前にもご紹介した「ひらかつ」さんのご協力で海外のサイトにあったこの22日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」のマヤ予言に関するパートを見ることができた。
決して褒められた行為ではないが背に腹は変えられない。向こうがどこまで本気なのかはよくわからないけれども、こちとらも必死というか真面目なのである。
しかし酷い内容だねこりゃ。前半の衝撃映像とか可愛い動物特集みたいなので押し通せばいいものを、この番組、ときどきこのようなカビの生えたような、つまりネタバレしたインチキオカルトに手を染めるから価値を数段落としている。
欠点のひとつが、こういう「インチキオカルト」で番組を締めるものだから、最後に登場するビートたけしが只のピエロ、つまり馬鹿野郎にしか見えなくなるんだが番組としてもそれでいいということなのだろうか?
自覚はあまりなかったのだが、このブログ活動のお陰で日本で有数の「マヤ予言のオーソリティー」になってしまった自分から見て(笑)このパート約30分の中には看過できない嘘・インチキ・ハッタリがテンコ盛りであった。
いやマジでさ。本気になればこの番組のネタだけで、自分ブログ記事20本は書けますもん。やらないけどさ。
でも、どんなに要領良くまとめても10本以下にはできないだろうね。こまったもんである。いまのうちから胃薬のストック買いに行って来ようかと。
まずは小ネタというか「お笑いポイント」の追加を。
最初メールでこのこと知ったときには「嘘だろ」と思った。唖然とした。
「いくらなんでもそれは…」である。
それはこのシーン。
番組の取材班がメキシコを訪れてマヤの子孫と会うというシーンである。
彼らのほうから、伝統の『火の儀式』を執り行っている最中のところにに来てくれなんていうはずもないので、これは演出だろう。
インパクトのある絵(シーン)が欲しくて取材陣がマヤの子孫だという人たちにお願いしたのでこうなったとのだと思う。
まあこれも問題といえば問題だが、その直後そんなことなんかぶっとんでしまうようなとんでもないシーンが流れるのである!(陳腐なバラエティ番組ならばここでCMが入るだろう)
さてその問題のシーンだが、この『火の儀式』のシーンのビデオを見ていたスタジオの面々の中にいた作家の荒俣宏がなんと「マヤ語を使っている」と断言したのだ。
すげぇ。荒俣さんは耳で聞いてその謎の言語が「マヤ語」ってわかるんだ。
それこそジュセリーノ並みの語学の天才設定ってことになるのか、この番組的には。
断言するが、マヤ語なんて日本人が勉強して身に付くようなものでは決してないぞ。
そもそも「マヤ語」というが、大きく地域分類して五つの体系、細かく別けると20以上30近くの部族語にも分かれているものを総称したのが「マヤ語」だからだ。
ビデオで流されている音声を聞き分けてそれが「マヤ語である」とか断定できる人は本国メキシコ・グアテマラ合せても1万人もいないだろう。(註)
誰だよこんな子供騙しみたいな台本書いたやつは。もう信じられねぇようなミスだな。シロートかって。おまえら揃いも揃ってなにバカなことやってんだよ。
というか荒俣さんもそんな簡単なことに気がつかなかったのかね。自分の口にしたセリフが実に胡散臭いものであることに。
まあ普通の視聴者ならばこういうシーンは笑うのが正しいんだろう。基本この番組、笑ってナンボのお笑い番組だもの。テレビから腹の底から笑える「お笑い」が減った今、大作家の荒俣宏がわが身を削って渾身のプラクティカルギャグを放ったと思えばいいんじゃないのかと。
しかし自分は笑えないね。こういうのは。見ていて頭を抱えたくなる気持ちのほうが強い。だって恥ずかしいじゃない。
[註]すべてのマヤ部族の話語を理解できる人間は皆無だと言われている。
[追加]
新記事に付け加えようかと思っていたが、次の次の記事ぐらいまですでにぎっしり書くことが詰まっている状態なので追加で書いておきます。
まず自分のことを「マヤ予言のオーソリティー」だとか書いたのはもちろんジョークとしてで、本気でそんなことを思っていたりするわけではない。一ミリも。
ただ、前の記事、検索のことについて書いたときには触れられなかったが、普通の人がネットで「マヤ予言」が本当に本当の人類滅亡の予言なのかとか調べようとして「マヤ予言 真実」というようなキーワードで検索をしたりすると、トップに出て来るのがこのブログだったりするものだからだろう、私のことをマヤ予言の専門家と思いこんでメールとかしてくる人が結構いたようだ。残念なことだが。
何が残念かというと、そういった質問のメールに返事を出したりすると、必ずといって皆が「はじめてこのようなちゃんとした返答を頂きました」というような謝辞が返ってくるからだ。
