街を歩いていたときに街角アンケートに掴まって、いろいろな質問をされてしまった。大失敗であった。年は取りたくないものだなあとしみじみ感じた。
で、その質問の中には「新しく発足した民主党政権にどのくらい期待していますか?」というのがあって、期待度というものを数字(パーセンテージ)で答えろというので、自分はしばらく考えてから「25%くらい」と答えた。
すると、その緑色のウインドブレーカーを着たアンケーターは・・・ずいぶんと低いねぇ・・・と言わんばかりの表情になった。
そして「差し支えなければその(25%と答えた)理由もお願いしたいのですが?」と尋ねてきたので、「25%」としたその理由を懇切丁寧に説明した。
すると向こうは目を丸くしていた。
自分が「期待は25%くらい」としたその理由だが、簡単に言うと「一年もてばまあマシかな」ということだ。
同一内閣による最長任期は四年だから、その4分の1である一年もったらいいほうなのではないか、という意味での25%なのである。
鳩山内閣が抱えている多くの地雷原というか問題点、その中でも最大の「火薬庫」は(これは誰しもが認めることだろうが)国民新党と社民党という政治的理念も人的なファクター(支持母体が敵対関係にあったりする)も相容れないふたつの政党の代表をふたりとも入閣させてしまったことだろう。
鳩山新首相はこのふたりのどちらかを切れずに、あるいは両方を切り捨てることもできずに入閣をさせてしまった。
おそらくは、鳩山新首相はこれからも連立を組んだ社民党と国民新党の代表を内閣からは外すことはできないだろう。
もし民主党の総意としてそれを鳩山首相に求めると、下手をすれば、今度は民主党は代表選びからやり直しをしなければならなくなる。
かつて、民主党は自民連立政権の首相が交代するたび不信任案をチラつかせて、内閣総辞職しろ、でなければ総選挙をと迫っていた。
その同じ言葉の切っ先が今度は民主党連立政権に向けられることになるのだ。
もし民主党内閣がその言葉を守らなければ、それは今度は民主党が国民を欺いたことになる。
自分たちが出来ないことをかつて自民連立政権に迫った、ということになるからだ。
だから、おそらくは連立を組んだ政党のどちらか(あるいは両方とも)離脱して閣外協力の関係になり、民主単独政権になったりするのではないだろうか。
それこそ一年とかではなくて三ヶ月もすればその兆候というものは現れるはずである。
このふたつの政党(のどちらか)が内閣から去るというこは、この新内閣もまた終わりを迎えるということになるはずだ。
だから一年持てばいいかな、なのだ。
自分は別におかしなことは言ってないはずだと思うのだが。
(この記事は重複になります)
2009年6月22日月曜日
テレビの超能力捜査番組の無能力 そして欺瞞の個所
9日にTBSテレビでやっていた超能力捜査の番組についてのコメントを頂いております。
なんでも、聞くところによると、マクモニーグルの超能力の番組であるとか、あるいは、数年前にテレビ朝日でやっていた「テレビのチカラ」という番組のパクリ企画だそうです。
それ以上のことは今の自分は何もいえませんね。
第一、自分はその番組自体を見ておりません。(註)
何でもかんでも否定したりすることがいいことというのではないだろうし。
でも、多くの方が書いてきているように、この番組、おそらくはとても低い志で作られているというのは間違いはないとは思うのだが。
はっきりいって、自分はこの手の「超能力捜査」を全面に押し出した番組は嫌いである。単なる感情でしかないが。(註)
単なる個人的な感情としてだけではなく、この手の番組に感じる「まやかし」の部分がいつもそのままにされているということについて、テレビの番組としてみた場合大きな問題があるとも思っている。
この「まやかし」の点について説明する。(註)
その1
未解決の殺人事件であるとか(社会的な)事件性があるものならば、「超能力捜査」でもなんでもいい(テレビ番組として)やってもいいだろう。しかし、そうではない単なる失踪であるとか家出に対してなんで超能力捜査を必要とするのだろうか。あるいはそれをテレビ番組にする必要があるのだろうか。
その2
その「超能力者」は本当に世界的に有名な超能力者なのだろうか。そこにウソは入ってはいないのか。
その3
