2012年7月27日金曜日

うなぎのぼり


鰻の蒲焼も苦手かな。決して嫌ってるのではないが。
昔の知り合いに大の鰻好きがいて、音楽著作権に関するゼミナーの帰りなどに、東京台東区上野にある鰻蒲焼の名店や日本橋にある高級店に連れまわされたことがあった。
普段はそうは見えない彼が、鰻のことになると、まるで金銭感覚がマヒした成金のおっさんみたいになって店員に向かってごくあたりまえのように「特上 二つ」とか言い放つのにはホント驚かされた。一人前3500円もする特上うな重である。
自分が苦手に感じているのはこういう業界での格付けと実際の味が乖離(かいり)した物件も珍しかろうということ。いうほど国内天然物のうなぎなんてそんなに美味しいものではない。ただ値段だけがバカ高いだけでしょう。
この世には、その昔の知り合いよりも、ずっと鰻の蒲焼を信奉している人はいくらでもいるだろう。このあいだも聞いていたラジオ番組に「出前取るなら寿司じゃなくてうな重」と言い切っていた作家の方が出ていた。(『お客様のときは寿司にしなさい』と奥さんにたしなめられるのだそうだ)

さて、自分にとって一番美味しかった鰻の蒲焼だが、それは20年ほど前に食べたものだ。(確か)霞ヶ浦近くの、トラックやタクシーの運転手相手の駐車場がやたらだだっ広くてそして店の中が少し野卑な感じのするドライブインみたいな食堂で食べた「肝吸い付きお代わりあり」セットにとどめを刺す。
蒲焼二枚乗せはまあ普通なのだが、肝吸いが実に美味しいのと、そのお代わりのシステムにぐっときた。お代わりをすると、タレを掛けたご飯だけが出てくるのだ。落語で白いご飯を持って鰻屋の前で匂いをおかずにして食うというのがあるがまさしくそれ。鰻蒲焼本体は出せないが、タレとご飯はサービスで出すから、さっき食った鰻の蒲焼の味の記憶でうな重として食え、みたいな豪快なシステムが気に入ってしまった。しかもそれで1000円以下だったからね。安いといえばこんな安いうな重セットも珍しいだろう。
それからどれだけの数のうな重や蒲焼を食ったか、あるいは食わされたかわからないが、それを越えるうな重にはまだお目にかかったことがない。
さて今年も土用の丑の日(7月27日)を迎えて、鰻の蒲焼が高くなるシーズンが一段落ついた。
自分は当然パスといいたいところだが、まあおそらくはどこかで鰻の蒲焼を食べていることになるのだろうね。いや最近のファミレスで出てくるうな重も味と値段のコストパフォーマンスを考えるとなかなかのものですよ。決して徒や疎か(あだやおろそか)にできたものではない。
というか、自分もだし多くの人も思うのところだろうが、ファミレスのうな重ってなんであんなに安いのだろう。ちと不思議である。いや不思議だった。答えは実に簡単で正規のルートを通すと高くなるだけといわれる輸入物養殖鰻生魚も現地で加工したものを輸入してこちらで調理するだけで価格が1/2とか1/3くらいだからだ。それどころかむしろ海外の輸出用鰻の相場は下落傾向なのである。稚魚の流通量も特に目だって少なくなっているというのでもなさそうだ。
わかりやすくいうと、海外の養殖業者と輸出業者(とファンド)が「鰻は品薄だから高い」という嘘情報を流して価格吊り上げを計っているだけというのが真相に近い。
こういう事件も起きたようだ。
TV「鰻の相場上がってますか~?」鰻屋「そうでもない」TV「じゃあ値段上がってる別の店で取材するわ」
問題のうなき屋さんのブログ
http://ameblo.jp/unagiyasan/entry-11310880083.html">http://ameblo.jp/unagiyasan/entry-11310880083.html
この記事の信憑性を疑う声もあったようだが、自分は別の意味で、この鰻屋さんの証言を信じる。もちろんそれは自分もまたこういうふざけた感じの取材を何度もテレビ局からうけたことがあるからだ。
情けないことにテレビ局というものは「事実を追って取材するのでなくて、いつのまにか取材を元に事実を作り上げるメディア」になってしまっているのである。
それは東京だけでなく関西だけでなく、全国各地がそうなりつつあるという点だけは怖いことだと思う。

