2006年5月19日金曜日

心霊写真 その1

その昔、某有名牛丼チェーンの店頭タペストリー(垂れ幕)の牛丼の盛りの部分が丁度人の顔に見えて「心霊写真か」と話題になったことがあった。

このように何かが人の顔やら何か別のものに見えてしまう現象をシミュラクラという。これは人間の心理のなせる技である。

人間は丸いものがふたつ並んでいるとついつい目玉と見てしまう傾向があり、その下にもうひとつまるいものや線があるとそれだけで立派な顔として見てしまう。
どういうことかといえばつまりこういうことである。



             ゚ ゚


         - -
                     
          0  



「心霊写真」のほぼ九割はこういった現象で説明がつく。
問題にすべきは写真そのものというよりも「見る人間の心理」である。前項でも触れたが「見えてあたりまえ」であり、むしろ「顔に見えない」という人がいたらその方を問題にすべきかもしれない。

それでもそのシミュラクラでは説明のつかない「心霊写真」というものも存在する。明らかなねつ造は除外しての話でである。

明らかな人影がありえない角度で写っていたり、手や体の一部がどうでもいいような集合写真に紛れ込んで写っている場合がある。これが結構多い。
しかしこれもネガを詳細な目で見たり、限界ギリギリまで引き伸ばして写真を焼き付けて(写真そのものを拡大しても原因は掴めない)見るとほとんどのものは解明できる。
シャッターの二度押しによる二重露光や、シャッタースピードが光量と合わなかったために起きてしまう現象で、昔はこれがものすごく多かった。今の主流のフルオートのカメラでもこれがたまに起きてしまう。

通りすがりのひとが丁度立ち止まったりしたときにシャッターが降りると結構鮮明に写ったりしたのである。これが今のカメラでもよく起きるのだ。

私は写真の専門家というわけではない。それでも友人のカメラマンのアシスタントをしたり、広告屋として何万枚というネガや写真を扱ったり目にしてきた。さらにDPEの受け付けの仕事もしてきたので普通の人よりは写真に対しては詳しいし、実際に相当枚数の写真やネガを扱ってきている。こういう一見心霊写真っぽい現象は決して珍しくはないのである。

その経験を踏まえて言うのだが、心霊写真というものはまずこの世には存在しないと思ったほうがよい。

そして今、心霊写真の存在を全否定できるという状況になりつつある。なにがかというとデジカメの登場と普及である。デジカメで撮れてしまった「心霊写真」というものが登場してしまったことだ。

普通の(銀塩フィルム)の写真とデジカメで撮った写真は見た目は同じに見えるが、その撮影のプロセスはまったく別のものである。

仮に心霊というものが物質的存在でないとしても、それが普通の銀塩フィルムに映り込んだりする可能性はゼロとはいえないが、同じものがデジカメに写る可能性はゼロである。
もし写ったりするのであれば、それはどういうことかといえば、心霊側がデジカメの登場に合わせて自らの本質を変えているということになってしまう。

もう少しわかり易く言うと、心霊さんがいちいち人間が手にしているカメラを判別して「あっ、あのニコンのカメラ、デジカメかよ~ニコンのデジカメって見た目区別がつかないなぁ」とかこぼしつつ自分の本質をデジカメで写るように変換しているということになってしまうのだ。

そんなわけがない。

私は、心霊がなにものかはわからない。(そもそもあるとは思っていないが)しかし銀塩フィルムに写ると言うことはなんだかのエネルギーを持ったものであるということだ。この場合はつまり「物質はエネルギーである」という意味でのエネルギーであるが。

エネルギーであるならば可視光線でなくとも銀塩のフィルムに写る可能性はごくわずかとはいえ、あることはある。紫外線や赤外線、もっと内側や外側にある不可視光線(X線や熱線とか)に反応したフィルムに写ってしまう可能性は考えられなくもない。(まったくゼロではない、という意味で)

しかしデジカメの受光部分であるCCCDは可視光線にしか反応しない。何故かというとそういう具合に機械の部品が作られているからである。そうしないとデジカメで撮った写真は人間の目で見た映像ではなくなってしまう。

そうすると、「心霊は人間の目では見えない何か」が写ったものとする今までの肯定派の主張・意見はすべて間違っていた事になり、いままで銀塩フィルムに写っていた心霊写真を全てニセモノとしなければならなくなるのである。

従って、この「心霊写真」という事象に関する合理的な説明は「初めから心霊写真などというものはなかった」とすることなのである。

もっと重要なことは仮にこのように「心霊写真」を否定したとしても「心霊」の実存を全否定することにはならないということだ。さらに踏み込んで言えば、仮に実存を全否定したとしても(私がその立場であるが)存在そのものの否定にはつながらない。ということなのであるが。

というよりもまず第一に「心霊写真」そのものが心霊の存在証明にはなっていないということを肝に銘じるべきである。

で次は心霊ビデオ(動画)に関する解釈である。疲れるな(笑)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(初出「これもまた人生の一日」97.10.11)
リクエスト多数につき再編集して再掲しました。

0605191636