つまりは、ほかにこのようなテレビでやるインチキオカルトに対してひと言「あれは嘘」とはっきりと言い切る人がいないということなのだろう。それが残念なのである。
大作家荒俣宏の「マヤ語を使っている」というセリフのことについて「よく気づきましたね目からウロコでした」というようなコメントが何通も来ている。
まあ書いたとおりで最初に気づいたのは自分ではない。なにしろ自分はそのメールが来た時点では番組(の録画)は見ていなかったのだから。
しかし、おそらく放送を同時間ナマで見ていたとしても、自分もすぐに気づいただろうと思う。
何故かというと、こちらで時折メールを紹介している中米系の女性もまたマヤの血を1/16だったか引いているというマヤの子孫の方で、彼女が「自分もマヤ語はひとつもわかりませんし(マヤ古代)文字も全然読めません」と書いてきていたのを記憶していたからだ。
決して彼女が特別なのではない。グアテマラ、ベリーズ在住のアウターチルドレン(外孫?)でもない限りマヤ語など使う必要はないし、もちろん教育システムもないという。
ビデオの中で儀式の男が口にしている謎の言語を「マヤ語を使っている」と断言してしまった作家にして語学の超天才の荒俣宏…、この代償は高く付くような気がしてならない。予言をするつもりはさらさらないが。
またこの発言について「あれはその直前の関根勤の『マヤ語使ってんのかな?』という(スタジオでの)発言を継いだだけでしょう。特に問題はないのでは…」というコメントが来ている。
いや、そうだけどね、そうなんだけどね。
だから自分は『誰だこの台本を書いたのは』とこんなトークの流れにしてしまった作家の責任だとしているのだが。
作家だけじゃないよな。この番組は生じゃないのだから、編集の段階で立ち会ったスタッフの誰かは気づいてこの荒俣発言を消すことだってできたはずなのである。
あくまでも気づけば、だが。というか普通気づいてこの部分、音声消すでしょう。だから、オマエら揃いも揃って何やってんのよと言ってるんだけど。
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2012年3月25日日曜日
2012年3月24日土曜日
奇跡体験!アンビリバボー (3月22日)の嘘 インチキ デタラメ 02
案の定というのか、例によって放送日を過ぎてからメールの数が増えてきた。
昨日10数通だったメールが今日は今のところ29通(23日23時現在)
流石というのかなんというのか、常連の皆さんはこの22日放送のアンビリバボーの内容については非常に冷笑的というか、まあはっきりいって小馬鹿にしたものが目立つ。
まずは小さなネタから
某常連の方(匿名希望)からいきなり爆笑モノが来たって感じです。
「番組の中に『宇宙線(放射線)の量が増えると宇宙服を着ていない宇宙飛行士は被曝して死に至るという』というナレがあったので家族で大笑いになりました。完全なこれは構成作家のポカですね」というもの。
宇宙服を着ないで船外活動したら被曝もなにも関係なくそりゃ死にますがな。なぜちゃんとここは「宇宙服」でなく「宇宙線対策を施した船内服」といえなかったのだろうか。
次
「作家の荒俣さんが古代サッカー場」に行ったときのことを語ってました。画面にも『古代サッカー場』のテロップが。(追加 画像あり)
マジですかい(笑)もしこれが事実なら、つまりマヤ文明時代にサッカーがあったならば、それこそ歴史的な大発見になるだろうな。サッカーの母国をイングランドからメキシコ(グアテマラとかペルーか)にしなければならないくらいの大発見だもの。
もちろん現地の観光ガイドが外国人観光客のためにわかりやすく「サッカー」という言葉を使って説明をしたということなんだろうが、何も日本でやるテレビ番組がそれら引きずられて「古代サッカー場」なんて表現する必要ないだろう。ウィキペディアみたいに「古代球技場」という表現を使えばいいだけだもの。
というか荒俣さん、本当に自分の体験を語ったのかな?むしろそこが疑問。
なにしろ現地にいけばその「球技」で使われている球がなんであるかぐらいの説明はうけるはずだからだ。もしそれを(自らの見聞として)知っていて「サッカー」という表現にこだわったのならば、それはサッカーという競技のことをよく知らないか、でなければサッカーという競技を貶めようという意図があるんじゃないかと疑われるだけですがね。
ほかにも、このような思わず笑ってしまうような番組の粗い出来上がりから生じたお笑いポイントをいくつか頂戴している。
全部挙げてもいいのだけれども、なにしろ自分はまだこの番組を見ていないので。
その面白さを番組の内容を掴んだ上で伝えきれない現状が申し訳ないところでもある。
