2012年7月18日水曜日
文学としての横溝正史作品
「ドラマを全然見なくなった」と書いたが例外があった。今BSでやっている古谷一行主演の「金田一耕助シリーズ」はわりと見ている。
もう30年以上も前のテレビドラマシリーズなのだが、実は自分がこれをちゃんと見るのは初めてなのだ。オリジナルの放送時間は仙台も東京(横浜)もまったく同じで土曜日の10時(つまり必殺シリーズと同じ時間帯)だったが、その時間帯、自分がどこで何をしていたのかなんて思い出せないし結びつきもしないが、きっと何かの理由があって家に(下宿先にも)いなかったからなのだろう。
はっきりいって、当時自分はこのテレビシリーズのことを見下していたのだと思う。
少し前に「やはり横溝正史というと(石坂浩二主演の)角川映画があって、あれ(テレビドラマ)はおちるな」みたいな感じで統括して同意を求めてきたヒトがいたが、それとも違う。映画>ドラマという順位づけでテレビドラマを見下していたわけでもない。強いていうと「原作>>>映画とドラマ」という構図づけをして、映画とこのテレビドラマシリーズのことを「少しおちたもの」と見下していたのだと思う。
その後ビデオレンタルの仕事をしててこのテレビドラマのビデオソフトを扱ったりもしているので、もう少し愛着みたいなものやそれにまつわる思いでくらいあってもよさそうなものだがそれすらない。
まあそういうあまりプレーンとはいえない状態でこの金田一シリーズを30数年の時を経て(しかも録画じゃなくて生視聴で)見ているわけだ。
自分の率直な感想を言うと「映画よりも原作に近い分だけ真面目といえるかな」という感じ。
たとえばいまやっているのは第二シリーズの「八つ墓村」なのだが、映画(1977年松竹)と比べても丹念な原作トレースがされていて[註]自分は原作を読んでいたときのことを思い出したくらいだった。
本音を言うと横溝正史の(金田一物でもそれ以外も)作品は実は映像作品には向いていないんじゃないかという気がしている。
自分がはじめて横溝正史の小説を読んだのはおそらく子供のころに読んだジュブナイルシリーズのどれかだろうが、それを別にするとまちがいなく中学のころに読んだ春陽堂文庫から出ていた「本陣殺人事件」である。
今でこそ割と本格推理の枠内で評価の定まった名作推理小説であるが、発表当時はあまり好意的な捉え方はされていなかったといわれている。そのあたりは当時のことに詳しい諸氏による書評を読まれることをお薦めする。
初読時(中学生だし)には正直何がなんだかよくはわからなかっただろうから[註 追加]こんなことを考えるようになったのは相当あとになってからだろう。
横溝正史の探偵小説の諸作品を自分が文学として高く評価しているのは、古い因習であるとか伝承というものの犠牲者となった人たちに対する憐憫と、そういう因習や伝承というものを悪用する人たち(犯罪者)に対する横溝の冷たい視線があるからだ。
これ(横溝の視線)は、自分がこのブログでインチキのオカルトをでっちあげる人たちに対して向けている視線とほぼ同一のものである。
どうもね、映画にしてもドラマにしても映像化されてしまうとそこのところがぬるくて逆に横溝正史作品というと「オカルトもの」という感じで受け取っているひとがほとんどのような気がする。そこのところがとても残念なのだ。
[註]八つ墓村を映像化したものでは何故かひとり重要なキーパーソンである女性がでてこないことが多い。このテレビシリーズもそうだ。1996年に豊川悦司主演で映画されたのには出ていたような気がするが、記憶だと、事件の本質からは遠いところにいるような小さな役になっていた。
[註 追加]ネタバレになってしまうが(もういくらなんでもいいでしょう)小説「本陣殺人事件」の真犯人は殺された被害者の夫のほうで、結婚前に花嫁から非処女であることを打ち明けられてそれに絶望しての無理心中というオチ。最初それを読んだときには「そういうもんなのか」ぐらいにしか思わなかったはずだ。
