜいが野党の代表どまりの器なんだろう。そんなのは3月11日以前にはっきりとしていたことだ。そもそもが首相になるべき人間ではなかったのだ。責任を問うのならばむしろ(菅政権の産みの親ともいえる)首相の座を降りた(前の首相だった)鳩山由紀夫のほうである。



無能なら無能でいいからなにもしないでくれ菅直人よ。そのほうがよっぽど日本のためになる。

2011.07.29



2011年7月28日木曜日

原発事故が起きた原因よりも拡散させてしまった責任を問い詰めたい

「あなたは何故大槻教授のことを批判しないのだ」というお叱りのコメント。




最近の大槻教授のブログがとんでもないことになっているということらしい。

公明党よ、恥を知れ



公明党に原発事故の責任があるのかないのかといえばそれはあるだろう。自民党共々その責任は免れない。しかしそれを言うのであればやはり民主党にだって原発の事故の責任はあることになる。1970年代からの国策としての原発事業の推進派の自民党の面々をみれば一目瞭然。田中角栄(小沢一郎)、鳩山威一郎(由紀夫・邦夫)だとか渡部恒三とかの名前が次々と出て来るからだ。



大槻教授のこのブログ文を見ると、まるで公明党の議員が原発事故が起きたことの責任を菅直人に対して糾弾しているかのように読めてしまうが事実はそうではない。公明党にしても自民にしても(共産にしても!)、総理に責任を問うているのは、事故後の対応の悪さ遅さのほうについてである。そんなのは国会TVとかyouTUBEで見れるし、誰でもすぐにわかることだ。もしかして大槻教授はその国会の質疑そのものを見ないでこんなトンチンカンなことを言っているのではないだろうか。



まあホント、下手するとこれらの大槻教授のブログ文を見てしまうと「教授のほうがマッドサイエンティストにしか見えません」という印象になってしまう。



民主党の事故後の対応に対して疑惑が持ち上がるというのは下のビデオを見てもらえればわかるだろう。







この児玉龍彦というひと、肩書きは東大アイソトープ総合センター長になっているが、わかりやすく言えば科学者であり医者でもある。その人が国会の部会に参考人として呼ばれて、民主党の取った原発事故後の(政府としての)対応がどれだけ間違っていたかを追求しているのだ。児玉教授の言っていることは明白だ。だれがこのような間違った対応策をとったのか。突き詰めていってしまえば最終的な責任を取るべきなのは菅直人にほかならないだろう。そういうことを言っているのである。



脱原発についての判断がどうかを問う以前の問題だろう(事故以前菅直人が原発推進派だったということはさておくとしてもだ)。



この事故を収束させないで拡散させるようなことばかりをしていた菅をこのまま首相の座においていていいのかということなのだ。問われていることとは。



もし大槻教授が「それでも菅直人のとった策は正しい」とでも言っているのであればそのときは自分だけでということでなくて全ての国民から批判されるその対象になるのであろう。しかしそういうことじゃないからね。



単に大槻教授が無知、イノセントな人なだけなんだと思う。はっきり言えばただの政治オンチ。

何しろ「首相が靖国参拝をしないから自分は民主党を支持する」と公言しているひとなんだもの。まあ物理学者が政治オンチであっても責められるものではないのだろうが。

だからあなたも大槻教授のあのブログ文はただの政治素人の文だと割り切って読めばよろしいのではないだろうか。

(2011.07.28)

2011年7月19日火曜日

なでしこ30年の悲願って何?みたいな疑問

女子サッカーワールドカップで日本代表が優勝した。

自分にとって「3.11」以降、最大のグッドニュースであり、とても良い出来事だと思っている。

但し、マスコミのサッカー女子代表の扱い方に対しては相変わらず疑問と不満だらけで、自分はこの喜ばしい出来事を少しづつ曇らされているような気がしてならない。

まず大体にして、テレビ番組などで「なでしこJAPAN30年の悲願の優勝」とかのフレーズを何度も繰り返していたのには正直鼻白んだ。

せめて「日本女子サッカー」と言ってはくれないのかと。

みなどこかに置いてきて忘れてしまっているのかもしれないが、女子サッカーリーグを「なでしこリーグ」と名づけたり、代表のことを「なでしこジャパン」とかいうようになったのはつい最近のことだ。それまでは(男子のJリーグに倣い)「Lリーグ」と呼ばれていた。

名前だけではない。システムも運営も大幅にリニュアルされている。極端なことを言うと「Lリーグ」と「なでしこリーグ」はまったくの別物といっても過言ではない。

だから、自分は「なでしこJAPAN 30年の…」とか言われると「はぁ?」みたいな感じになってしまうの。ご理解いただけるだろうか。

まあ仮にマスコミが正しく「日本サッカー女子代表30年の…」と言ってくれたとしても「悲願」はねぇだろうよ。

悲願ってのはそれこそ何度も何度もチャレンジして跳ね返されてきたものにこそふさわしい。

たとえばこれは(日本)男子のサッカーの場合だが「ワールドカップ出場」は1998年(アジア予選のあった前年)までは悲願だった。紛うことなき正真正銘の「悲願」である。なにしろ出場直前までは何度もたどり着いても、結局最後の最後で叶わなかったという歴史があるからだ。