それよりもなによりも、この番組の問題点は彼らが「マヤの人類滅亡予言」が実はただのニセモノで、マヤ暦は人類滅亡を予言したものではないことを知っていながらあのような内容にしてしまったことだろう。
それは果たして取材を受けたマヤの子孫の人たちの協力というものを無為にしてはいまいか。彼らの名誉や真摯な取材態度というものを傷つけてはいないのだろうか。
私はこういうところを思うので、このような番組の存在自体が許せないという立場を取る。
[追加]
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昨日10数通だったメールが今日は今のところ29通(23日23時現在)
流石というのかなんというのか、常連の皆さんはこの22日放送のアンビリバボーの内容については非常に冷笑的というか、まあはっきりいって小馬鹿にしたものが目立つ。
まずは小さなネタから
某常連の方(匿名希望)からいきなり爆笑モノが来たって感じです。
「番組の中に『宇宙線(放射線)の量が増えると宇宙服を着ていない宇宙飛行士は被曝して死に至るという』というナレがあったので家族で大笑いになりました。完全なこれは構成作家のポカですね」というもの。
宇宙服を着ないで船外活動したら被曝もなにも関係なくそりゃ死にますがな。なぜちゃんとここは「宇宙服」でなく「宇宙線対策を施した船内服」といえなかったのだろうか。
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「作家の荒俣さんが古代サッカー場」に行ったときのことを語ってました。画面にも『古代サッカー場』のテロップが。(追加 画像あり)
マジですかい(笑)もしこれが事実なら、つまりマヤ文明時代にサッカーがあったならば、それこそ歴史的な大発見になるだろうな。サッカーの母国をイングランドからメキシコ(グアテマラとかペルーか)にしなければならないくらいの大発見だもの。
もちろん現地の観光ガイドが外国人観光客のためにわかりやすく「サッカー」という言葉を使って説明をしたということなんだろうが、何も日本でやるテレビ番組がそれら引きずられて「古代サッカー場」なんて表現する必要ないだろう。ウィキペディアみたいに「古代球技場」という表現を使えばいいだけだもの。
というか荒俣さん、本当に自分の体験を語ったのかな?むしろそこが疑問。
なにしろ現地にいけばその「球技」で使われている球がなんであるかぐらいの説明はうけるはずだからだ。もしそれを(自らの見聞として)知っていて「サッカー」という表現にこだわったのならば、それはサッカーという競技のことをよく知らないか、でなければサッカーという競技を貶めようという意図があるんじゃないかと疑われるだけですがね。
ほかにも、このような思わず笑ってしまうような番組の粗い出来上がりから生じたお笑いポイントをいくつか頂戴している。
全部挙げてもいいのだけれども、なにしろ自分はまだこの番組を見ていないので。
その面白さを番組の内容を掴んだ上で伝えきれない現状が申し訳ないところでもある。
それよりもなによりも、この番組の問題点は彼らが「マヤの人類滅亡予言」が実はただのニセモノで、マヤ暦は人類滅亡を予言したものではないことを知っていながらあのような内容にしてしまったことだろう。
それは果たして取材を受けたマヤの子孫の人たちの協力というものを無為にしてはいまいか。彼らの名誉や真摯な取材態度というものを傷つけてはいないのだろうか。
私はこういうところを思うので、このような番組の存在自体が許せないという立場を取る。
[追加]
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2012年3月23日金曜日
奇跡体験!アンビリバボー (3月22日)の嘘 インチキ デタラメ
とりあえずこれをご覧下さい
101014 テレビでやっていた「マヤの予言」の嘘について
暗鬱である。この記事を掲げるのを1日伸ばそうかとも思った。まだ番組そのものは見ていないが、常連投稿の方々からの綿密なレポートのメールでだいたいのところはわかった。
メール多数。コメント30数通。まあこれは今でもときどきあることだけれども、アクセス数が5000を越えたり訪問者数が1500を越すというのはもう実に久しぶりのことで、これまた久しぶりに忘れていた胃痛に見舞われてしまった。
聞けば、どこの検索サイトでも「マヤ予言 真実」というキーワードで検索をするとトップに来るのがこのブログの記事らしいし。[註]
うっかりしていた。そういえば年度末なのでこの「アンビリバボー」で昨年放送予定しながらも取りやめたという「マヤ予言」を放送する可能性があったということを忘れていた。[註]