その超能力者が海外で解決した事件を再現したV(ビデオ)やフィルムのなかでは、鮮やかな透視で見事に事件を解決したことになっているのに、どうして彼らを日本に連れてきて「超能力捜査」をさせるとダメダメな結果ばかりになるのか。
その4
その「超能力捜査」の結果というものが、いわゆる「ホット・リーディング(事前の綿密な調査)とコールド・リーディング(意識誘導)で説明のつくものばかりなのは何故なのか。
以上。
視聴率全体の大幅ダウンにあえいで、今にもぶっ倒れそうなTBSというテレビ局がこの手の番組に手を染めてしまうと、どうしても「窮すれば鈍する」であるとか「貧すれば鈍する」という言葉が思い浮かんできてしまう。
2009.06.10-18:30
註)その番組の放送時間、自分は寝ていた。
註)うまく説明できないが、テレビ(局)の暴力のようなものを感じるからだ。この手の番組を見ていると、テレビ局が事件の被害者の遺族相手に心霊詐欺をやっているように見えてしまうことがある。
註)以前、別のブログで「テレビ番組」としてのテレビ朝日の「テレビのチカラ」という番組を批判した文意ほとんどそのままである。
☆☆☆☆☆
【『キミハ、ブレイク』というテレビ番組の問題点】
1
いまさらという感じかもしれないが、このTBSの超能力捜査の番組をみることが出来た。(註)
自分の感想から先に言っておく。この番組を見たという皆さんが口を揃えているのと大差はない。テレビで放送するに値しないような酷い番組内容であった。
第一、この番組で取り上げた「未解決事件」の全て、わざわざ海外から超能力者を呼ばなくても、普通の「テレビ公開捜査」という形式で成立したはずではないのか。
ひとつひとつの事件について詳しく書いてゆくとあまりにも長くなるので、ここでは番組の最初で取り上げた佐賀県鳥栖市で起きた殺人事件のケースについてのみ述べるとする。
さて、この事件を解決するためにイギリスから来たという透視能力者(ジョー・パワー)の能力だが、明らかに疑問符がつく。(註)
まず透視の結果だとして彼が言っていることがおかしいのだ。いろいろと述べたあとでジョー・パワーはこうも言った。
「警察も犯人の目星はついている」
「なにそれ」って感じだ。よく考えて欲しい。警察で真犯人の目星がついているというのであれば、このジョー・パワーをイギリスから呼ぶ必要はなかったということになる。つまりジョー・パワーは自分の口で自分の超能力(透視・死者の声が聞こえるという触れ込み)による捜査の必要はないことを宣言しちゃっているのである。つまり「そういうテレビ番組になっちまっている」ということだが。(註)
なんでこんな中途半端なヤツを呼んだん?テレビの人、しっかりしてよ。
カメラの前で、こめかみに両手を当てるポーズをとったりと、それっぽく見せようとしているところなんか、逆に芝居かがっていて見ていて萎えてしまった。
自分は画面に向かって思わず「キイナ(註)かよ」と突っ込んでしまっていたぞ。
註)知り合いから番組を録画したUSBメモリを借りて見た。というか、会うなりいきなり「これ、あの超能力の番組」と手渡されたのだ。んー、ありがたいことには違いないが…。
註)「キミハ、ブレイク」という週替わりのバラエティ番組だということはすでに聞いてしっていた。しかし、内容はテレビ朝日でやっていた「テレビのチカラ」の構成進行の演出であった。おそろいのスタッフジャンパーを着たオペレーターたちがひな壇にずらりと並んでいるところもまるっきり踏襲しているという念のいれようだ。事情を知らないでぼんやりとこの番組を見ていた人や、クロスネット(系列局またぎ)されている地方でこの番組を見たら「おっ『テレビのチカラ』が特番で復活か!」と勘違いした人も相当にいたのではないか。
註)イギリスでは一応透視能力者として活動実績のある人間であることは間違いないようだ。しかし、イギリスにいる知り合いに聞いたところでは「聞いたことないなぁ」というような反応がかえってきた。そのくらいの知名度の超能力者らしい。これは大きな目安となるだろう。番組の中で取り上げていたイギリスで起きた女児誘拐事件についても「そのジョー・パワーとは関係ないと思うよ」というような返事がかえってきた。どうやらイギリスでは「超能力で事件を解決した」とは見なされていないようである。あらら。
註)逆に言えば、仮にこの事件が解決したとしても、このジョー・パワーの透視能力の結果によるものとはまったくならないということになるのだ。「じゃぁ、なんのためにこのジョー・パワーは日本くんだりまで出向いてきたのだろうか?」ということになりかねないよねぇ。