で、日本サッカー女子の場合はどうかというと、振り返ってみれば一目瞭然。

サッカー女子日本代表は過去五回開催された女子ワールドカップに全て出場している数少ない「サッカー強豪国」のひとつであり、六回目で見事世界一の称号を得ることが出来た。むしろ順調すぎる結果なのである。

これを「悲願」というのであれば、女子のトップリーグの歴史が100年とか200年もあるのにいまだにW杯優勝を手中にしてないイングランド(イギリス)とかフランスの立場はどうなるのだろう。もう「悲願」どころじゃ済まないよな。

あるいは、女子は子どものころからサッカーをするのが当たり前のようになっているスウェーデン、ノルウェーの立場からすると「なでしこJAPAN」の日本代表のように競技人口わずか四万の国の代表が世界一になるというのはまさに脅威だろう。

また、女子サッカーの競技人口もそこそこ多くて実力もありながらも、強豪ひしめくヨーロッパにおいて、未だ一度も本大会出場の叶わないオランダの立場からすれば、日本女子代表のことがうらやましくてしかたないはずだ。(もしもオランダがアジアや北米・アフリカあたりから予選出場していたならば一度くらいは出られていたはずだからだ)

だから「なでしこJAPAN」には「悲願」という言葉はふさわしくない。自分はそう言うのだ。

このようにマスコミが「なでしこJAPAN30年の悲願」というフレーズを口にすることに対しては、自分は非常に恥ずかしい気持ちを持っている。

歴史的な大嘘であり事実無視だからだ。

マスコミがこのような「歴史の捏造」をするのはまあいつものことだとしても、このことが海外に知られるのだけは避けたい。日本のマスコミの低レベルぶりが海外に晒されるのはとても恥ずかしい事だからね。

長々と説明してしまったがそういうことです。

こんなこと 彼女たちの責任ではまったくないのだけれども、なんで日本のアマスポーツは代理店が絡むとこのような「インチキ臭」が漂いはじめるのだろうか。

前回冬季五輪のカーリング女子の「クリスタルジャパン」とかさ。

自分としてはそれを悲しんでいる。
2011.07.19

追記
※ いろいろなご感想を頂いた。賛意もあれば反対意見もある。反対の意見があってもそれは別にかまわない。しかし、自分が書いた「なでしこJAPANに悲願というフレーズは似合わない」という意見に反対の人たちのほとんどが「ずっと前からなでしこをテレビで見たり応援しているものですが…」とかありえないことを平気で書いてきたりするから困るのである。

もう一度いうが、サッカー女子代表のことを「なでしこJAPAN」と呼ぶようになったのはわずか3年前だ。3年前のことを「ずっと昔から…」というのはいくらなんでもおかしいでしょう。自分はそれを言っている。

改めて問い掛けるが「あなたたち、マスコミのついている嘘に洗脳されてはいまいか?」そういう疑念だけはもったほうがいいのではないだろうか。(07.22)

2011年7月18日月曜日

放射能に対する科学的知識の欠如とマスコミの偏向報道がもたらす悲劇

夏の季節はなるべく日焼けしないようにと留意しているのだけれど、今年はしんどそうだ。7月のアタマだというのに、もう顔といい腕といい真っ赤っかになってしまった。

この間など、仙台駅東口に隣接しているBiviという商業ビルの駐車場で警備の人間に呼び止められてしまった。どうも酔っ払いと勘違いされたようなのだ。

屋外作業を嫌う人間が増えたためだろう。現場に到着してみると屋外作業がちっとも進んでないために自分たちの仕事が滞っていたり保留状態のまま放置されていたりするのである。

まそれで自分達は「しょうがねぇな」といいながら放置されている屋外作業(LANの点検など)を肩代わりしているのだが。

まあこういうのも「放射能とは何か」という基礎的な知識が欠損しているために起きるある種の悲劇であり喜劇でもある。要するに皆デマに踊らされているのだ。

同等、最近スーパーなどに行くと、国産肉牛だけが売れ残っていたりあるいは大幅に売価改定のシールが貼られて値下げして売っているのを見かけるようになった。

こういうのも悲しい光景である。いや、たとえば子どもの健康を気遣ってというのはよくわかるのだ。でも何故「国産肉牛だけ」なんだろう。

自分はそこらあたりに「マスコミの偏向報道」の罪深さというものを痛切に感じるのだが。

2011.07.18