2006年1月5日木曜日

「似非科学」と「宗教」の狭間

気になる記事があった。長いが全文引用しておく。

「ニセ科学」とどう向き合っていくか? 日本物理学会、3月に松山でシンポ

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200601050043.html

日本物理学会(約1万8千人)が3月に松山市の愛媛大で開く学会で、「ニセ科学」について議論する。これまでは「相手にしない」姿勢だったが、「社会的な影響は無視できない」として、シンポジウムを開いてどう対応すべきか考える。研究者が集まる学会の場でニセ科学がとりあげられるのは珍しい。 / シンポを企画した田崎晴明・学習院大教授(統計物理学)によると、最近のニセ科学は「科学らしさ」を装っている場合が多く、オカルトや心霊現象にはだまされない人でも、「科学」として信じてしまう場合が少なくない。ニセ科学に詳しい菊池誠・大阪大教授(同)によると、「水に優しい言葉をかけると美しい結晶ができる」などとする珍説が、小学校の授業で紹介されている。/ シンポは学会最終日の3月30日に開催。「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」をテーマに、根拠がはっきりしない「健康にいい水」などの実例を紹介し、それらを生み出した社会的要因を考える。/日本物理学会の佐藤勝彦会長(東京大教授)は「ニセ科学を批判し、社会に科学的な考え方を広めるのは学会の重要な任務の一つだ」と話す。 /「ニセ科学」とは、(科学と擬似科学の境界付近にある位置づけの微妙な営みのことではなく)科学的に誤り(ないしは無意味)であることが明白であるにもかかわらず表面上は科学を装っている営みを指します。「ニセ科学」は、物理学の研究にはほとんど何の影響もないでしょうが、広い意味での科学教育を考えたとき強い影響力をもつおそれがあると考えています。/このシンポジウムでは、いくつかの典型的な「ニセ科学」の事例を紹介していただきながら、私たち物理学者が「ニセ科学」とどう向き合っていけばよいのかを考えるきっかけを作りたいと思っています。
 
とまあ自分がしつこく行っている事が実現されるわけでめでたいめでたい・・・とばかりもいっていられない。それだけ事態は深刻なのだ。

民放テレビ関係者に改めて問いたいのだが、細木和子とか江原啓之とかを出して、根拠のない占いとやらで人の人生を左右するようなことをあたかも「真実を装って」語るというのは良い事なのだろうか?何か大きな勘違いをしてはいまいか。「信仰の自由」というのはある。ではオカルトもまた「信仰」なのか?だとすればひとつの信仰に偏向しているのは問題ではないのか?

少し今日は怒りをこめて プンプン!(さとう玉緒風に)


0601051315