註)日本テレビでやっていた菅野美穂主演の刑事ドラマ。正式な番組名は「不可能事件捜査官キイナ」だったかな。(※正しくは『キイナ~不可能犯罪捜査官』でした)
☆☆☆☆☆
2
しかし、やはり決定的にこのジョーパワーという霊能力者の能力の部分に対して懐疑的にならざるをえないのは、結局のところ、ジョーパワーがこの殺人事件の実体に迫るものをなにひとつとして提示できなかったことだろう。(番組で彼が提示したものは単なる推理というか想像でしかない)
下で述べた「超能力捜査番組のまやかし」の中のその3
その超能力者が海外で解決した事件を再現したV(ビデオ)やフィルムのなかでは、鮮やかな透視で見事に事件を解決したことになっているのに、どうして彼らを日本に連れてきて「超能力捜査」をさせるとダメダメな結果ばかりになるのか。
がそのままあてはまってしまっているといえる。
番組の中でジョーパワーは「事件現場から半径6.4キロ以内(註)に犯人の手がかりとなるものがある」と言った。
しかし、「霊とコンタクトを取る」と言っている霊能力者が何故このような広大なエリアを指定しなければならないのだ。いったいどんな霊と交信すればそのような「手がかり」を聞き出せるのだろう。このことだけでもジョーパワーなる人物の霊能力は疑ってかかって当然だろう。
しかも、ジョーパワーが言っているのは「真犯人の住居であるとか勤め先が半径6.4キロエリア内にある」ではない。あくまでも「事件の手がかりとなるものがある」なのだ
これではいくら透視をしたところでほとんどなんの意味も持たない。(註)
まして、そんな透視結果をもとにして真犯人の住居探しをするのは輪をかけて無意味な行動になる。番組スタッフはそのことには気がつかなかったのだろうか。
それとも、気がついていながらも、ああやって現場付近をくまなく探し回っていたということなのだろうか。
2009.06.17
註)多くの方がこの「半径6.4キロ」という部分に対していろいろと書いてきている。この半径6.4キロという「いかにも中途半端な距離」であるが、これはおそらくはマイルをキロメートルに換算した結果だと思われる。6.4キロとは4マイルのことだろうと思うのだ。(単純に1マイルに1.6キロという概数をあてはめただけの)大雑把な結果なのだろう。
註) 「半径6.4キロ以内」という広いエリアならば、こんな「透視」は当たっていて当たり前だろう。
☆☆☆☆☆
3
自分がこの番組で一番気になったところ、それは、この殺人事件の被害者の父親が当初は超能力捜査というものに対して懐疑的だったのだが、それを番組のスタッフが説得したと言っている個所である。(註)
つまりこういうことになる。
当初は番組のスタッフは(この家族に対しては)超能力捜査という番組のコンセプトを隠して接触をはかり、番組にすることを取り付けてから、あとになって超能力者を呼んで捜査をする番組の主旨というものを打ち明けて了承をとりつけたことになるわけだ。(少なくとも、画面上での流れを見るとそうとしかとれない)
こういったところが(感じられてしまうのが)自分が言う「テレビ局による心霊詐欺行為」なのだが。
実際のところどうだったのか、自分にはもう調べようがないことだが、こういうテレビによる「傲慢」の匂いというものが立ち昇るのが、テレビによる「超能力捜査番組」というものを自分が嫌うという説明にはなるかと思う。どうだろうか、ご理解はいただけただろうか。
ついでにこういうことをいうと投槍に聞こえてしまうかもしれないが、もっとよくないところがあるとすれば、この手の「超能力捜査の番組」一度足りともまともに事件解決までを放送したことがないことだ。
超能力捜査のテレビ番組、どれもこれも最初はまるで霊能力者を招いて、警察が手を拱いた難事件をたちどころに解決できるようなことを言っておきながらも、いまだかつて一度たりとも取り上げた事件を解決まで導いたことなどないというのが実情である。(註)
どうしたもんなんだろう。やるからには最後(事件解決)までちゃんと責任とって真犯人を探し出せよと言いたくなるこちら側の気持ち、それは視聴者の傲慢と片付けられてしまうようなものなのだろうかね。(おわり)
2009.06.19
