2006年7月10日月曜日
Tom Verlaine Dreamtime 1-4
1981年発表。テレヴィジョンを解散後に発表したファーストアルバムに次ぐ、トム・バーレインのソロ第二作目である。
最近古いレコードを整理したらクラッシックのアルバムに挟まれるような感じでひょっこり出て来た。
前にも書いたが、現在ヘッドアンプが無いのでレコードを聴く事ができない。聴いて聴けないこともないのだが今使用しているプリメインアンプにはPHONE入力がないのでAUX(その他)に繋いだり、CD端子に繋いでもただのシャリシャリ音にしかならない。
イコライザー機能の付いたプリアンプでもいいのだが、RIAA曲線(補正曲線)を再現しようとすると別にもう一台メインアンプが必要になりかえって手間と金がかかってしまう。
レコードプレーヤー用のヘッドアンプを買うか作るか、でなければ最初からヘッドアンプ付のレコードプレーヤーを買ったほうが安上がりで手間もかからないというわけだ。
で、今度は古いカセットテープを整理していたところ、今度はこのアルバムをダビングしたものを発見した。
昔、女の子にあげるつもりでいたのがそのままになっていたのが残っていたらしい。
で、こういう経緯があって久しぶりにこのアルバムを聞くことが出来たのだが、当時持っていた印象とその記憶はかなり違ったものを感じることが出来た。
当時、トム・ヴァーレイン(テレヴィジョン)は、パティ・スミスらと並んでいわゆるアメリカの「ポスト・パンク」、ニューウェーヴのひとりとして位置付けられていた。音も、まあそんなもんだ。
しかし、ソロ名義になって発表されたこの2枚目のアルバムになるとかなり方向転換をしている。
テレヴィジョンの音を正統に進化させたようなファーストアルバム(邦題『醒めた炎』)とはかなり違って聞こえてしまう。
コンクリート剥き出しのガレージ内で録音したかのような過剰なエコー音が影をひそめ、音から普通のスタジオで録音したことが偲ばれてしまうような暖かさや柔らかさすら感じてしまう。
これは進化ではなく退化というものではないだろうか。そう思ったのである。
さらに、がらりと、とまではいかなくても「不必要じゃないか」と感じるような妙にメロディアスで感傷的な曲が目立つ。
ベタな表現だが、出来の悪い「パティ・スミスの曲」みたいに聞こえてしまう。
それでも今聞いてても違和感を覚えなかったのは詞の誠実さである。
これだけは不変であった、今聞いても。それだけが救いであった。
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ドリームタイム その2
というか、実は本当のことを言うと、自分が本当に書きたいのはこのトム・ヴァーレインのアルバムの音のことではない。
このアルバムにまつわる思い出のほうである。
いろいろあって自分にとってこのアルバムには忌まわしい思い出しかなかった、当初は。
1985年のころ、自分はある広告代理店の社員だった。そのころ、地元の私立大学に通っていた女子大生と短い間だけだが交際していたことがあった。ピアノの上手な、色白で小柄な女性だった。名前はゆかりという。
話をしていて高校時代の担任の教師が同じ人物だということがわかったのが仲が良くなったきっかけであった。
自分が高三のときに、その教師がゆかりの出身女子校に転任したことを覚えていたのでそのことを話題にしたら判明した事実であった。
たしか七夕(仙台のことなので8月)の最終日のことだ。やはりご多分に漏れずその日も大雨で、ふたりは繁華街のあちこちに残った七夕飾りをひとつひとつ確かめながら駅前方向に歩いていた。
その中に何故かこのトム・バーレインのアルバムの裏ジャケットの写真があったのだ。
まあ、正確な言い方をすればジャケットに使われた写真のオリジナル、ということになるのであろうが。
モノクロのマンハッタンの夜景写真なのだが、ゆかりはそれを指差して「キレイねぇ。」と微笑んで見せた。子供のような無邪気な笑顔であった。
それからしばらくして、自分の部屋でこのトム・ヴァーレインのアルバムジャケットの裏をじっと見たゆかりは「良く見ると、なんだかコワい感じ・・・」と言った。
その感覚は正しい。今でもそう思う。
さらにその数年後、自分はニューヨークのセントラル・パークをニューヨーク在住の友人と歩いていた。まだ日が落ちてまもないころだ。
