2011年4月28日木曜日

多賀城市桜木あたり


震災後、長らく一緒に行動していた人間から昨日聞いたはなしだと、仙台市宮城野区・若林区など津波被害の酷かった沿岸の地域も最近になって制限つきながらもやっと立ち入れるようになったという。

自分はまだクルマに同乗してその被害の酷かった沿岸地域を通過した程度なので、この地区の現状のことはあまりよく見ていない。いや、「見た」というほどちゃんとは見ていないと言い直すべきか。

心境は複雑である。ためらうところもある。んー、「これは自分の言葉ではないが…」と前置きしてしまうと、それはそれで逃げを打っていると取られかねないだろうし。

この津波被害の酷かった沿岸地区の印象をあえて表現するのなら「まるで広大なゴミ捨て場のようだ」になってしまうのだろう。言わずに済むのならば言いたくはねぇけどよこんなことは。

鼻をつくような悪臭が漂っている。長く留まっていると本当の意味で吐き気を催しそうになるのだ。ここで復旧の活動をしている自衛隊の皆さんに対しては頭が下がる。

比較的復興の進んだ多賀城市の町前、桜木地区にならば何度か立ち入っているし、まだなんていうのか震災後の人間の手による作業がカタチとなったところがあるのが感じられる。それでも、まだ信号機は稼動していないし、四つ角に神奈川県警の交通課警官が立って手信号で交通整理をしているような状態だが。パトカーや警官の背中の「神奈川県警」の文字を目にするとちょっとだけビビったりするのは何故なのか。いわゆる条件反射というやつなのか。



大きな地図で見る


この桜木・町前あたり、頻繁にクルマの行き来する車道以外は津波が運んできた土砂が積もったままだ。ところどころにひっくり返ったクルマが放置されていたり、漂流してきた樹木が家と家の間をまるで通せんぼでもしているかのように複雑に絡み合っていたりする。いや、これでもまだなんとかなっていると認めるしかないのだ。それがこのあたりの現状というものである。

二週間ほど前のことだったか、顧客の元を訪ねるためにこの桜木・町前あたりを自転車で何度か行き来した仲間のひとりは一週間で都合4回自転車のパンク修理をするハメになったという。ただ土砂の積もった一見なんでもないような「歩道」でも、ブロックの継ぎ目や土砂の下には尖った鉄片なんかが隠れていたりするのだ。

そんな場所を普通の靴やスニーカー履きのような軽装で不用意に歩き回ったらどうなるだろう。そう、足の裏がザックリとやられてしまうだろう。だからこのあたりも長らく「立ち入り禁止」を解けずにいたのだ。

すべてがこの調子。震災後の復旧というのはまだまだ、まったく始まったばかりなのである。この多賀城だけではなくて津波に襲われたすべての場所がである。

少し前のこと。夜更けてから軽自動車でソニーマグネテック(テクノロジーセンター)の前を通過したときのことだった。突然ハンドルを取られて急停車したことがあったのだ。クルマを降りて後輪部を見ると銀色の破片が。何かと思いきや、よく見たら割れたCDの破片だった。どうやら後輪で車道に落ちていたCDを踏んだためにスリップしたらしい。暗い中あたりをよく見回すと、歩道やあちこちにCDやらDVDが散乱している。誰かどこかの不届き者が浸水で目茶目茶になったどこかの店から持ち出したものなのだろうか。

「皮肉なもんだなぁ、ソニーのまん前なのに…」と同行同乗のひとりがしみじみと呟く。まったくだ。こんなんで事故でも起こしたらソニーの御大だった井深大が草葉の陰で泣くだろうよ。

ちょっと見た感じ「安全」なところでもすべてがこの調子である。このあたりも本当の意味ではまだまだ危険地帯なのだ。

2

ソニーテクノロジーセンターといえばTBSの地元局である東北放送の記者が地震から津波に遭遇した、まさにその一刻一刻を記録したビデオが話題になったことがあった。この記者たちが最後に駆け込んですんでのところで津波から逃れることが出来たビルというのがこのソニー(テクノロジーセンター)だったのだ。
これである。


コメント欄にもあるが「若林区で被災してなんで多賀城に北上するのだ?」「これではわざわざ津波がやってくる方向にタクシーを進めたのではないのかという疑惑が持ち上がるではないか」とか悪口じみたことまで言われている。


しかし、そんなことをいうのは地震直後の現地の道路事情を知らないからだろう。

というのは、若林区の県道塩竈亘理線付近だが、地震直後、内陸部に向かう道路はどこもかも渋滞で身動きがとれない状態だったことが数々の証言から明らかである。

少なくとも安全走行が確保されている県道を(空いていた)多賀城方面に北上して、どこかから太い道路を左折しようとしたタクシーの運転手のこの判断は正しかった。現実、ビデオで撮影されている通りで、押し寄せてきた津波はクルマの後方からやってきている。それはこの動画を見ての通りである。それが事実というものだ。但し、記者の同乗したタクシーも左折前に前方に多数乗り捨ててあったクルマによって引き起された渋滞に掴まって身動きが取れなくなったということだ。

この「多賀城方面に逃げる」という判断は決して間違いではなかった。しかし、このように同じ道筋をとりながらも逃げ切れなかったという犠牲者も数多くいたのである。それも事実だ。

たとえば、これは直接聞いたわけではないが、やはり同じような逃走経路をとったという人は、途中から先を行く車両の速度がだんだんとのろくなってゆくことから、先で待ち受けている渋滞を予想して(海方向へ行く)対向車線を逆走して、渋滞にはつかまらずにクルマに乗ったまま津波から逃げ延びることが出来たのだという。もちろんこんなのは平常時でなくたって道交法違反の犯罪だし、むしろもっと大きな(正面衝突であるとかの)事故の危険もあるわけだからちっとも褒められたもんじゃないだろうが。

自分が怖いなと思ったのは「クルマを捨てることができなかった」ゆえに渋滞につかまるたびに右往左往して、結局は津波の方角に突っ込んでゆくようなカタチで飲まれたというクルマがあったとか、あるいはショートカットするために道路から外れて田畑を突っ切ろうとしてそのまま動けなくなったというクルマが結構多かったとかそういうハナシだった。

だからむしろこのようなときにでも慌てずに客のわがままに付き合うようなかたちで順法な手段で津波から逃走しようとしたタクシーの運転手のプロとしての判断を褒めるべきなのでは。それでもやはり生きてこそなんぼで、もしこのまま津波に追いつかれて近くに高くて頑丈な建物もなくそのまま津波に飲まれてしまったら元も子もないのだけれども。

(これは結局推測の域を出ないのだが)この記者の乗ったタクシーのうしろあたりをやはりクルマで逃げていたのではないかというのが、前に書いた「歩いて逃げてて津波に何十メートルも流された」と言っていた人である。

もちろん「流された」のは彼ひとりだったのではない。渋滞につかまってからクルマを乗り捨てて「どこか高いところに避難しよう」としていた人は何人もいたのである。皆が口々に「もうちょっと先にある高さ30メートルある○○ビルならば頑丈だし安全だ」というように、より確実な(少しでも海から離れた)避難先を選んでいて避難の出来そうな建物を次へ次へと飛ばしていたのだという。もし、もっと早い段階で見切りをつけて、どこかビルにでも駆け込んでれば彼もまた少なくとも「津波に飲まれてあやうく命を落としそうになる」という目にはあわずにすんだのだろう。本人が言うのだからまあそうなんだろう。

ソニーテクノロジーの前には大きな石造りの時計が置いてある。(動画でもチラリと映っている)聞いたところによると時計は無事だが、針は今でもこのあたりが津波に飲まれた時刻である3時50分あたりを指して止まったままなのだという。この時計の針が再び動き出すのはいつのことになるのだろうか。



[追記] そのとき調度津波からクルマで避難中だった某君からこのような画像をもらった。「まさにそのときの瞬間を捉えたものだ」ということのよう。 おそらく、このカメラもまた同じ東北放送の記者が同乗したタクシーの視点で撮影されたもののよう。みてのとおりで、渋滞で身動きの取れなくなった南(内陸)への避難は諦め、タクシーは分離帯の切れた場所で方向転換をしてガラガラの多賀城方面へ進路を変えている。結果から言うと(何が結果かは実にむずかしいがとりあえずこのドライバーと記者は無事生存した)この判断は正しかったということだ。この写真の渋滞の列のはるかうしろあたりを走らせていたその某君もすんでのところで結果生存できた。それもやはり早めの判断が効を奏したといっていいだろう。

2011年4月23日土曜日

出来ることをするしかない

仙台と仙台近郊についていえばガスもほとんどの地域で使えるようになった。水道も慢性的な断水状態からはやっと脱した。やっとこれから始まるという感じ。避難所ではどこもかも風邪や感染症が蔓延している。これで少しづつではあるが減ってゆくのだろう。

テレビを見てて気になったことがある。被災者の方々から出て来る「元気をもらった」という言葉。なんだろうか。違和感がぬぐえないのだ。逆に(避難所にいた)十代半ばの中高生くらいの女の子の口から出た「元気にしていただきました」という言葉になにかしらホッとしたりしている自分である。

避難所を次々に慰問や炊き出しに訪れる有名人や芸能人の人々。実にありがたいことだと思う。これに対してやれ「売名行為」だとか批判する向きもあるがとんでもないこと。

避難所で被災している人の口から「別に来てもらってもなぁ」みたいなネガティヴな感想が漏れているのを自分も耳にすることはあった。それはそれでその人が得た実感というものだろう。それを否定するつもりはまったくない。しかし、避難所を訪れた芸能人有名人を間近に見て、握手したり声を掛けてもらって喜んでいる避難所の人たちに湧き上がる歓声や笑顔というものもまた大きな事実であって、それから目をそむけたり否定することは誰も絶対にできないだろう。