繰り返しになるが、この番組(にしても今まであったマヤ予言を人類滅亡の予言だとして取り上げた番組全て)が尊大で尚且つ犯罪的な行為なのは、マヤ民族の文化伝統というものを正しく伝えずに勝手に曲解して「人類は滅亡するのだ!」みたいなどうしようもないものにしてしまうことである。
こういうのを他国文化に対する屈辱行為というのだが、このようなテレビ番組を作っている当事者たちにはそういう意識はないのだろうなきっと。
自分は同じ日本人としてそれが恥ずかしくてしかたがない。
こういうことである。
マヤ文明を持ち上げてみせ、「マヤ文明は天文学が発達していた」「だからマヤの2012年人類の予言は信憑性があるのだ」というのでは、ひっくり返していうと、2012年に人類が滅亡しなかったらマヤの文明はたいしたものではない、という考え方を産むことになるからだ。
この手のオカルト番組というのは、そういう価値観を持った人間たちが作ってそして放送しているのだという悲しい事実である。
以前、メールで「こういうクソみたいなテレビ番組を作っている連中の全てが実は日本人ではないであるとか、あるいはどこかの反日本的価値観で凝り固まった某国の手先なのだというような夢想に浸ることがあります」というようなことをどなたかが書いてきたのだけれど、今の自分ならば同意してしまいそうである。
さて、上で書いたとおりで、自分はまだこの番組(録画)は見ていない。
だが、実はその昨年末に放送予定だったものの内容はある程度までは掴んでいた。
多少のモデファイは施されていたようだが基本は昨年頂戴したメールでリークされていたものそのままだといっていい。
なにしろ出演者が番組で口にしたというセリフがそっくりそのまま残っていたりするからだ。
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111125 自分が暗鬱になる理由 その1
元の記事(livedoor blog)
2012年3月16日金曜日
喉元過ぎれば…の見本のような日本のテレビ報道
とりあえずこちらに書きはじめるとする。
最近腹の立つことばかり立て続けに起きている。
そのひとつひとつを。
まず、3月11日 東日本大震災から丸一年ということで、テレビ各局でオンエアされた特別番組がどれもこれもひどいものだったこと。
見ないで済むのならばそれにこしたことはないとタカを括っていた。しかし世の中そう上手くはゆかないもので。
特に(やっぱり)フジテレビのがひどかったな。名前は出したくないが、福島を縦断した女性キャスターの勘違いぶりにはあきれてものが言えなかった。キャスターは事実を事実として視聴者に伝えるのが使命のはずだが。
次、3月14日、つまり一昨日の水曜日、三陸沖と千葉沖を震源とするふたつの大きな地震があまりあいだをおかずに発生した。(18時9分と21時5分)
三陸沖が震源の地震のその最中、自分は東京の知り合いと電話の最中だった。つまり、6時少し過ぎということになるが。向こうからは「一旦切るね」と言われた。そののち向こうから電話がかかってきたのだけれど(今度は7時過ぎということになる)
彼女もあきれ返っていたのが、これまたフジテレビだった。
地震直後から津波注意報が発令されていたにも関わらず、フジテレビでは特別報道体制を敷かずに、そのまま「電動アシスト自転車特集」であるとか「若手女お笑い芸人による節約術」を延々と流していたというからだ。
聞けば全民放(テレ東は除く)がすでに特別報道体制に移行しているのにである。
フジテレビが同じニュース枠で、この三陸沖で起きた地震と津波注意報について触れたのは地震発生後40分近く過ぎた6時50分ごろ。
その女性キャスターは、そのニュース番組の中で「つい先ほど」を繰り返していたという。(それは自分も確認した)
いや何がすごいといって、30分も前に起きた大きな地震と直後に発令された津波注意報や警報から30分を過ぎてから「ついさっき」と言い切るその欺瞞に対しては驚くを通り越してあきれ返る。
これ、思い返してほしい。大切なことだ。
東日本大震災では、地震から30分後に津波が到達していた地区があったということだ。
つまり地震後、津波警報・注意報が出て30分も放置しているというのは「報道」として重要な何かが抜け落ちているということ。
極端に言えば「津波の危機に晒されている人たち」を見殺しにするのと同じ行為なのだが。彼らはそういうことは少しも考えなかったのだろうか。
電話の相手の彼女は、この女性キャスターのことを非常に腹ただしく感じたという。「少なくともこういうニュースの顔じゃないよ」と言っていた。
彼女たちとこのフジの番組を一緒に見ていたひとから「このババアしねや!」みたいな怒声が出たことに彼女もある種の恐怖を感じたという。もう少し言うと、つまりは少しばかりの同意を感じた自分が怖かったそうだ。