自分がこの小説の二重のトリックに気づいたのはそれから10年後くらいのことか。当時交際していた女性から「実は…」という感じで自らの性体験を告白された(まあそんな深刻なものでもない)ときかな。何も言わなかったが内心は「そのくらいのことぐらいはとっくに気づいておるわ」という感じだった。なんで彼女がそんなことをわざわざ口にしたかというと(うぬぼれなしで)おそらくは彼女が自分との結婚を考えていたからなのではないのか。
また、ほぼ同時期のこと、友人の先輩が自殺してしまったことがあった。自殺したその先輩だが、自分も面識があったのだが、明朗で人当たりの良い人で自殺とは縁遠い感じだったので自分も(その死に対してだけでなく)かなりショックを受けた。
自殺の理由だが(たぶんそれがすべてではないだろうが)結婚を真剣に考えて交際していた女性から別れ話を切り出されて、それどころかすでに彼女は別の男性と交際中(つまり性交渉を含めて)であることが誰からかの口から発覚し、彼はヤケになって大酒を飲んでその女性の家の前にあるビルから飛び降りるというものだった。さらに続きがある。これは友達から聞いた話だが、葬式には件の元交際女性も(ほかの友達と一緒に)参列したという。友人は半分憤慨し半分あきれ返り「人目もはばからずって感じでワンワンなきまくっていたよ ウソ泣きだろうが 女って怖いわ」と言っていたが。
これはそのまたその後のはなし。風の噂だが、その女性はそれから一年も経たないうちにその新しい彼氏と結婚したという。友人からの伝えでは(女性も)皆が彼女の葬式での軽瓢な言動とその後のすばやい身の振り方に対して悪口ばかりになったそうだ。
しかし女なんて皆そんなもんだろう。自分はそう思っていたので、その彼女に対しては友人たちと同じような悪感情は持てなかったものだ。
まあはっきり言うと、自分はその友人の先輩を死まで追い詰めたのはその女性だと思っている。彼女は非常に残酷なやりかた(ほかの男性との二又交際)で交際していた先輩を精神的に追いやりそして決断を迫った。が先輩は別の決断をしてしまったとそういうことだろう。言ってしまうがやっぱり(たかだか交際のもつれなんかで)自殺する奴が間違っているのだ。自分はそのように考えていた。
さて、話を戻すが、小説「本陣殺人事件」の真犯人だが、それは無理心中を図った男ではなくてむしろ共犯関係にあった加害者の実弟だろう。そしてその弟を突き動かしたのは無理心中の被害者になってしまった花嫁だったのではないか。
きっと横溝は「これは探偵小説でなければならない」という線引きをして「さらにもうひとつのオチ」にまでは踏め込めなかったような気がする のだが。
まあだからこれは自分の推測というか自分が当時「ナウな男女関係の在り方」から学んだ「新解釈」である。
「本陣殺人事件」の事件の真相だが、無理心中の被害者となってしまった花嫁の算段は夫の単独の自殺であり、彼女の目的はこの因習に縛られた結婚からの逃亡だろう。彼女の前には新しい、堅物の夫よりも魅力的な義弟がいるのだ。彼女が義弟から内密に聞かされていたのは「兄は自殺するがあなたに疑いがかからないようにトリックを使う」ということなのでは。(実際、最近似たような偽装殺人がありましたな)が兄は弟に打ち明けていたのとは別の行動(妻を殺害してから自らも果てるという無理心中)をとってしまう。しかも想定外だったのは夜半から降り出した雪が積もり密室となってしまった。
という見方をすると、新郎が新婦が傷物だったことに腹を立てての凶行というオチにしてしまった横溝正史の「本陣殺人事件」が、さらにその奥にある深層的真相である種の新文学として蘇るのである。
どこかの映画会社が今度「本陣殺人事件」を映画化するときには、こういう新しいオチを付け加えるたりしそうでちとそれが怖い。
文字で構成する文学としてならともかく、こういうのを映像化するとものすごくツマンナイものになりそうだし。
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