(大震災のあった3.11から)まだ一週間も経たないころのことだった。崩れ落ちたブロック塀をいつまでもそのままにしている家があったので片付けを申し出に行ったことがあった。チャイムを鳴らすと出てきたのはともに70代くらいのご夫婦。最初は不審がられた。「あなたたちはどこか役所のひとたちかい?」みたいなことを言われる。同行していた五十代くらいの男性が「そうじゃないけど、このままにしていると(余震があったときに)危険だし(通行者が)気分がどうしても暗くなるので片付けさせてほしい」といって了解を取り付ける。そんな感じのことはたまにあった。

これも同じころだった。十人以上の人間が自然に集まって、土砂や瓦礫で塞がれてしまっていた近くの道路の片付けや簡易補修をしていたときのことだ。中にやたら手際のよい相当に年配の男性がいた。聞けば、四十年以上もこのような道路舗装に携わっていたという元土建の人。

「(この宮城に)おらみてぇな土方とかがまだいっばい必要なんだ」みたいなことを言っていた。なんというのか実に清清しく力強い言葉。またこの人は昼休みにタバコをふかしながら遠くをじっと見つめて何かを呟いていた。きけば「残念だ…残念だなゃぁ…」としきりに呟いていたという。何が残念なのかそのときはよくわからなかった。ただこの惨状のことを嘆いているのかと思いきやそうではなくて(これはあとで知ったことだが)この六十はゆうに越している方は、自分が復興したこの街を見ることなく人生を終えるのを嘆いて、しきりに「残念だ」と呟いていたというのだ。

つまりこの方の見立てでは街が完全に復興するのには10年や20年では済まないということ。あとからこれを知ったときは自分もずしんときたね。一緒にそばにいた30歳の男も「やべぇ、時間はあると錯覚してたっすオレ」とうなだれていた。


この震災の本当の意味での恐ろしさ復興の大変さというものを日に日に実感しているという人が増えてきている。いわゆる「震災鬱」の人が本格的に数を増している。

そういう今だからこそ必要なのは、被災者に対する直接的な金銭の援助でもあるわけだし、将来に向けてのビジョン・具体的な解決策というものを提示できる行政、政府でもあるわけだが、それと同じくらいに、普段テレビに出てるような有名人、芸能人がこちらに「降りてきてくれること」は大切な役目なのだと感じている。普段はテレビの向こう側の別の世界の人がこちらにやってくることの意義は非常に大きい。彼らの出来ることは彼らにしか出来ない重要な行為、アクションなのである。

だから「実にありがたいことだ」と自分は心の奥底から感謝をしている。

2011年4月19日火曜日

自販機とパチンコ

ここでぐだぐた感想を述べることでもないのだが、いろいろと意見を求められるので。

電力使用の節約とプロ野球の開催の問題だがあれもずいぶんとナンセンスな騒動だと思っていた。単純に電力が問題ならば別にプロ野球をナイトゲームで開催したって何の問題もないはずだからだ。

ただし、自分は(東日本地区での)プロ野球のナイトゲーム開催は反対である。理由は、もし何かあれば多数の帰宅難民が生じる可能性が大きいからだ。夜の9時くらいに大きな地震があって交通がマヒしたらどうなるのだろうか。そのくらいの想定は誰でも出来ることだろう。

それに第一、電力量の限界が懸念されているのは、たとえば夏場のエアコンが稼動するような真昼間である。そんな環境下で野球を見たり(試合をしたり)することが健全とはちっとも思えないのだけれども。

んー、まあだから、蓮舫という大臣(?)ははじめから言っていることがおかしかったということになるが。

選手会側の(機構に対する)要望である「開幕の延期」自体はものすごくまっとうだったと思う。なにしろ球場自体が被害を受けていたり(東京にも)周辺の道路がまだままならない状態の地区があるというのに開幕を強行しようとした巨人ら数チームのほうがどう考えても普通ではない。

蓮舫大臣(?)のプロ野球機構側に対する要望と選手会側の希望というものがまるで一致しているかのように思っている人も多いようだがそうではない。

まるで暴言のように聞える石原都知事の主張のほうが実は首尾一貫しているといえる。(あくまでも蓮舫に比べればだが)

石原都知事の主張である(電力使用を抑えるために)「自販機の撤廃」と「パチンコ店の営業自粛」というのもそれだけを捉えると実にナンセンスだが、夏場の昼間、東京23区の使用電力を抑えるのには効果が大きい。経済効果の面を考慮しても、マイナス分を相殺してもまだまだおつりがくる。あくまでも「東京23区にとっては」あるいは「東京都にとって」になるのだけれども。

自分はもう都民じゃないし、当の23区の住民がどう捉えるかはわからない。しかしこれは比較してみて確実に言えることだが、東京には無駄な自販機が多すぎる。半分にしたって誰も困らないだろう。横浜も中心部はそうだ。これは想像だが、大阪もそうだし名古屋もそうなのではないだろうか。

大体が4社5社の飲料メーカーの自販機が所狭しとばかりずらりと並べられているのを見て何も感じないという人がいたらその人は何か大切なものを忘れている。

自分も目黒本町や世田谷の経堂でビデオレンタル店の店長とかやっていたので、そういう自販機を設置する業者の方とお会いしているし商談も相当な回数こなしている。それ以外でもたとえば広告の仕事で、自販機の内部デザインのこともやったことがあるのでメーカーサイドから見た場合の自販機の位置づけというのもなんとなくだがわかっているつもりである。

メーカーからすると自社商品だけで完結している自販機を置きたがる最大の理由は、自販機がただ単にものを(人に代わって)売る販売機ではなくて、自販機そのものがメーカーの広告塔になっているからにほかならない。その目的があるからこそああやってなるたけ目立つところに自社単独の自販機を(他社と競うように)置きたがる。それがなければああいうところにある自販機の売り上げからの利益自体はどこもかも非常に薄く、ものによってはむしろ赤字なんじゃないのか。>メーカーももちろんどこもかもそんなことは承知の上だが競争心理で手が引きにくくなっている。

いつのことだったかははっきりと思い出せないが、自分が自分の担当する店舗から自販機の取り除きを主張をしたときに上を納得させたり渋る業者と折衝したりして相当に手間がかかったことがあった。そもそもその店舗はコンビニだったところをそのままビデオレンタル店に業種変えしたもので、そのときにあった自販機がそのまま(10年近くか)設置されていたものだった。

自分がビデオレンタル店の店長として店前の自販機を取っ払いたいと感じたのは、店前が自販機だらけでオモテを通る人たちにすればなんの店なんかよくわからない状態だったからだ。要するに、自販機を置いて日銭を稼ぐために店前の重要なスペースを提供するよりも、入荷する映画ビデオのポスターを貼るために使ったほうが本業にとってはるかに有用だと感じたので取っ払わせたのだ。

話題を元に戻す。まあ自販機の全廃はどう考えても暴論である。できるはずがない、しかし、東京の場合でいうと公道にはみ出すようにしてずらりと設置されている自販機類は道そのものの本来の機能を半減させている。場合によっては非常に危険な存在だということを今回の大地震で初めてわかったという人も多いのではないだろうか。

「石原暴言」というものも、この人の「現在の日本人の生活様式(特に東京)は無駄なものばかりであふれかえっているのでせめて昭和40年代(1960年代だったか)ぐらいに引き戻す必要がある」という常々からの主張から来るものだろう。まあそれが正しいこととは自分はちっとも思わないし「無理でしょう」と感じるだけだが。

しかし、蓮舫みたいな付け焼刃というか、ただの上っ面だけの発言とは比べ物にならない。それも事実。というか東京の有権民よ。都知事を石原に選んで参院議員の比例区のトップが蓮舫ってなんかおかしいこととは感じないのか。外から見てても、このふたり絶対に並びたたない存在なんだが。

2

自販機のことについて書いたら「パチンコ屋についてはどうでしょうか?やはり節電のための営業自粛は必要でしょうか?」という質問が来ました。やっぱり来たかという感じ。自分も(石原暴言のもうひとつである)こっちについてはなるべくなら触れずにいたかったからなのだが。

自分は出された数字を見てそれを元に判断したり自分の意見を言ったりしているだけだが、これ(パチンコ屋の営業自粛)も単純に電力の問題だけだとしたら別に東京23区のパチンコ店だけが自粛をする必要なんかないんじゃないのかなと思っていたりもする。そこは数字だけ見る分には微妙なところだ。

東京(23区)には確かにパチンコ店それに類するようなホールは多い。でも単純に人口で比較すると、東京よりもむしろ仙台、仙台近郊のほうが多いということになるのでは。

3.11以後、仙台市の中心部では営業自体を取りやめたパチンコ店、ホールが多い。

自分はパチンコもパチスロもしない。(たまに映画の時間調整のためにゲームセンターで時間潰しをすることはある)そういう人間はどうしてもこの問題については「自粛しろ」と主張しがちなところがある。それとは別に、いろいろな背景、たとえば北朝鮮との関係からパチンコそのものを日本から廃絶しろと主張する人もいたりするわけだ。

それと自分の意見はまったく別のものである。念のために前置きしておく。やはり仙台でも東京でも人口の密集した地区でのパチンコ店の営業は禁止するべきだと思う。理由は危険だからだ。

そもそも消防法とかに照らし合わせて考えてみても、ほとんどの人口密集するような(駅前であるとかの)場所にあるパチンコ店は営業面積に対しての収容人数が多すぎて非常に危険な状態になっているところがとても多い。