そのころニューヨークではこのセントラルパークの再生運動が実を結んでかつてないほどの治安を取り戻し、多くの人々が行き交う場所となっていた。
ふと見上げた光景、目の前にある風景が目に飛び込んでくると、自分は激しいデジャヴュ(慨視感)に見舞われた。
どこかで見覚えがある光景だった。そして暫しのあいだ頭をめぐらせ、やっと今自分が、あのトム・ヴァーレインのアルバムに使われた写真と同じ場所、同じ向きに立っているということに気が付くのであった。
その場所は、思った以上にのどかであった。あの写真を見て感じる、迫り来るビルの恐怖感はどこにもない。
その友だちからセントラルパークで撮った写真が送られてきたのは4年前、つまり2002年の夏のころだった。
きっと見る人間の思い込みがそうさせるのだろうが、デジカメで撮ったその写真の中マンハッタンは9.11のショックからまだ立ち直っていないニューヨークの怯えのようなものが見て取れた。
とにかく、窓という窓に明かりにが灯り、それが闇を怖れた住人の心情を反映しているかのように見えたからだ。
今再びこうしてトム・ヴァーレインのドリームタイムを聴きながらこの写真を眺めていると、あのとき感じ、そして長らく忘れていたその恐怖について考えざろうえなくなってしまうのである。
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ドリームタイム その3
現在のセントラルパークの同じ方角から見た光景
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ドリームタイム その4
2006年夏、ニューヨークは再び平安を取り戻したようだ。
しかし実際にニューヨーク マンハッタン島に住んでいる友人に言わせれば、それは単なる表面上の話であって、実際にえぐられたこころの傷が癒えたとかそう云うことではないという。
一時期、ニューヨークの街角のいたるところには手作りの顔写真入りのポスターがペタペタと貼られていた。9.11行方不明になった人間の情報を求めている家族が貼ったものだ。
今でもそういうポスターはところどころに見受けられるという。貼りっぱなしにしてあるのではない。新たに更新されているのだ。
「きっとなくなることはないと思うよ、家族が全員死ぬまでは・・・」友人がそう説明した。
映画「ブレード・ランナー」の中でレプリカント(人造人間)達は何故か写真に固執するという下りがあった。一種の無いものねだりがそうさせるのだという説明があったような気がする。
今の自分もそれに近いものがある。
実は、自分が20代のころ、特に22~3才のころの写真がほとんどないのだ。
貸したままになっている写真があったので返してくれと頼んだら、「ああ、ゴメン、捨てちゃった。」と軽く言われたことがあった。
まったくもって酷い話である。
昔の別れた女で相当数持ったままというのもいる。
どういうつもりか知らないが「思い出と一緒に焼いてしまいました。」などといってのけた女がいた。言わせてもらえれば、そんなのただのオナニー行為である。馬鹿か、返せよ。燃やすなら。
そんな中で奇跡的に手許に帰ってきた一枚の写真がある。ゆかりが送り返してきた写真であった。
「私にとっては重荷ですが、きっとあなたにとっては大切なものでしょうからお返しします。」との一文が添えられていた。
思わず涙がでそうになったくらいだった。お互いのこころの中に残る「想い出」だけは「無事」に残ることとなった。
自分はその手紙を封筒に入れたままトム・ヴァーレインのレコードジャケットの中に入れっぱなしにしていたのだが、それをすっかり忘れていた。そしてそれを発見したというわけだ。
そしてこのアルバムの裏ジャケットをじっとみつめ「よく見ると、なんだかコワい・・・」と言ったゆかりの言葉が脳裏に蘇った。
こうして2006年7月、再びマンハッタン島のその場所に向う自分の眼前にはあの「アルバムジャケット」の写真そのままのセントラルパークがあったのだ。
ニューヨークという街は今確かに怯えている。
というストーリーを頭にいれてこのドリーム・タイムの裏ジャケットの写真をご覧下さい。
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