自分としては、ただこのような報道を抱える局のエリア視聴者でないことに少しばかりの「安堵ー」を感じるだけであるが。
そして、話はそのわずか三日前に放送された、その「震災特別番組」に戻る。あの番組の空虚さというものが何に起因しているのかその最大の理由をしみじみと実感したわけだ。
あんなお泪頂戴プログラムを流すより先にやることがあるだろう。テレビ局ならば。
それは一にも二にも、緊急時には速やかに放送内容を変更できるなどフレキシブルな対応システムの構築だろう。それが出来ていないということが露呈したのだともいえるだろうが。
こういうのはネットのキー局としては致命的な欠陥以外の何物でもない。
悪いことはいわねぇ仙台放送よ、いざとなったら勝手に全国ネット放送から切り替えて独自判断で緊急報道体制に変えることができる権限だけは確立してはくれないだろうか。同じフジ系列というだけで不安でしかたがないからだ。
2012.03.16
最近腹の立つことばかり立て続けに起きている。
そのひとつひとつを。
まず、3月11日 東日本大震災から丸一年ということで、テレビ各局でオンエアされた特別番組がどれもこれもひどいものだったこと。
見ないで済むのならばそれにこしたことはないとタカを括っていた。しかし世の中そう上手くはゆかないもので。
特に(やっぱり)フジテレビのがひどかったな。名前は出したくないが、福島を縦断した女性キャスターの勘違いぶりにはあきれてものが言えなかった。キャスターは事実を事実として視聴者に伝えるのが使命のはずだが。
次、3月14日、つまり一昨日の水曜日、三陸沖と千葉沖を震源とするふたつの大きな地震があまりあいだをおかずに発生した。(18時9分と21時5分)
三陸沖が震源の地震のその最中、自分は東京の知り合いと電話の最中だった。つまり、6時少し過ぎということになるが。向こうからは「一旦切るね」と言われた。そののち向こうから電話がかかってきたのだけれど(今度は7時過ぎということになる)
彼女もあきれ返っていたのが、これまたフジテレビだった。
地震直後から津波注意報が発令されていたにも関わらず、フジテレビでは特別報道体制を敷かずに、そのまま「電動アシスト自転車特集」であるとか「若手女お笑い芸人による節約術」を延々と流していたというからだ。
聞けば全民放(テレ東は除く)がすでに特別報道体制に移行しているのにである。
フジテレビが同じニュース枠で、この三陸沖で起きた地震と津波注意報について触れたのは地震発生後40分近く過ぎた6時50分ごろ。
その女性キャスターは、そのニュース番組の中で「つい先ほど」を繰り返していたという。(それは自分も確認した)
いや何がすごいといって、30分も前に起きた大きな地震と直後に発令された津波注意報や警報から30分を過ぎてから「ついさっき」と言い切るその欺瞞に対しては驚くを通り越してあきれ返る。
これ、思い返してほしい。大切なことだ。
東日本大震災では、地震から30分後に津波が到達していた地区があったということだ。
つまり地震後、津波警報・注意報が出て30分も放置しているというのは「報道」として重要な何かが抜け落ちているということ。
極端に言えば「津波の危機に晒されている人たち」を見殺しにするのと同じ行為なのだが。彼らはそういうことは少しも考えなかったのだろうか。
電話の相手の彼女は、この女性キャスターのことを非常に腹ただしく感じたという。「少なくともこういうニュースの顔じゃないよ」と言っていた。
彼女たちとこのフジの番組を一緒に見ていたひとから「このババアしねや!」みたいな怒声が出たことに彼女もある種の恐怖を感じたという。もう少し言うと、つまりは少しばかりの同意を感じた自分が怖かったそうだ。
自分としては、ただこのような報道を抱える局のエリア視聴者でないことに少しばかりの「安堵ー」を感じるだけであるが。
そして、話はそのわずか三日前に放送された、その「震災特別番組」に戻る。あの番組の空虚さというものが何に起因しているのかその最大の理由をしみじみと実感したわけだ。
あんなお泪頂戴プログラムを流すより先にやることがあるだろう。テレビ局ならば。
それは一にも二にも、緊急時には速やかに放送内容を変更できるなどフレキシブルな対応システムの構築だろう。それが出来ていないということが露呈したのだともいえるだろうが。
こういうのはネットのキー局としては致命的な欠陥以外の何物でもない。
悪いことはいわねぇ仙台放送よ、いざとなったら勝手に全国ネット放送から切り替えて独自判断で緊急報道体制に変えることができる権限だけは確立してはくれないだろうか。同じフジ系列というだけで不安でしかたがないからだ。
2012.03.16
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