3月11日、東京もまたこの大地震で相当に大きな揺れを記録している。震度5強を記録したところもある。中央区日本橋箱崎にいる親戚の家の人も「まるで船にでも乗っているような揺れだった」と言っていた。

中目黒(のタワーマンション)に住む友人も「部屋の中のものが右に左にいったりきたりして『これは夢だろう』と思った」とか。

同じく東京の友人のひとりはそのときパチンコ店にいたという。地震の大きな揺れが始まると店の中は停電で真っ暗になり、積み上げてあった箱がひっくりかえってパチンコ玉が床に流れ出し、それに足を取られて転倒してケガをした人が何人も出たというのだ。パチンコ(ホール)はどこもかもそんな状態だったという。中にはこぼれた玉の所有を巡って客同士の争い事になっていたところもあったらしい。ちなみにその友人がいたのは新宿のパチンコ店の二階だったそうだ。地下にあるパチンコ店では客が一斉に出口に殺到したためにかなり危険な事態になったところもあったといっていた。

そういうはなしを聞くと、仙台もだし、東京23区も、関東、東日本のどこででも、駅前で営業しているような地下にあったり、狭い店内にぎっしりと客が入るようなパチンコ店は、営業を自粛するとかじゃなくて、この際、営業禁止にしたほうがいいのではないかと自分は思うのだ。今回は幸いに火事による死者はほとんど出なかった。しかし次に来る大きな地震でこのような危険な店で火事による死者が出ないという保障はどこにもないのだ。

でなければ風営法と消防法に手を入れて、パチンコ台の台数を現行の半分くらいに減らさせて客の安全が確保できるようにさせるとかしないと。

いやこれはパチンコ店だけのはなしではないな。ゲーセンもそうだし映画館だってそうだ。これはもう電力の問題ではないと思う。電器販売店も、ネットカフェも、もちろん書店もビデオレンタル店も、ドンキホーテのようなディスカウントショップも、もしなにかあったときに客の安全が確保できないというところはこの際営業を自粛するとかではなくて一旦は営業は停止し、徹底的な安全策というものを施して営業が出来るところだけが営業をすべきではないのか。自分はそう考えている。



追記

たとえばこの記事
なんかを出してきて「あなたの結論とは真逆なんだが」と書いてきてくれた人がいた。
いやしかし記事をよく読んでもらえればわかることだが自分が上で書いたこととこの記事の内容は「真逆」でもないし「矛盾」もしていない。

自分が有効であると言っているのは、あくまでも「東京(23区)の真夏の昼間の電力消費量を下げるためには」という限定条件下でのはなしである。だから自分も「全廃はナンセンス」と書いているのだが。
勘違いしないでね。自分は何も石原都知事のこのラジカルな提言に賛同をしているのではないんだ。

また、メーカーから見た場合の「自販機からの売り上げ、利潤についての説明」も、特に大きな矛盾はないと思うのだが。自分が「利益は薄い」「むしろ赤字なんでは」と書いているのはこういう四・五社が何台もの自販機で競合しているような場所についてであって、日経で書いているのは、グロス(総量)としての自販機の売り上げ、利潤についてだ。問題の本質が全然別物でしょう。

自分がここで書いているのは、あくまでも「東京(23区)夏場の電力消費量」というミクロな視点からである。夏真っ盛りの真昼間の電力使用量が限界を越えないために「自販機稼動の電力の総量」をゼロにしたらほかのこと、たとえば輪番停電は必要なくなるということ。
http://www.nikkei.com/biz/product/article/g=96958A9C93819499E0E0E2E19F8DE0E7E2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E0E2E0E0E2E3E2E6E0E7E0

2011年4月18日月曜日

災害時 PHSは有利だったか


これについて
PHS、震災時に強く 規制少なく「つながった」「見直されてもいい」
119番通報や、家族への安否確認の“命綱”になっている携帯電話。東日本大震災では東北地方の多くの基地局が不通となり、電話がつながりにくい状態が続いた。一方、PHSやインターネット電話のソフトウエア「Skype(スカイプ)」は比較的つながりやすかったとして注目を集めている。通信方式などが携帯電話と異なるためといい、専門家は「災害時には非常に有効」と評価している。(大竹直樹)

 「PHSは震災当日からつながった」。こんなコメントがインターネットの掲示板などに書き込まれ、話題になった。

 国内で唯一PHSを取り扱っている通信会社ウィルコムなどによると、携帯電話は、1つの基地局で広いエリアをカバーしているため、通話が集中する災害時には、交換システムがダウンしないよう通信会社が通話規制をかける。これに対し、PHSは数十~数百メートルおきに、きめ細かく基地局を設置しているため、1つの基地局にかかる負荷も分散され、通信規制をかけることが少ないという。

 これまでも震災時に通話規制をかけたことはなく、今回も3月11日に他社の携帯電話への通話規制を数時間実施した以外は、規制をしなかったという。

 ◆近隣基地カバー

 だが、中継局や基地局が津波や停電などの被害を受けた場合、通話できなくなるのは携帯電話と同じ。通信会社各社によると、大震災発生直後、NTTドコモは6720局、KDDI(au)は3680局、ソフトバンクモバイルは3786局が不通となった。

 ウィルコムは岩手、宮城両県を中心に1万4千弱の基地局が中断したが、同社は「自家発電設備のある医療機関などの屋上に基地局があれば、周辺が停電になっても機能する」(広報担当者)と強調する。理由は1つの基地局が停電などで不通になっても近隣の基地局がカバーする仕組みになっているからだという。

 通信関連の専門書籍を手掛ける「技術評論社」の馮(ふぉん)富久さん(36)は「災害時に強いツールとして、PHSが見直されてもいい」と話す。

 ◆スカイプも有効

 こうした交換システムを経由しないスカイプなどのインターネット電話も災害時に強いツールとして見直されている。インターネットに接続できるスマートフォン(高機能携帯電話)で利用できるスカイプは、世界で5億人以上のユーザーがおり、KDDIの機種には標準搭載されている。

 馮さんは「スマートフォンを持っている人は、スカイプ経由であれば発信できた可能性があり、PHS同様、災害時に命綱になりうるツール」と話している。

 一方、防災普及活動などをしている財団法人「市民防災研究所」の細川顕司事務局長(67)は「PHSなど複数のツールを持っておくことも有効だが、災害が起きたら携帯電話は使えなくなることを念頭に、日ごろから、必要な電話番号などはメモに控えておくなどの対策を取っておく必要がある」と指摘している。

産経新聞
gooニュースより
おそらく2ちゃんねるとか、あといろいろなところで晒されてしまったようなのだが、自分はウィルコムPHSユーザーである。仙台市内中心部で言えば、携帯よりもむしろPHSのほうが繋がりやすくしかも音がいい。そういうことがあったので、知り合いが契約した二回線(二台)のひとつを折半するようなカタチで持っていたのだ。つまり自分は記事で書かれている「被災地に住むPHSユーザー」ということになる。それで、上の記事の内容について自分なりの正直な感想を書いておくとする。

書いてあることはほぼ事実である。PHS同士でならば震災当日の11日もなんとなくだが7割強の確率で通話も出来たし、メールも遅延なく送受信できていたのであるこれが。しかし、PHSから他社携帯(固定)、あるいは他社携帯(固定)からPHSへの通話はほとんどがダメだったと言っていい。完全なカタチで復旧したのはやはり10日以上経ってからだった。

だから、果たしてPHSが災害に強いツールと言えるかというと、自分は「それは違うぞ」という感想を持っている。

あのような災害時でもPHS同士で通話が出来ていたのはそれなりの幸運というか要因いくつにも支えられていたからだ。ひとつは自分らが避難していた友人の実家の近くには大きな病院があって、当然その病院には自家発電の設備があるわけで、そして院内連絡網としてのPHSのアンテナがいくつも立っていたということがある。もうひとつは停電時でも端末の充電が出来るものがほとんど揃っていたことだった。これがなければいくら「災害時に強い」といってもどうにもならなかったと思う。ほかにも以前誰かがどこから持ってきたPHSと共用アンテナ基地局の位置を詳細に書き込んである地図があったり、そういう強運に恵まれていたこともあった。

自分が「それは違うぞ」と言い切るのは、やはりPHSのユーザーの数が極めて少なく、しかもほとんどのPHSユーザーが、やはり近くに生きているアンテナがなかったために通話(もメールも)出来なかったということを相当数見聞きしているからだ。

そうなるとね、単純にPHSユーザーの何%かの人が「少数派の優位をむさぼっていた」というだけのはなしで、果たしてそれをして「PHSは災害時に強い」ということに結論付けるのは間違いじゃないのかと。そういうことを言いたいいのだ。

現実に、自分らは震災3日目の13日に多賀城というところまで自転車で往復行をしたのだけれども、途中からは、ほとんどのエリアで(地図にアンテナありになっていても)PHSでは通話もメールの送受信も出来なくなったのである。水没か停電か、とにかくPHSのアンテナがほぼ壊滅状態だったようなのだ。やはり、そういう場所でも一番繋がりが良かったのは結果的にdocomoだった。もっとも、輻輳(ふくそう)も酷く相当に厳しい状態だったのも事実だけれども。あと、繋がる繋がらないはともかくとしても端末が水濡れや衝撃に強かったのは、さすがというべきか「CASIO」のG'z One(あのG-SHOCKみたいなやつ)だった。もしdocomoでG'z One端末があったならば最強ということか。ないんだけどね。そんなものもちろん。あと、ソフトバンクだけれども、なんかほとんどダメダメだったみたいです。

