ノストラダムスの預言の訳について
12月15日の「ノストラダムス」の項で触れた行交韻について質問を受けた。
四行詩の一行目と三行目 二行目と四行目が韻を踏む形式を行交韻という。
第一集一番の詩を例にとって説明しよう。
Estant assis de nuict secret estude
Seul repose sus la selle d'aerain:
Flambe exigue sortant de solitude,
Fait proferer qui n'est a croire vain.
深夜、秘密の書斎に居で下り
ひとりこころ静かに青銅の台に向わん
孤独より細き炎立ち上り
信じることが無駄ではない事象を語らん
(S氏訳)
これが行ごとに訳した遂語訳といわれるものでさらに平易な日本語にすると
夜中にひとり書斎で、
青銅の占い台にじっと向かっていると、
孤独から立ち上る小さな炎が、
信じることが無駄ではない確かな未来を(私に)語りかける
ぐらいがよいだろう。
交韻の法則で一行目と三行目のそれぞれestudeとsolitudeが二行目のd'aerainと vain がそれぞれ同じ音で終わっているのはわかると思う。
まあこれでもずいぶんとわかりやすい訳ではあるが、それでも解りにくい部分がある。「孤独より細き炎立ち上り」「信じることが無駄ではない事象~」あたりがちょっと苦しい。そこで、一行目と三行目 二行目と四行目を同じ行目として括ると
Estant assis de nuict secret estude/Flambe exigue sortant de solitude
Seul repose sus la selle d'aerain/Fait proferer qui n'est a croire vain
となるが、立ち上る細き火 Flambe exigue 夜 de nuict で flambe de nuit(夜の明かり→月星の輝き)という詩語が、そして 青銅の占い台に向かう la selle d'aerain 信頼が空虚 croire vainでla selle croire vain d(e)aerain →「確かな空間に現れた信じるべき未来が出る」という言葉になるのだ。同じく、de solitudeも、「孤独」よりも「深夜になってこそ生じた闇」という意味合いで訳せる。つまり、深夜ひとりで書斎にいるからこそはじめて見えてくる事象というものを書き残すのだという占星術師としての立場からの決意表明ととりたい。
これを踏まえて訳すと
深夜書斎でひとりでいると
真闇ゆえ輝く光りである月星が占いの台の上に、
私に信じことが無駄ではない
確かな未来を告げるのである
(拙訳)
となるのだ。このほうが判り良いでしょ。
ちなみにブランダムール版:高田・伊藤和訳だと
闇夜に密かに書斎におりて/青銅の机にひとり静かに座れば
孤独より立ちのぼる細い明かりは/信じることが無駄ではないことを語る
(預言者が)夜中に書斎で/ひとりぽつねんと青銅の椅子にじっと座っていると、
孤独から生じる細い炎が、/信じても無駄ではない事柄を(預言者に)言わしめる。
となるわけだが。
とまあ遂語訳を取るべきか交錯韻を考慮した訳にすべきかはどちらが正しいとかではなく
一種の哲学というかポリシーの違いなのだが、意味不明の遂語訳よりは判りやすい交錯韻を、というのが私が提唱した方向性であったのだ。
ていうかすごい(バカバカしい)でしょ? ∞