2012年7月25日水曜日

二度目の夏

 

昨年の今頃、自分はいくつかのグループと連絡を取り合い、仙台の沿岸部の瓦礫の除去作業と、そして道路の緊急復旧作業のようなことに没頭していた。

とにかく昨年の夏は酷かった。

夏の照りつける暑さと、そしてたちこめる悪臭との戦いだった記憶しかない。
だから日を経て人の数が次第に減ってゆくことに対しても寛容でいられたと思う。
むしろやめてゆく人たちのほうが人として正しいんじゃないのかというような気がしていたからだ。

それでも自分は「震災からまだ4ヶ月だから」というあきらめと踏ん切りだけで眼前の作業に没頭できていたような気がする。

それから一年が過ぎたわけだが、じゃ状況はよくなったかというとまったくなのだ、これがまた。

むしろ二年目を迎えてしまったことで新たな困難を抱え込んでしまったといってもいい。

ひとつはこういう作業をつづけている我々のこころの中の大きな変化というものだろう。

モチベーションのありかである。「何のために」が根こそぎ刈られてしまった人もいる。

何も隠さずに、包み隠さずに言ってしまうと、自分にもそういうところがある。

これはほとんど八つ当たりに近いのだが、そういうこころが疲れ果てたときだと、町中いたるところで目につく「頑張ろう宮城頑張ろう東北」の文字にさえイラつくことがある。

「頑張るのはあたり前じゃないのか」とか。

誰だって皆頑張っている。その頑張っている人に向かって「頑張れ」と言ってどうするの。掛けるならもっと別の言葉があるでしょうよ、みたいな焦燥に陥るのだ。

どこかのコンビニか何かのウィンドウに「あなたの今日の頑張りはきっと誰かが見ている」と書かれたポスターがあって、それを見たときだけは少しほっとした。こころが動いた。

それに続くフレーズが自分の心の中にくっきりとうかんだからだ。

二年目の夏、ここ宮城ではたくさんの人がそういうジレンマというか心の傷と戦っているのです。

ご理解ください。

2012年7月18日水曜日

文学としての横溝正史作品



「ドラマを全然見なくなった」と書いたが例外があった。今BSでやっている古谷一行主演の「金田一耕助シリーズ」はわりと見ている。

もう30年以上も前のテレビドラマシリーズなのだが、実は自分がこれをちゃんと見るのは初めてなのだ。オリジナルの放送時間は仙台も東京(横浜)もまったく同じで土曜日の10時(つまり必殺シリーズと同じ時間帯)だったが、その時間帯、自分がどこで何をしていたのかなんて思い出せないし結びつきもしないが、きっと何かの理由があって家に(下宿先にも)いなかったからなのだろう。

はっきりいって、当時自分はこのテレビシリーズのことを見下していたのだと思う。

少し前に「やはり横溝正史というと(石坂浩二主演の)角川映画があって、あれ(テレビドラマ)はおちるな」みたいな感じで統括して同意を求めてきたヒトがいたが、それとも違う。映画>ドラマという順位づけでテレビドラマを見下していたわけでもない。強いていうと「原作>>>映画とドラマ」という構図づけをして、映画とこのテレビドラマシリーズのことを「少しおちたもの」と見下していたのだと思う。

その後ビデオレンタルの仕事をしててこのテレビドラマのビデオソフトを扱ったりもしているので、もう少し愛着みたいなものやそれにまつわる思いでくらいあってもよさそうなものだがそれすらない。

まあそういうあまりプレーンとはいえない状態でこの金田一シリーズを30数年の時を経て(しかも録画じゃなくて生視聴で)見ているわけだ。

自分の率直な感想を言うと「映画よりも原作に近い分だけ真面目といえるかな」という感じ。

たとえばいまやっているのは第二シリーズの「八つ墓村」なのだが、映画(1977年松竹)と比べても丹念な原作トレースがされていて[註]自分は原作を読んでいたときのことを思い出したくらいだった。

本音を言うと横溝正史の(金田一物でもそれ以外も)作品は実は映像作品には向いていないんじゃないかという気がしている。

自分がはじめて横溝正史の小説を読んだのはおそらく子供のころに読んだジュブナイルシリーズのどれかだろうが、それを別にするとまちがいなく中学のころに読んだ春陽堂文庫から出ていた「本陣殺人事件」である。