2011年4月17日日曜日

原発について

「原発について」あるいは「原発事故について」の質問が来ている。こういうのは簡単には答えにくい。たとえば「原子力発電」ひとつをとっても「(実用化されている)核分裂発電」と「(まだ研究中の)核融合エネルギー(による発電)」とは本来別に考えなければならないものだからだ。

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「あなたは原発推進派ですか、それとも反対派?」というような「旗色を明示しろ」みたいな質問も来るが、それに対する答えは「どっちでもない」になる。無理矢理なたとえになるがこういうこと。毎年多数の自動車事故による死亡者がでている。だからといって自動車の存在を全廃しろと叫ぶ人はいるだろうか。それとだいたい同じ。要するに原発もだしクルマもだし、おそらく飛行機も、石油などの化石エネルギーもすべて、結局は使う人間の問題だというところに収斂されてゆくような事柄だからだ。

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ただこれは言える。これはこのブログでも書き続けてきたことだが、原発頼みのエコ派、地球環境派の人たちの言っていることはずっと昔から「おかしいだろう」とは言い続けてきている。安全コストの問題としてだ。原子力発電を安全に運用するのには相当に多額なコストが必要なのだと。それはずっと言い続けてますよ。

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ほかの地方の人からすると「バカじゃないの」かもしれないが、大津波で沿岸にある町の中心部が壊滅状態になった宮城県女川町の人たちは高台にある女川原子力発電所の中に避難した。町民はそこが町の中で一番安全な場所だと知っているからだ。

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いや、もし自分が同じような立場だったら、やっぱり原発の建物の中に避難すると思う。あまり知られていないことだろうが、原発の敷地内にある建物の多くは津波とそして外からの放射線を防ぐ鉄壁の防護仕様になっている。だからこのような事態に原発から離れるよりも原発の敷地内にある建物に逃げ込んだほうがより安全なのだ。

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放射線物質の取り扱いというものを一番怠っていたのは東京電力だろう。よく「運が悪かった」とか「天災だから」みたいな同情論があるが、自分はそういう同情論には一切与しない。

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地震がありました。津波で施設がやられました。外部電源が取れなくなりました。自家発電施設が動きませんでした。 ここまではまあその「天災の部類」だろう。でもここまでは「東北電力女川原子力発電所」も条件は同じなのだ。そこから先の明暗をわけたものとは何なのか。もちろんそれについて自分もそうだし多くの人も「東京電力のヒューマンエラーである」とその責任を追及しているのである。ごまかしは通用しないしさせてはいけない。たらればになるが、もし福島にある東京電力のふたつの原子力発電所に30メートルは無理でも15メートル級の津波が押し寄せても絶対に安全で稼動可能な自家発電施設がそれぞれひとつづつあったならばこのような深刻な事態にまで発展しただろうか。誰が考えたってわかることだよな。

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同様、政府のこの事件事故に対する対処は(素人の自分が見ても)びっくりするようなオソマツぶりである。菅直人は事故後に「現場を視察する」といって周囲がとめるのを振り切るようにしてヘリからの上空視察を強行した。アホか。関係者はそざかし背筋が凍りついただろう。菅直人に聞きたいのは「あなたは現場を上空から視察して何かがわかるという専門家なのか」ということ。ヘリを飛ばして上空視察するんだったらそれより先にしなければならないことはもっといっぱいあるだろう。首相ならば。たとえば現地福島で会わなければならない人だっていたはずなのだ。それらをすっとばして「自分は上空から視察したんだ」という箔付けを取った菅直人は信用ならないと思う。せめてここはヘリに乗る前に辞表を書くとか、次の首相は誰にするとかをちゃんとした上でヘリ視察をして欲しかったと思っている。

2011年4月16日土曜日

仙台コンビニ事情


仙台市内についてのみ言うのであれば、コンビニも大半は営業を再開しているし24時間営業体制になっているところも多い。

しかし品揃えだけはどこもかもまだまだである。自分の知り合いがオーナーのコンビニ(サンクス)について言えばかなり深刻な状況といえる。

決してモノがないというのではない。置きたくても置けないものが多くて困るというのだ。何かというと、カン・ビン類、冷凍食品、冷蔵食品の類である。ほとんどコンビニの主力食用品、商品ばかりではないか。

要するに、群発している大きな地震(余震)のことを考えればだ。大きな地震はいづれまたやってくるだろう。そのときに再び復旧できるだけの余力はもうないということ。停電になったら全滅不可避の冷凍食品冷蔵食品はしばらくは置けないし、落ちて割れたり変形するビン類カン類もなかなか置きにくい。そういうことを言っているのである。まあその点では、自家発電設備でもない限り大型小売店と状況はあまり変わらないだろうが、とにかく少人数で店の内外のことをやらなければならないコンビニはどこもかも大変なようだ。

解決策、まったくないということでもないんだが。誰もがわかるような簡単な方法である。但し、フランチャイズによるチェーン展開というタテ組織そのものを破壊することになるのでどこもやらんだろうが。

ペットボトル類も結構大変なことになっている。自分はよほどのことがない限りはコンビニで飲み物を買って飲むときには伊○園のお茶濃い味にしているのだが、震災以降に製造されたものはボトルの容器が妙に薄くて、ボトルを強く持ったときにべこりという感じになったときには「これも震災の影響か」としみじみとそのボトルを見つめてしまった。もちろん伊○園だけではない。各社から出ている全てのものが皆そんな感じらしいのだ。そばにいた女性は「潰しやすくていいよね」と逆に歓迎していた。コンビニ勤務の経験があるらしく「軽くていいかも」とも言っていた。まあ確かにそうなんだが。

2011年4月15日金曜日

本日一番苦笑したニュース


このニュースには苦笑させられた。不謹慎だがお許しを。
「福島原発事故レベル7は過大評価」ロシアの原子力専門家
日本政府が12日、福島第1原発事故の深刻度を国際評価尺度で旧ソ連のチェルノブイリ原発事故並みの「レベル7」に引き上げたことに対し、ロシアの専門家らからは「過大評価だ」などと疑問の声が上がった。タス通信が伝えた。
国営原子力企業ロスアトムのノビコフ報道官は「当初の評価(レベル4)は低すぎたが、今度は振り子が逆に振れ、高すぎる」と指摘。事故発生時に深刻な健康被害が出ていないことなどを理由に、レベル5より高くはないとした上で、レベル評価を含む政府の対応をこれ以上非難されないための政治的判断との考えを示した。
ロシア科学アカデミー原子力エネルギー安全発展問題研究所のアルチュニャン副所長は、福島の事故で住民が浴びている放射線量は、日常生活で自然環境から受ける量の10分の1程度であり「健康への影響から判断すればレベル4にも届かない」と述べた。

日刊スポーツ4月12日の記事
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110412-760410.html

「過大評価」というのも日本語としてどうだろうか。これだとロシア側が「もっと上の8とか9だ」と言っているようにも取られかねない。もちろん本文の通りでロシアの専門家が主張しているのは「せいぜい5とか6だろう」ということだから(今度は下方修正が必要なくらい)「評価7は過剰」といったほうがふさわしいのでは。

「何故?ありがたいことではないか」という印象を持った方もいるかもしれない。そうではない。これは下手するとロシア(旧ソ連)のプライドをズタズタにしてしまう可能性があるので彼らは予防線を張ってこのようなことを言い出しているに過ぎない。

6年以上も前のことになるが、国際政治学が専門の某国立大学准教授(当時は助教授だったかもしれない)が「ロシアはチェルノブイリ事故をネタにヨーロッパ各国をゆすっている」と言っていたことも思い出した。

この福島第一原発の事故がチェルノブイリ並みだと世界的に認知されてしまうと、今度は今まで通用していた「人類史上最悪の原子力発電所事故」を理由に各国からいろいろな名目で金を引き出させていたロシアがそれが出来なくなる。

おそらくこの福島原発事故がフランス・アメリカ(IAEA)主導で収束してしまうと(自分はそれを願うが)、25年前に起きて今尚深刻な被害を周囲に撒き散らしているチェルノブイリ原発事故のロシアの対応策の拙さが浮き彫りになってしまうだろう。世界各国からは「ロシアよ、おまえは何をやってたんだ」と非難される可能性が出て来る。そういうこと。まあだから自分が「思わず苦笑」というのはロシアの当事者達の情けなさに対するもの。

2011年4月13日水曜日

日々是発見


「からだの具合はいかがでしょう?」というメールがあったりしてご心配をお掛けしている。申し訳ない。こっちでもちゃんと書いておくべきだったか。大きなケガこそないが、大震災の3月11日当日からいろいろとハードなことばかりやっているので細かなケガの絶えない日々が続いている。

日々の食生活について「まともなもの食べているのか?」みたいな御心配もだいぶあった。いや申し訳ない。最初の二週間ぐらいについていうのならばそれこそ缶詰とかレトルトばかりだったが今ではそうでもない。

停電中でも「冷蔵庫」はあったので肉も野菜も備蓄はそれなりにあったことはあった。ただ、集まった人間の都合で料理らしいものを一切作らなかったというだけで。冷蔵庫といってもところどころに残っている根雪をかき集めて大きなビニール袋に詰めて容器に入れて冷蔵庫の上の段に入れておいただけのものだ。でもそれだけでも雪を追加して停電が回復した7日目くらいまでは充分に中のものはもっていた。

