2012年7月25日水曜日

二度目の夏

 

昨年の今頃、自分はいくつかのグループと連絡を取り合い、仙台の沿岸部の瓦礫の除去作業と、そして道路の緊急復旧作業のようなことに没頭していた。

とにかく昨年の夏は酷かった。

夏の照りつける暑さと、そしてたちこめる悪臭との戦いだった記憶しかない。
だから日を経て人の数が次第に減ってゆくことに対しても寛容でいられたと思う。
むしろやめてゆく人たちのほうが人として正しいんじゃないのかというような気がしていたからだ。

それでも自分は「震災からまだ4ヶ月だから」というあきらめと踏ん切りだけで眼前の作業に没頭できていたような気がする。

それから一年が過ぎたわけだが、じゃ状況はよくなったかというとまったくなのだ、これがまた。

むしろ二年目を迎えてしまったことで新たな困難を抱え込んでしまったといってもいい。

ひとつはこういう作業をつづけている我々のこころの中の大きな変化というものだろう。

モチベーションのありかである。「何のために」が根こそぎ刈られてしまった人もいる。

何も隠さずに、包み隠さずに言ってしまうと、自分にもそういうところがある。

これはほとんど八つ当たりに近いのだが、そういうこころが疲れ果てたときだと、町中いたるところで目につく「頑張ろう宮城頑張ろう東北」の文字にさえイラつくことがある。

「頑張るのはあたり前じゃないのか」とか。

誰だって皆頑張っている。その頑張っている人に向かって「頑張れ」と言ってどうするの。掛けるならもっと別の言葉があるでしょうよ、みたいな焦燥に陥るのだ。

どこかのコンビニか何かのウィンドウに「あなたの今日の頑張りはきっと誰かが見ている」と書かれたポスターがあって、それを見たときだけは少しほっとした。こころが動いた。

それに続くフレーズが自分の心の中にくっきりとうかんだからだ。

二年目の夏、ここ宮城ではたくさんの人がそういうジレンマというか心の傷と戦っているのです。

ご理解ください。

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