今でこそ割と本格推理の枠内で評価の定まった名作推理小説であるが、発表当時はあまり好意的な捉え方はされていなかったといわれている。そのあたりは当時のことに詳しい諸氏による書評を読まれることをお薦めする。

初読時(中学生だし)には正直何がなんだかよくはわからなかっただろうから[註 追加]こんなことを考えるようになったのは相当あとになってからだろう。

横溝正史の探偵小説の諸作品を自分が文学として高く評価しているのは、古い因習であるとか伝承というものの犠牲者となった人たちに対する憐憫と、そういう因習や伝承というものを悪用する人たち(犯罪者)に対する横溝の冷たい視線があるからだ。

これ(横溝の視線)は、自分がこのブログでインチキのオカルトをでっちあげる人たちに対して向けている視線とほぼ同一のものである。

どうもね、映画にしてもドラマにしても映像化されてしまうとそこのところがぬるくて逆に横溝正史作品というと「オカルトもの」という感じで受け取っているひとがほとんどのような気がする。そこのところがとても残念なのだ。




[註]八つ墓村を映像化したものでは何故かひとり重要なキーパーソンである女性がでてこないことが多い。このテレビシリーズもそうだ。1996年に豊川悦司主演で映画されたのには出ていたような気がするが、記憶だと、事件の本質からは遠いところにいるような小さな役になっていた。

[註 追加]ネタバレになってしまうが(もういくらなんでもいいでしょう)小説「本陣殺人事件」の真犯人は殺された被害者の夫のほうで、結婚前に花嫁から非処女であることを打ち明けられてそれに絶望しての無理心中というオチ。最初それを読んだときには「そういうもんなのか」ぐらいにしか思わなかったはずだ。

自分がこの小説の二重のトリックに気づいたのはそれから10年後くらいのことか。当時交際していた女性から「実は…」という感じで自らの性体験を告白された(まあそんな深刻なものでもない)ときかな。何も言わなかったが内心は「そのくらいのことぐらいはとっくに気づいておるわ」という感じだった。なんで彼女がそんなことをわざわざ口にしたかというと(うぬぼれなしで)おそらくは彼女が自分との結婚を考えていたからなのではないのか。

また、ほぼ同時期のこと、友人の先輩が自殺してしまったことがあった。自殺したその先輩だが、自分も面識があったのだが、明朗で人当たりの良い人で自殺とは縁遠い感じだったので自分も(その死に対してだけでなく)かなりショックを受けた。

自殺の理由だが(たぶんそれがすべてではないだろうが)結婚を真剣に考えて交際していた女性から別れ話を切り出されて、それどころかすでに彼女は別の男性と交際中(つまり性交渉を含めて)であることが誰からかの口から発覚し、彼はヤケになって大酒を飲んでその女性の家の前にあるビルから飛び降りるというものだった。さらに続きがある。これは友達から聞いた話だが、葬式には件の元交際女性も(ほかの友達と一緒に)参列したという。友人は半分憤慨し半分あきれ返り「人目もはばからずって感じでワンワンなきまくっていたよ ウソ泣きだろうが 女って怖いわ」と言っていたが。

これはそのまたその後のはなし。風の噂だが、その女性はそれから一年も経たないうちにその新しい彼氏と結婚したという。友人からの伝えでは(女性も)皆が彼女の葬式での軽瓢な言動とその後のすばやい身の振り方に対して悪口ばかりになったそうだ。

しかし女なんて皆そんなもんだろう。自分はそう思っていたので、その彼女に対しては友人たちと同じような悪感情は持てなかったものだ。

まあはっきり言うと、自分はその友人の先輩を死まで追い詰めたのはその女性だと思っている。彼女は非常に残酷なやりかた(ほかの男性との二又交際)で交際していた先輩を精神的に追いやりそして決断を迫った。が先輩は別の決断をしてしまったとそういうことだろう。言ってしまうがやっぱり(たかだか交際のもつれなんかで)自殺する奴が間違っているのだ。自分はそのように考えていた。

さて、話を戻すが、小説「本陣殺人事件」の真犯人だが、それは無理心中を図った男ではなくてむしろ共犯関係にあった加害者の実弟だろう。そしてその弟を突き動かしたのは無理心中の被害者になってしまった花嫁だったのではないか。