あれは最初の5日目くらいだったか。仕事用のアパートに戻って後片付けをしていたときに冷凍していた肉類の期限がそろそろヤバイということで「この際まとめて処分しよう」とアパートの駐車場で焼きソバとかバーベキューをやっていたら、同じアパートの住人の人やおそらく近所の人たちが次々と「これもお願いします」と自分の家の冷蔵庫にあった肉や野菜を持ち寄ってきたことがあった。普段はあまり繋がりのない人間同士でも、このような非常時にはこうやって集まったり同じものを食べたり会話したり笑ったりもする。それが体験だけでも、わかっただけでも大きな収穫だった。

2011年4月4日月曜日

テレビなどのマスコミが伝えないもの




東日本大震災のあった日から三日目の3月13日日曜日の出来事を書く。

この日、自分は同じ友人宅に避難していた仕事仲間ふたり、NとMと多賀城駅まで往復をした。

松島の近くに住んでいるというNの知り合いの女性ふたりが、こちらを目指してきているのだが、途中JR多賀城駅あたりで足止めをくっているというので彼女たちを迎えに行くというのだ。

最初は「行ってらっしゃい」と言ってNとMのふたりを送り出すつもりでいた。


するとNから「かまたさんも一緒してくださいよ」と頼み込まれた。

「なんで?」と訊くと、Nは「だってかまたさんあのあたり詳しいじゃない」と言われる。

確かにそうなのだ。少なくとも、オモテである国道45号線沿いだけを行くというのならば、なにも自分がわざわざ同行することもないだろう。しかし国道45号線が途中で分断された状態の今、ウラをどう(歩いて)ゆくとか、どこが安全か安全ではないかとかそういう細かな事情を一番よく知るのは4人の中ではこの自分だ。

というような経緯で、自分もまた自転車で福田町から多賀城までの往復に同行することになったのだ。


その行中、自分が目の当たりにしたものとはここでそのまま書くのもはばかれるような無残なものばかりだった。






国道45号線のJR中野栄駅にたどり着く。

ここからの目指す先は津波に水没した地帯であり、車両通行止めの処置が取られていた。


アスファルト塗装の国道路は見渡す限りどこまでも押し流されてきた土砂や泥、無数のゴミで埋め尽くされている。かろうじてところどころに轍(わだち)が出来ている状態だった。

そこから先は自転車は降りて押して歩いてゆかなければならなかった。

そう、おそらくは皆さんもテレビなどで何度も目にしただろう。あの2メートルの津波に襲われたあたりを我々は通過したのだ。


自分達三人は道路に出来た轍を頼りにして自転車を押して多賀城駅まで向かった。ノロノロと。




自転車を押しながらのろのろと進む我ら一行が途中みかけたものとは、まさに非日常世界と呼ぶにふさわしいものばかりだった。

たとえば、大規模酒販店の前には泥だらけになった焼酎の樽をバンにぎっしりと積み込む男達がいた。
ガラス戸の破られたコンビニから籠いっぱいの食料品や飲み物を持ち出している年老いた女性がいた。
いまこのあたりの津波に襲われ水没したような地域ではどこでも同じような出来事が起きていて、このような光景がごく普通に見られるのだろう。想像に難くなかった。

ここから我々には同行者が増えた。

中野栄駅の向かい側にある薬局の前で自転車を停めて携帯で必死になって話をしていた二人組の男と暫しのあいだ情報のやりとりをしたあとだった。

そのふたりが先を行く自分達に追いつくと向こうから声を掛けてきたのだ。

携帯が繋がらないのはこの場所に問題があるのか、それとも携帯会社そのものの問題なのかというようなことを尋ねてきた。簡単に言えば、同行のNの手にしていた携帯端末を指して「繋がらないのは近くの基地局がダメになったからなの?それともa○だからなの?」と声を掛けてきたのだが。

追いついてきたふたりから詳しい事情を聞いた。ふたりは塩竈市にいる知人の安否を確かめにゆくのだという。先ほどこちら三人の携帯のそれぞれのキャリア見て、五人揃うと全キャリアをカバーできることになるのに気づいたという。なるほど確かに言われるとおりで、五人まとまって移動するメリットは計り知れないものがあることにこっちも気がついた。

新たに同行となったふたりは自分たちが見てきたというものをまるで競うようにして口にしはじめた。

たとえば、まだ半分水没して散乱状態の酒屋から大量のボトル類を運び出していた男たちを、今度は別のグループが取り囲むようにしてなじりはじめる、そしてついにはそのボトルの奪い合いになっていたとか。あるいは、ゲームショップから子供達がソフトやハードを大量に持ち出していたが、やはり数人の大人たちに取り囲まれて足蹴にされて収穫物を奪われ、なすすべもなくただ泣きながら頭を抱えるようにしてじっとうずくまっていたとか…。

このような話を耳にしてなにが悲しいかといえば、それをとがめたりするものが誰ひとりもいないということかもしれない。自分もまたそういう光景を目にしてもただ通り過ぎてきた人間である。

遠くでもうもうと黒煙を上げて炎上するコンビナート基地の方角から時折低い爆発音が響いてくる。
二台のヘリコプターが低空を何度も旋回飛行しているのでとにかくうるさい。
どうしても声が大きくなる。


このあたり国道45線沿いにはゲームセンター、レストランといった大型店舗がいくつも並んでいる。これらが皆二メートルの津波に攫われたわけだからその被害は甚大である。

波に流されてひっくりかえっているおびただしい数の車の間を縫うように進んでゆくと、津波の被害とはまた別の意味で滅茶苦茶にされている建物がいくつもあった。

特に酷いものではウィンドウのガラスが叩き割られ、鉄製の分厚い防火扉がねじ切られていたものもあった。
それはサラ金の営業所だった。

同行のMが大声で「もう向こう側からケンシロウとバイオレンスジャックとメル・ギブソンが揃って歩いてきたとしてもオレ驚かない!」などと叫ぶ。

アホかと思いながら聞き流していたが、途中同行のふたりはにはツボだったらしく、不謹慎なくらいにゲラゲラと大きな声で笑い転げる。

NがMに向かって「いくらなんでもそれは無理! あ、でもメル・ギブソンはアリか」と突っ込みを入れる。

「なんでメル・ギブソンだけアリなの?」
「ケンシロウとバイオレンスジャックはマンガだから絶対無理!」
「マッドマックスだって映画だろ!?」
「マッドマックスはナシでも、メル・ギブソンなら実在人物だからアリ!」

みたいな徒労で無意味な会話というか怒鳴りあいが続く。

しかし、そんな不謹慎な一行でも、特に被害の深刻な多賀城駅前近くのあたりに差し掛かるとそんな気分が吹っ飛んでしまっていた。修羅場というのだろうか、人々がそこかしこで泣き、わめき、怒鳴りあっていた。

屋根瓦の崩れたような古い民家の前では、数人が地面に敷かれたブルーシートを囲むようにして泣いていた。

チラリと覗き込んだMが「犬ですね…」と呟く。切ない光景だった。繋がれたまま押し寄せた津波になすすべもなく命を落としたのだろう。飼い主の気持ちを思うといたたまれなくなるような出来事である。

そんな光景を、いくつもの悲劇というものをまるでパノラマのように目の当たりにして五人は多賀城駅への交差点までやっとたどり着く。ここまでくるのに一時間は有したかもしれない。いつもならばクルマで10分もかからないような距離である。

あたり一面に立ち込めるガソリン臭というものがこの場所の一層の危なさというものを物語っていた。

ところが、そんな危険な場所だというのにくわえタバコで歩いている若い男がいたりするのである。
近くに立っていた銀色の服に固めた消防団員が大声で若い男に注意をする。
しかし、その若い男は「我レ意ニ関セズ」とばかり無視して通り過ぎてゆこうとした。
が、その後ろを猛ダッシュで追っていった中年女性に咥えていたタバコをもぎ取られていた。
非常時でなければありえないような、それこそコントのような光景だった。

「どうしますかこの先曲がります?」途中から同行の男達のひとりが尋ねてきた。

決断を下した。自分が「やっぱり、多賀城の駅前から探さないと…」と、ここからはふたりとは別行動をとることにした。

ふたりは「やっぱりそうしますか…」と名残惜しそうに答えた。

2


(撮影:M2号)

駅へつづく交差点を曲がると、そこはさらなる惨状であった。
まるで折り重なるようにして複雑に何段にも積み上げられた乗用車。
泥だらけのパトカーやタクシーが道路のあちこちに放置されたままだ。

そのエリアを通り過ぎると、今度は道路の両端には無数の疲れ果てた人々が。

毛布に包まり道端に座り込む人たち。
繋がらない携帯に向かって罵声を浴びせて歩き回る若い男女。
抱き合い大声で泣きはらすひとたち。
ぼさぼさの髪で当日起きたことを周りのひとたちに語る人。
それに耳を傾ける人たちであふれかえっている。

どんな表現をつかっても伝えられないような光景がどこまでもどこまでも続いていたのだ。

自分達はそれらの人をかき分けるようにして前に進まなければならなかった。

橋を渡りたどり着いたJR多賀城駅前はさきほど目にしたところに比べれば、比較的震災の大きな被害は見当たらない。しかし、橋の向こう側とはまた違ったまがまがしい雰囲気に満ちていた。

「カラスが多いよね…」同行のNが空を見上げる。
言われて気がついた。この多賀城駅前を支配している禍々しい雰囲気の原因はカラスの鳴き声がまるでコダマするように四方八方から聞えてくることだったのだ。

