2005年12月15日木曜日

これもまた殉職

最後に仰木彬監督を間近でみたのは、今年9月の楽天=オリックス最終カードだから、わずか3ヶ月前ということになる。

誰が見ても体調不良は明らかで、サングラスの奥、目は落ち窪み力というものが感じられなかった。

自分が仰木さんと初めて話をしたのは思い起こせばもう30年も前のことだ。

ここフルスタ宮城の前身である「宮城球場」でだった。

当時宮城球場のブルペンは、神宮みたいに両サイドのだだっ広いファールゾーンにあって、自分は試合前によく、そこで先発投手の投げる球を間近で見るのを楽しみにしていた。

当時の杉浦投手コーチや岩木コーチからは、すでに何度か声を掛けていただくようになっていた。

その流れで、守備コーチだった仰木さんにも顔を覚えられて、金網越しにお声を掛けて頂いたのだ。

そのカード、つまりロッテ-近鉄戦ということだが、近鉄は二連敗していた。その三連戦の三戦目ということだが

向こうから、つまり仰木さんのほうから「キミ、三日続けて来てるんか…」声を掛けられたのである。

自分は相当舞い上がってしまい、そのとき何と返えたかとか、そのあと何を話したかは全然覚えていない。

しかし、あの時仰木さんが声を掛けてくれたおかげで、その後ずっと自分は近鉄ファンでいることが出来たようなものなのだ。(その直前自分はちょっと不愉快な光景を目撃していた)

昨年、新生オリックスバファローズの監督の要請を受けた仰木さんは、自分の深刻な病状というものは知っていたのだろうと思う。

オリックスという会社、球団に対しては言いたいことは山のようにある。

が、今はただ冥福を祈るだけだ。

05.12.15.04:35