きっと横溝は「これは探偵小説でなければならない」という線引きをして「さらにもうひとつのオチ」にまでは踏め込めなかったような気がする のだが。

まあだからこれは自分の推測というか自分が当時「ナウな男女関係の在り方」から学んだ「新解釈」である。

「本陣殺人事件」の事件の真相だが、無理心中の被害者となってしまった花嫁の算段は夫の単独の自殺であり、彼女の目的はこの因習に縛られた結婚からの逃亡だろう。彼女の前には新しい、堅物の夫よりも魅力的な義弟がいるのだ。彼女が義弟から内密に聞かされていたのは「兄は自殺するがあなたに疑いがかからないようにトリックを使う」ということなのでは。(実際、最近似たような偽装殺人がありましたな)が兄は弟に打ち明けていたのとは別の行動(妻を殺害してから自らも果てるという無理心中)をとってしまう。しかも想定外だったのは夜半から降り出した雪が積もり密室となってしまった。

という見方をすると、新郎が新婦が傷物だったことに腹を立てての凶行というオチにしてしまった横溝正史の「本陣殺人事件」が、さらにその奥にある深層的真相である種の新文学として蘇るのである。

どこかの映画会社が今度「本陣殺人事件」を映画化するときには、こういう新しいオチを付け加えるたりしそうでちとそれが怖い。

文字で構成する文学としてならともかく、こういうのを映像化するとものすごくツマンナイものになりそうだし。

2012年7月12日木曜日

パンダ死亡

逆にVANさんというかたから「上野のパンダに関する予言とか来るようになったら一流ですね」みたいな、半分以上本気とは思えないメールが来ていたりするくらいだからここでそれについて書くのもどうかという気はしている。
まあ自分が書きたいのはそういうこと(予言の類)ではない。
「上野動物園のパンダの新生児が死んだらしい」というニュースを耳にしたのはその日の午前中だったか。たぶん、TBSの速報よりも早かったはずだ。
「今、東京都から電話もらいました」と仙台市の職員が押し寄せる電話での問い合わせに閉口するかのように上司に報告する姿を自分はこの目で見ている。その後になってから誰かが「東北放送(TBS系列)で一報!」というような情報が流れたようだった。
自分はなんかめんどくさいことになりそうだなと感じ、その上司に向かって「じゃ 昼だし、俺はここいらで」と暇(いとま)することを告げた。そうしたら、上司の顔にほっとしたような表情が浮かびうなずいたのが印象的だった。
「あなたどこにいたの?」と言われそうだが、申し訳がないがそれ以上のことは業務上の守秘義務で書けない。
さて、仙台市が上野のパンダのことにナーバスになっているのは、おそらく来年か再来年には仙台の動物園にパンダが来ることがほぼ決まっているからだろう。
単なる気分でこんなことを書くのではない。
自分は仙台にパンダはいらないと思う。そしてそれは意外にもというか当然というべきなのか仙台市民のほとんどがそう考えている。
では誰が積極的に「仙台にパンダを」と推し進めているかというと、むしろ仙台以外のところの人たちがほとんどだということが明らかなのである。
「何故仙台にパンダ」なのか。ホントによくわからない。考えれば考えるほどわからなくなる。
むしろ「仙台なんかにパンダを呼んで来ることの無意味さばかりがクローズアップしてくるくらいだ。
たとえば、積極推進派がパンダ招聘の理由として挙げている経済効果だが、試算がどうにも怪しい。「5年間で50億」というのはいくらなんでも盛りすぎ。誰でもがわかる。その中身を確かめると
「上野動物園や王子動物園では、ジャイアントパンダの導入初年度で入場者数がほぼ倍増となっております。八木山動物公園についても、同様に入園者が倍増すると仮定した場合、50万人ほどの増加が見込まれることから、これに平成21年度宮城県観光動態調査の平均消費額を掛け、経済効果を50億円と推計したものです」(仙台市のホムペに同内容の記載あり)などと書かれた答弁書がかえってきたりするのだ。
アホすぎる。突っ込みどころ満載でしょう。パンダ二頭目的で仙台(の動物園)に日本各地から五年間も人が押し寄せると踏んでいるのだこの人たちは。
そして、観光客が増えようが増えまいが、年にパンダ一頭につき年に約一億、つまり二億ぐらいの費用は必要になる。その費用を仙台市は「出したくない」といっているのだ。
じゃなんのための施策なのだろう。こんなザルだらけの試算を誰が喜ぶのか誰が歓迎するのだろう。「子供たちの笑顔のために」というのはお題目として立派だが、しかしこの美辞麗句に踊らされて結局泣くことになる人ばかりが続出するだけでしょう。
自分は個人的にこのパンダが来るという「八木山動物公園」に対して恨みもなもないけれど、もしパンダを招聘してそれを観光の目玉にというのであればそれはあんな山の上にある動物公園ではなくて、もっと市中に近いところに新たに特別な施設として作るべきだろうし、「経済効果は二の次」というのであれば、やっぱり仙台市は自力で予算をまかなうだけの体力をもつべきだろう。
「上野や王子」なんていう大人口地区をバックにしたところの実績をもってきて、それは100万規模の地方都市のそのさらに山のほうにある動物公園で起きるとかいうのは無理がありすぎる。起きるはずはない。
いうまでもないことだが、上野公園はアクセスのよい平地の、しかも人口の密集地にあるし、神戸の王子公園もまた海沿いの交通のアクセスのよい(市役所から5キロ)にある中心地にあるのだ。
これらを持ち出してくるのがいかに愚かなのかぐらいは誰でもわかるでしょう。
だから自分はこれをもってして「仙台(八木山動物園)にパンダはいらない」と強く主張している。