Nは「カラスもさすがに津波には驚いたか…」と言いかけるが「違う…」とMが口をはさんだ。
「違う。そうじゃないでしょ、これは…」

身長二メートル近いMは後ろを振り向くと、今まで自分たちが歩いてきた方向のさらにその先を指差した。
「ないんだよ…巣が…」

ハッとした。きっとそうなのだろう。
カラスたちが営巣していた木々もまた津波で根こそぎもっていかれて、場所を失ったカラスたちがこちらに避難してきたのだろう。

沿岸の土地がごっそりと巨大津波にやられたという事実を示すのがこの禍々しいまで響き渡るカラスの声なのだ。

三人を包んだ深い沈痛を破ったのはNの「あっ、いた!」と「あそこあそこ!」と言う声だった。
Nは前方を指差す。

指の差す先には駐輪場の建物がある。
その立体駐輪の前は半円状に広がるスペースになっている。その片隅に五人ほどの若い女性たちのグループが地べたに座り込んでいるのが見えた。

Nが手を振り「おーい!」と大声で呼びかけるが、気がつかないようだった。誰一人としてこちらに顔を向けない。
Nが駆け出して今度は「○○ちゃん!」と名前を呼ぶと、ひとりがこちらを向いた。

と同時に、彼女の前にしゃがみこんでいた若い男が振り向きこちらを鋭い目つきで睨んできた。

「くんなよ おっせーだよ おっさんよお」若い男は吠える。

その挑発的な態度の若い男は立ち上がると、まるでマンガかVシネに出て来るチンピラの真似でもしているのかと突っ込みを入れたくなるような彼の人生信条が丸わかりのガニ股歩きで肩をゆらしながら近づいてくる。

が、そこで彼ははじめてNはひとりではなくて、こちらが三人連れ(しかもひとりは身長2m級)であることに気づいたのだろう。こちらを睨んでいた男の目が突然という感じで泳ぎはじめた。
そしてなにか捨て台詞を口にするとその若い男は去っていった。

3

足止めをくっているのはふたりだと聞いていたのだが、実際はひとり多い三人だった。
さらに途中から合流したというふたり組も加わっていた。

これで我々三人は五人の女性をそれぞれ無事に仙台まで送り届けなければならなくなったということになる。
最初自分が思っていた以上に大きな仕事になってしまった。


再びここで帰路について議論がなされた。

今来た道を引き返すようにして国道45線沿いを歩いてゆくのもひとつの方法だが、先ほど自分達が目の当たりにした惨状を彼女達に見せつけるのもどうかということで、最終的に自分の判断で仙石線の線路の上を歩いてゆくことにした。決め手となったのは昨晩聞いたラジオの報道だった。仙石線の線路の上は歩行者であふれているということを耳にしていた。つまり少なくとも危険性は薄く、歩行禁止にはなっていないということと、駅と駅の間をゆくのであれば線路の上を歩くのが最短距離になるからだ。

多賀城駅から再び橋を渡って今度は八幡(やわた)方面を行くことにした。さすがに鉄橋の上を歩いて渡るのは(大きな余震の可能性もあるわけだから)避けたほうが賢明だと判断したからだ。

右折して八幡二丁目の小道に入った。ここも津波が押し寄せ水浸しになったようだ。

道のところどころにまだ手付かずのまま取り払われていないゴミが散乱している。

途中からさらに角を曲がって坂道を登った。

女性の誰かが「大丈夫なんでしょうか?」不安そうな声で言った。

自分は「こっち真っ直ぐ行くより絶対に確実に安全だから…」と言って聞かせる。

登っている坂の途中から道路の表面の感じが違ってくる。見違えるほどきれいなままだ。ここからは海水に浸されなかったということがひとめでわかる。

両脇の住宅の塀の濡れ具合を見てもこのあたりが津波の限界点だったことがわかる。誰かが「ここまではさすがに津波は来なかったのか…」と言う。

もう少し坂を上ってゆくと、お年寄りの男性に「どこさ行ぐの?」と声を掛けられる。
「線路伝いに仙台まで」と答える。

するとそのお年寄りは怪訝そうな顔つきになると「仙台まで? 歩いて?…遠いべっちゃぁ…」とため息交じりに言う。

そのお年よりはおそらく「仙台駅」と聞き間違えたのか勘違いしたのだろう。我々がとりあえず目指しているのは二駅向こうの陸前高砂駅である。

自分はそこに立っている古い松の木を指差してお年寄りに「波は越えなかったんですね?」と尋ねてみた。

老人は不意をつかれたようだった。ちょっと間をあけてから、感慨深げに
「あー、んだんだ 末の松山…波越さじ…だっけ…」と松の木を見上げた。

全員がつられるようにしてそこに聳えたつ大きな松の木を見上げた。


(撮影及び写真提供:momoさん)

末乃松山について

4

その古い松の木の存在が意味するものについて同行のNが女性たちに向かって一生懸命に説いていた。
「とにかく今度の地震は百年に一度どころか、千年に一度の大災害だってこと!」

千年に一度の大災害 まさしくそうなのだろう。約千年前にこの地を襲った地震と津波の恐ろしさはまたたくまに都に伝えられ、京都のひとたちを震えさせた。いろいろな伝説やら噂話が街中を駆け巡ったと伝えられている。それは今のマスコミの勘違い報道っぷりとどこか似ているような気もした。

再び下り坂を下りて行き、大きな道路と立体交差する陸橋の前に出る。階段の柵のカギは解放されていて、そこから何人もの人が昇り降りしているのが見える。我々もそこから線路に入ることにした。

仙石線の線路上は行き来する人でいっぱいだった。ところどころ線路がたわんでいたりする。しかし、皆意外なくらいに元気だった。枕木でデコボコする二本の線路の間を自転車に乗ったまま通り過ぎてゆく人もいた。

女性陣はここまできてやっとほっとしたのだろう。急におしゃべりになりはじめた。いろいろなことを喋りはじめる。その中で途中合流のふたりから彼女達の事情というものを聞く事ができた。

ふたりは松島のさらに向こう側の鳴瀬(東松島市)から途中までは軽トラで逃げてきたという。しかし塩竈のほぼ手前あたりでクルマを置いてゆかねばならなくなったのだと悔しそうに言った。

「朝になってエンジンがかからなくなって…ガス欠っていうかガソリンが抜かれてたんですよ夜の間に!」

ガソリンを求めてクルマを避難所まで押してゆき、結局そこからは歩きはじめたふたりのもとにはさっきの若い男のように「どこまでゆくの?乗せてってやろうか」と声を掛けてくる運転者が何人も現れたという。中には、車内がガソリン臭く、よく見るとゴムホースのようなものを積んでいたクルマもあったという。
「ああ、ありうる話だな…」自分は昔見たパニック映画を思い出した。

5

「(声を掛けてくるような運転者は)目つきがもう普通じゃないし…、っていうか下心が丸見えだっちゃ」

一列になって線路の上を歩いている自分のすぐ後ろの女性がつぶやくのが耳に届く。

そのうしろからか「でも避難所でああいう◎◎◎◎(超差別用語につき伏字)に付いでいっだ子もいだがらっしゃ…」

「やんだー… んなのについでいったら何されっかわかったものじゃねぇぺっちゃやぁ…」
「んだがらしゃ…」というと、そこから急に声をひそめてたぶん後ろ向きになってこちらに聞えないようにヒソヒソと話し合う気配がした。

中野栄-高砂駅間の大きな踏み切りにたどり着いた。目の前がすぐ高砂駅のホームである。自分もふだんから頻繁に利用している踏み切りだ。もっとも普段は交差している道路の方を行き来しているわけで、こうして線路から見る光景はどこか新鮮というか違和感があったが。

我々はそこで線路からそれて道路に出た。そして一行の何人かがトイレを使いたいというので使えそうなトイレを探すために一度国道45号線沿いに出ることにした。しかしいくら探してもどこにもトイレの使える店とかはないような状態だった。陸前高砂駅の駅前ロータリーにたどり着く。閉鎖されている駅舎には仮設のトイレがある。なぜ仮設かというと、この陸前高砂駅はたまたまだが改装中だからだ。
「ここ使ったら?」というと「うん…」と女性たちは気乗りしなさそうであった。「しょうがないっちゃねぇ」とひとりが言って自動改札を乗り越えようとする。隣にある銀柵を押してみたら簡単に開いた。ここも施錠はされていなかったのだ。

開放されていた改札口から出てきた女性たちはみな暗鬱そうだった。それ以上は何もいえない。

再び駅舎のオモテに出た。
ところどころに数人のグループはいるものの、駅前はいつもに比べればひっそりとしている。JA(農協)も閉鎖したまま。(ま日曜だから当たり前といえば当たり前なんだが)バスロータリーには誰もいないしロータリーに面した店全てがシャッターを下ろしたままだった。ただ、一角のタクシー乗り場には何台ものタクシーが客待ちしていた。

一行のうちの鳴瀬からのふたりはタクシーで姉夫妻が住むという東仙台を目指すというのでここで別れることにした。

笑ってしまいたくなったのは、ここにも若い女性目当ての◎◎◎◎の連中がうようよしていたことだ。
皆がまるで申し合わせたように次々に声を掛けてくる。男三人を含む集団にだ。

「チャリでどこに行くの」とからかうように声をかけて来るのもいた。自分は内心『コイツら完全にいかれているな…』思った。いや、元々おかしな人間がこの非日常の世界で本性を顕しただけだという考え方もできるかもしれない。


我々六人は再び動き始めることにした。午後も3時を過ぎて、これ以上ここで時間を潰してもなんの進展も期待できないからだ。

ここでNが突然「かまたさんちのアパート空き部屋なかったっけ?」と尋ねてきた。
「(空き部屋は)あるよ。でも、水道も電気もないところに泊めたってしかたないだろ…それよりも水と食いもんと毛布とか寒さがしのげるところだ。それがあるんだったらオレはとっくに実家に戻ってるし…」というと、Nはあっさり「そういえばそうだよね」などと気の抜けたようなことをいいだす。

女性陣はこの漫才みたいなふたりのやりとりをポカーンという感じで眺めていた。

そのときだった。カメラや録音機材のようなもの抱えたいかにも「テレビ取材班です」という感じの一行が通りかかったのは。

先頭のどこか見覚えのある男が録音マイクらしきもの手に駆け寄ってきた。そのうしろをカメラをスタンバイにしたカメラマンたちが気だるげにのろのろとついてくる。

マイクを手にした男は「こんなときでもわたしは取材慣れしてますから」とでも言いたげな、満ち溢れた自信というものを漂わせている色黒の中年男性である。

「大変でしたねぇ…」と顰め面をして近づいて来た。
「どちらのほうから避難されて来たのでしょうか。よろしければ少しだけお時間頂いてお伺いできませんでしょうか?」などと必要以上の丁寧語でもって話しかけてきた。

いやな予感がした。いや予感ではない。以前まったく同じような、このようなシチュエーションでテレビの取材を受けて散々な思いをしたことが脳裏をよぎったのだ。自分が不安というか苦々しく感じていたのは、女性たちがこの有名(?)なテレビレポーターに声を掛けられたりしたもんで、かなり浮き足だっているのが傍から見ててもよくわかったことだ。

6

我々男三人は互いに目配せすると首を横に振って取材を受けたくない意思を彼らにしめした。
それというのも先日福田町の駅前で一台のワンセグテレビで全国ネットの報道番組を覗き込んでは「バカヤロー引っ込め」「おまえじゃわからん ミワコかエリナに伝えさせろ」とアップになった女性キャスターに罵声を浴びせかけていたことがあったからだ。

レポーターのマイクはそのまま女性たちに向けられた。自分は思わず「アッ」と口にしていた。ある意味自分が恐れていた最悪の展開になってしまったからだ。

最初戸惑いをみせていた三人グループの中で、最初に、年嵩の女性が「松島…からです」と小声で答える。
訛りを気にしているのだろう。イントネーションが少しおかしい。

それをきっかけに、レポーターが三人に向かっていろいろな質問を繰り返す。
そのうちに三人はうつむきだして、そして全員が黙りこくってしまった。

自分はその光景を傍で眺めていて何か胸に引っかかるものがあった。それが何かについては後日別のブログにでも書くとする。自分は何かデジャヴ(慨視感)のようなものに囚われていたのだ。

矢継ぎ早のレポーターの質問をうけていた三人の女性のひとりがシクシクと泣き出してしまった。

そしてその泣く瞬間を逃すまいとしてだろう、カメラマンが二・三歩前に出ると、屈んでカメラを上向きにする。

「ご家族はご無事なんですか?」

このような状況下で女性ひとり泣かせるのには充分すぎるくらい酷い質問である。

NとMのふたりがカメラマンとレポーターに向かって、これみよがしに舌打ちをしてから「いい絵撮れてよかったよな」とか「ナイスコンビネーション」など嫌味たっぷりに大声で聞えるようにつぶやく。

気色ばんで立ち上がったカメラマンはこちらを一瞥するが、ふたりの鋭いまなざしに気づいたのだろう。
まるで何事もなかったかのように彼は再びカメラのモニターに顔を向けた。しかしその手は小刻みに震えていた。

髪を短く刈り込んだそのカメラマンの横顔を見て、そのこめかみあたりに殴られたような赤いアザがあるのを見つけたときには「ああ、コイツも犠牲者のひとりなんだろうなぁ…」と自分も悲しい気分になっていた。

しかし、NとMの怒りは収まらないようで
「あーあ、泣かせちゃったよこの人たちどうするつもりなの」とか、Mが上から見下ろすようにしてレポーターたちに毒づく。

マイクを手にしたレポーターは正面を向いたままこちらに手のひらを向けて、押すようなポーズをすると「ちょっとお願い、ちょっと黙ってて」とMとNの二人を制しようとする。

こうして取材クルーとこちら三人のあいだには一触即発の険悪なムードさえ流れはじめた。

7

ここで流石に空気を読んだのか、レポーターはそこで質問を打ち切った。

気まずそうに「ごめんなさいね」と女性三人に向かって謝罪の言葉を口にする。が、最後の最後に「まあ…大変なときで神経も普通じゃないでしょうから…」と付け加えたのだ。

自分は『何言ってんだバカかこいつは!』とそのとき初めてこの無神経なマイク野郎に対する怒りがこみ上げてきた。

この未曾有の大災害の現地に乗り込んできて、被災者に対して「大変なときで神経が…」とか言える立場かと。オマエは最初からインタビューで彼女たちを泣かせることが目的だったんじゃねえのかと。その言い訳は彼女たちに対してではなくこっちの男三人に向かって言えよと。

レポーターの男はクルーに対しては「ここはまあ、撤収の方向でね」とインタビューの中止を伝えた。


8

立ち去る取材陣の後姿を見つめながら、自分は「精神が普通じゃないのはオマエらなんだって!」と呟いていた。

この自分の呟き、おそらくは彼らの耳には届かなかったはずだ。喜んでいいのかそれとももっと大声で叫べばよかったと失敗を悔やむべきなのか判断が難しいところだが。まあしかしこのようにしてブログ用にと携帯の端末で短いメールを何通も送り続けたのだけれども。

彼女達が平常心をとりもどしたタイミングを見計らい、とりあえず今夜の予定をどうするかについてが話し合われた。元々はとりあえず今夜だけはNの実家に三人(本来はふたりの予定だったが)を泊める算段はしていたようだが、三人はそれを固辞して、はじめから「どこか公共の避難所のようなところに行きます」と答えるばかりだったのだ。

最終的には彼女たち三人の意向を汲んで、ラジオで伝えていた最寄の避難所まで送ってゆくことにした。駅から歩いて10分ほどの距離にある地域センターである。

たくさんのひとが出入りしていてごったがえす地域センターの入り口で我々は彼女達と別れを交わした。
行きかう人だれもがこちらには注意を払わない。みな自分のことで精一杯のようだった。

男三人になっての帰途、それまで抑圧されていた言葉がまるで沈黙の呪縛を解き放たれたかのように次から次にとそれぞれの口から出てくるのを誰も止められない。

「要するにさ…どさくさにまぎれてってやつなんだよ」
「つまり さっきの取材陣もさ、クルマでナンパしてる男も性根は同じ 腐ってやがる」
「こんなときでもどっかに自分を満足させてくれるなにかないかとハイエナみたいに群がってくる」

さらには

「いまだから言うけど、あのふたり化粧してないから最初誰が誰だかわかんなくて困った」
「化粧しないほうが結構可愛いのにねもったいないね」
「だから狙われるんだろうが アホか」とか彼女たちの前では憚れるような軽口まで出る始末。

9

ここで締める。

テレビなどのマスコミが伝えないもの、それは震災被害地域でのマスコミの傍若無人な取材方法と振る舞いである。似たような話はいくつもいくつも耳にしている。どこまでが事実なのかこの自分には確かめようはないが。ネットで伝えられているものもある。おそらくそれはきっと氷山の一角でしかないのだろう。自分は自分が実際に体験した出来事だけを書くのみ。今のところはそれで手一杯。


追加

その後塩竈に住む知り合い(小中学の同級生)のはなしを聞いた。
半分水没した海岸で取材をしていた連中にはかなり酷いことをする人間もいたようで、彼はテレビ局に対して抗議の電話を入れたという。その話もここで書きたいのだが、それだとプライバシーの侵害になるので慎むとする。

それにしても、海に向かって立小便をするとか神経がおかしすぎるだろう。

「キムタクのHEROに出て来る中井貴一がその光景をみていたなら絶対に刺されていたレベル」だそうだ。

追加 その2

にしても全国向け(実は関東ローカル向け)放送のとっちがい報道だけはもう勘弁できねぇ、みたいな気分にさせられることがある。(しかたなくなんだが)さっきもテレビ朝日の夕方のニュース番組を見ていてアタマに血が上りそうになって健康によくない。それこそあのニュース番組のほうが放射能よりよっぼどからだによくない。

まず第一に、ニュース映像に効果音とかBGMを被せることの意味をこの番組の責任者に問い詰めたい気分である。しかもなんだあの中田ヤスタカのライヤーゲームのパクリみたいなエレクトロサウンドは。それとも「自分達は嘘つき報道(ライヤージャーナル)ですから」とでも言いたいのだろうか。

※ あとで知ったのだがパクリじゃなくて中田ヤスタカ自身によるオリジナルだそうだ。中田も仕事選べよなぁ

2011年4月3日日曜日

携帯短信 まとめ

【かまたです。 無事です。】

携帯から

いろいろといいたいことはあるが とりあえず 生きてます

元気とはいえないが

たくさんのメール コメントありがとうございます
2011年03月17日




【現状報告】

再び携帯から

一週間経った。この一週間でいろいろなものを目にしてきた。耳にしてきた。

ほとんどが目を塞ぎ 耳を閉じたくなるようなことばかりである。逆か。

おかげさまで電気は復旧したし、水と食料、燃料もなんとかなりそうなところまできた。

毎日毎日三食とも缶詰とレトルトばかりだが文句はいってられない。
口に出来ないひとたちがいるのだということは決して忘れてない。

さてこんなときに「ジュセリーノがどうした」というのも不謹慎というかアホくさいのだがいくつか問い合わせが来ているので答えておく。

蜜柑夢さんの報告だと、ジュセリーノはブラジルの日本大使館宛に2007年11月12日付けの手紙で「もしも2008年8月13日に日本で地震が起きなければ、2011年3月11日もしくは12日に仙台でM8.9の大きな地震と津波が発生する」という警告の手紙を送ったと言っているらしい。

想定の範囲内である。むしろ、飛んで火に入る夏の虫といったほうがいいだろう。

このジュセリーノの言い分が通るとなると、それはつまりジュセリーノは自分が冷酷無比な人間であるといっていることになるのだ。

ジュセリーノはおそらく忘れているのだろう。

自分が2008年の5月にこの仙台で講演を開き そのときにそんな警告などひとことも口にしていなかったということを。

2007年にすでに手紙として書いていた警告の内容をである。

誰かが悪口としてこんなことを言っているのではない。

ジュセリーノ本人がそうだと言っていることになるのだ。

さてどっちなんだろう。ジュセリーノは。

ただのなりすましのインチキ予言者なのか。

それとも予知夢を得ていながらも、現地でその警告を一切口にしなかった残酷な人間なのか。

あなたどう思います?