2012年7月10日火曜日

仙台89ERSに対する提案

少し気が早いが、もうすぐバスケットボールのシーズンが始まる。
今までは場所が離れていたためにあまり興味もなく観戦回数も5回ぐらいだったbjリーグ「仙台89ERS(エイティーナイナーズ)」の試合告知のポスターを見たりするといろいろと考えることが多くなってしまった。
一度いってみるとわかるが、bjリーグの(まあプロバスケットボールの試合ということになるが)チアリーダーとファン一体となった応援の盛り上がり方は野球ともサッカーとも違っていて実に洗練されていて、ファンでなくても、それを見ているだけでも結構楽しい。入場料もかなり安いのでお近くにbjリーグのチームのホームタウンがあるという方は一度足を伸ばしてみるのことをお薦めする。選手のスーパープレーを間近で見られるプロバスケの生観戦はサッカーとも野球ともまったく違う魅力がある。
さて、この「仙台89ERS」もまた震災の影響をモロに被ってしまい一シーズンを通してのフルでの活動ストップを余儀なくされており、今年(2012-13)が再開の最初の本格シーズンとなる。
まあ自分はバスケなど競技経験もなくただ見るだけの人なので、どうしてもチームであるとか試合を見る見方が浅い(といわれる)。
そんな外部者の私であるが、ひとつどうしてもこの仙台89ERSに対して言いたいことがある。
チーム名に関することだ。
チーム名の由来[註]はホームページにもあるしウィキペディアにもあるが、「89ERS(エイティーナイナーズ)」というチーム名がイマイチ弱いのは、仙台の市民誰一人として自分のことをエイティーナイナーズとは思ってないことだろう。中には「仙台だったら77ERSだろう[註]」と言い切る人も多い。
変えられるものならばこのチーム名変えたほうがいいような感じがするのだが。でないと仙台のファンはもうこれ以上増えないような気がする。
新しいチーム名としてだが、たとえばこんなのはどうだろう。
その昔自分が書いたシナリオ(不採用)の中で、「DATE CHARGERS(ダテ・チャージャーズ)」という仙台を本拠地とするサッカーチーム(クラブ)を登場させたことがあった。意味はそのまんま「伊達軍馬隊」である。

さて、このチーム名のミソは略称(愛称)が「DAT☆CHA」になることだ。「ダッチャ」つまり「仙台ダッチャ」。これならば仙台の誰が聞いても「おお仙台のチームだっちゃ」と耳目を集めること間違いなしだと思うのだが。
大阪の「エヴェッサ」、京都の「ハンナリーズ」と混じっても地域性が感じられる、そしてひけを取らないインパクトのあるチーム名だと思うんだが。どうでしょう、関係者の皆様。
2012.07.10
[註]1898年に仙台が市となったのと1989年に政令指定都市になったこのふたつから。
[註]仙台市に本店を置く第一地銀が「七十七銀行」だから。