2011.03.19




【再び携帯から現状報告】

各方面からさまざまな形でのご援助の申し出を受けている。

ありがたいことだとは思うが 今ここで自分が個人的に受け取ってみてもしかたがないので そういう物的なものはご辞退申し上げる。

もしそれが可能だというのであれば 適切な関係各所を通じて 本当の意味での被災者たちに確実に手渡るようにしていただければわたしとしてもありがたい。

よろしくお願いします。

それ以上に被災地に暮らす人間として深刻だと捉えているのは 当地での電気不足でありガソリンなどの各種燃料不足のほうである。

できうるのであれば東日本だけでなく日本全国の皆にはムダな電気使用とガソリンの買いだめだけは避けていただきたい。お願いしたい。

ただし (これはイジワル視点になるが)カップヌードルとかパン類(小麦粉)、あるいは米というようなものはどしどし買い貯めてもらったほうが助かるのかもしれない。

というのも これらは 実は日本国内のスケールで見た場合には むしろ余剰在庫を抱えている「古いもの」にカウントされるべきもので、そっち(被災地以外の場所)で消費してもらったほうが こっち(被災地)には比較的新鮮で安くて質のよいものが送り込まれてくるという流れが出来るからである。

というか「買いだめ」というのはそういうバカバカしい行為なのだということはご理解いただきたい。

決してそっちで売り切れているからこちらに回らなくなる というような単純なものではないということだし、大体にして 大量に買い込んだ「必要でないもの」に囲まれた生活 それは果たして賢いことなのだろうか。

大量に買い込んだパンなんて少しずつ古くなる。そういうパンを毎日義務のようにたべてなにが「美味しい」のだろう。

そのことはよーくと考えて行動したほうがよいのではないだろうか。こっちからエラそうに言うことじゃないのだが。むしろこっちの立場になってみてわかったことなのでこんなことも書いてみた。


食べ物飲料水燃料的なものであれば人数分(約4名+2名)ほぼメドがついている。

詳しいことは別のブログで書くが、最初の二日間全員で水と食料の確保に奔走した結果である。

家(仕事用アパートと実家)もほとんど大きな損傷もなく、インフラさえ復旧すれば住居可能なレベルにある。

自分が実家に戻らないで皆と行動をともにしているのは あくまでもこれらのストックの効率的な利用を念頭においているからだ。

要するに、たったひとりでいて これら食料や水などのモノに囲まれていたってしょうがないだろうということ。

同じ考え方をしている人間が集まってそれぞれが行動している。


追加

仙台や被災地のあちこちで食料品をべらぼーに高い値段で売っている移動販売車が出没している。そういった連中を一掃する最適な手段は何か。そう、新鮮で安価なものを大量投下することなんである。にしてもコンビニチェーンの本部って何を考えているんだろうね。何もこんなときに24時間営業をさせることなんて考えなくてもいいじゃない。時間営業をしたがっているオーナーはなんぼでもいるし、配送可能なところの物流は回復しているというのに。




【携帯短信 まとめ】

今回の震災について腹が立ったことはいくつかある。そのひとつは マスコミの報道のありかただった。特に民放テレビ。たとえば、民放の報道は被害地の記録映像に効果音やBGMを載せている。なんでそんなことをする必要がある。被災地の映像は貴様らにとってはただの見世物なのだということなんだろうが。

フジテレビは安藤優子ら送り込んだニュースキャスターがまったくの役立たず。むしろ邪魔。自分たちはJR福田町駅近くの屋外駐車場で一台の携帯のワンセグを覗き込むようにして各チャンネルを見ていたのだが、安藤優子がアップになるたびにほぼ全員が「チッ」と舌打ちしてほかの番組に切り替える。こういう全国放送(実は関東ローカル)このような緊急を要するときには被災地にとっては邪魔者でむしろないほうが役に立っていた。必要なのは地元の人間のための地元発のローカルニュースなんだって。ふりかえって見ると一番有用な情報を提供していたのはラジオ。特にAMのふたつのラジオ局(NHKと東北放送ラジオ)だった。携帯のワンセグテレビではなくてラジオ。災害などの緊急時はテレビを切れ。これは大きな教訓として生きてゆくのだろう。そう願いたい。
2011年03月22日




【携帯短信 まとめ】

いろいろなひとからにちゃんねるで誹謗中傷しているやつがいるぞというお知らせを頂戴している。

せっかく教えていただいたのにこんなことを言って大変申し訳ない。なんていうのだろう。簡単にいうと「あっそう・・・」ぐらいの感想しかもてないのだ。

今自分が面しているいくつかの問題に比べてしまうと もうどうでもいいような些細なことでしかない。

強いていうと「いいことだよね 生きていて 安全な場所から2ちゃんねるとかで書込みが出来るってのは」ぐらいの感じか。

「安全な場所」っていうのは被災地ではないということと、もちろん「匿名可能な掲示板でだけで自己主張が出来る」という意味でだ。

悪いがこちとらそれどころではないんだ。勝手にやってくれって。

そしてそれがその人物と世間との大きな関わり(=アンガージュマン 社会参加)だというのならば、自分はそれを奪うのもよしとはしない。

逆にいえばだが、誰にもわたしのやっているジュセリーノであるとかのインチキオカルト批判はとめられはしないのだということ。
2011年03月22日




【携帯短信 まとめ】

これはメールで教えて頂いたことなのだが、アメリカの自称超能力者がたまたま来日中に大震災に遭遇しており「この大地震を予知して来日した」と騒ぎ立てているメディア(雑誌)があるという。

ホントもうこういうのはいい加減止めにしていただけませんかね。集英社の雑誌らしいが。

こういうニュースを耳にするとほんと悔しさと怒りでいっぱいになってしまう。

自分が批判を向けるのは(ジュセリーノのときもそうだったんだが)自称超能力者本人よりも、まず先に面白がってこういうネタに飛びつく日本のメディアの節操のなさのほうだ。この成長のなさというものに対してある種の絶望を感じる。

おまえらそこまでして雑誌売りたいのか。この時期に。

恥を知れ。
2011年03月24日




【携帯短信 まとめ】
みなから「今何をやっているのですか?」という質問が来ているみたいだ。
それに対する単純な答えをすると、瓦礫や土砂の除去作業。また、それぞれが身内に抱えている行方不明者の捜索といったところか。

それらを別にすれば自分が手間をを割いているのが「水を作る作業」ということになる。

水を作るといっても流石になにもないところからは水は作れない。
雨水や河川水を中水(飲用に適さない水)にするための簡単なろ過装置を作って水の有効利用を心がけている。

飲用の水以外は、調理用の水、洗顔歯磨き・手拭き用、からだ拭き用、掃除用、トイレ掃除用とランク別けして無駄のない水利用をしている。

ろ過装置自体はものすごくシンプルなもので、空になった2リットルのペットボトルの底を抜いて逆さに吊り下げるためのヒモ用の小さな穴を開ける。

それに下から 小石(砂利は向かない)→ スポンジ → 炭(細かく砕いて粉はふるい落とす)→スポンジ→ 細かな川砂 の順番で表面が平らになるように入れてゆく。スポンジが足りないときは代わりとして間にコーヒー用のペーパーフィルターを敷くこともある。
(写真が添付されてます)
そうして作ったろ過装置の上から貯めた雨水を注げば 下から出て来る水は、洗顔(洗髪)体拭き用にはなる。それどころか、さすがにそのままでは飲めないが、パーコレータを使って一度沸騰させれば調理用にも転用可能なくらいの純度(ほぼ99%)にまで出来るようになった。

4人分(時に6人に増える)となると、水の消費量ははんぱじゃない。馬鹿にならない。生産量を増やすために日々奮闘中です。

唯一有利なことは、現在自分が避難している友人の家(の別棟)のトイレが簡易水洗式なことか。まあね、トイレ掃除はトイレ掃除でこれまた大変な作業なんだけど。
2011年03月25日


追加

簡易ろ過装置の小石について質問が来た。
「何故砂利は向かないのでしょうか」、「自分が見たホムペでは砂利を使うように書いてあります」など。

砂利石だけを使うなというのは、砂利石だと下から流れる水量が多すぎて良いろ過効果が得られないからである。「砂利を使う」と書かれているHPで説明されているのは、おそらくもっと大掛かりな5層6層構造のろ過装置のことだろう。
砂利を下から二番目に敷くのは一番下の小石の層の水圧を和らげるのが目的。
一番下(層)が砂利だとざざ漏れ状態になるので意味がなくなる。

このHPを見てもらえばわかりやすいと思う。

注意
自分が作っているのはあくまで「ろ過装置」。「浄化装置」ではない。
出来るのは所詮「少しマシな程度の中水」であって決して飲用水ではない。ご注意。