註)うろ覚えだが、自分が昔見た「テレビのチカラ」だったかの番組中にも似たような、おなじようなシーンがあったので、もしかすると、こういう家族を説得するシーンの挿入というものは、この手の心霊番組・超能力捜査番組ではいわば「お約束」になっていることなのかもしれない。
註)FBI超能力捜査官シリーズにあった漫才コンビ麒麟の田村の父親探しのことは前に書いたとおりだ。また、日本テレビで取り上げた青森県弘前市での放火事件、あれはまったくの嘘=フィクションである。少なくとも、番組内で取り上げたナンシーマイヤーの似顔絵は捜査の役にもなんにも立っていないことは今では知られた話である。これは古い話になるが、35年前、NET(現テレビ朝日)でやった超能力捜査の番組でやった埼玉での女児行方不明事件も、その後の(雑誌などの)調査で、番組で招いたオランダ人の透視能力者クロワゼットの発言部分にまったく違う字幕(テロップ)をつけてごまかしていたり、編集の際に順番を入れ替えていたことなどが暴露されている。つまり、あの番組もまたやはりヤラセだったのだ。
☆☆☆☆☆
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なんでも、聞くところによると、マクモニーグルの超能力の番組であるとか、あるいは、数年前にテレビ朝日でやっていた「テレビのチカラ」という番組のパクリ企画だそうです。
それ以上のことは今の自分は何もいえませんね。
第一、自分はその番組自体を見ておりません。(註)
何でもかんでも否定したりすることがいいことというのではないだろうし。
でも、多くの方が書いてきているように、この番組、おそらくはとても低い志で作られているというのは間違いはないとは思うのだが。
はっきりいって、自分はこの手の「超能力捜査」を全面に押し出した番組は嫌いである。単なる感情でしかないが。(註)
単なる個人的な感情としてだけではなく、この手の番組に感じる「まやかし」の部分がいつもそのままにされているということについて、テレビの番組としてみた場合大きな問題があるとも思っている。
この「まやかし」の点について説明する。(註)
その1
未解決の殺人事件であるとか(社会的な)事件性があるものならば、「超能力捜査」でもなんでもいい(テレビ番組として)やってもいいだろう。しかし、そうではない単なる失踪であるとか家出に対してなんで超能力捜査を必要とするのだろうか。あるいはそれをテレビ番組にする必要があるのだろうか。
その2
その「超能力者」は本当に世界的に有名な超能力者なのだろうか。そこにウソは入ってはいないのか。
その3
その超能力者が海外で解決した事件を再現したV(ビデオ)やフィルムのなかでは、鮮やかな透視で見事に事件を解決したことになっているのに、どうして彼らを日本に連れてきて「超能力捜査」をさせるとダメダメな結果ばかりになるのか。
その4
その「超能力捜査」の結果というものが、いわゆる「ホット・リーディング(事前の綿密な調査)とコールド・リーディング(意識誘導)で説明のつくものばかりなのは何故なのか。
以上。
視聴率全体の大幅ダウンにあえいで、今にもぶっ倒れそうなTBSというテレビ局がこの手の番組に手を染めてしまうと、どうしても「窮すれば鈍する」であるとか「貧すれば鈍する」という言葉が思い浮かんできてしまう。
2009.06.10-18:30
註)その番組の放送時間、自分は寝ていた。
註)うまく説明できないが、テレビ(局)の暴力のようなものを感じるからだ。この手の番組を見ていると、テレビ局が事件の被害者の遺族相手に心霊詐欺をやっているように見えてしまうことがある。
註)以前、別のブログで「テレビ番組」としてのテレビ朝日の「テレビのチカラ」という番組を批判した文意ほとんどそのままである。
☆☆☆☆☆
【『キミハ、ブレイク』というテレビ番組の問題点】
1
いまさらという感じかもしれないが、このTBSの超能力捜査の番組をみることが出来た。(註)
自分の感想から先に言っておく。この番組を見たという皆さんが口を揃えているのと大差はない。テレビで放送するに値しないような酷い番組内容であった。
第一、この番組で取り上げた「未解決事件」の全て、わざわざ海外から超能力者を呼ばなくても、普通の「テレビ公開捜査」という形式で成立したはずではないのか。
ひとつひとつの事件について詳しく書いてゆくとあまりにも長くなるので、ここでは番組の最初で取り上げた佐賀県鳥栖市で起きた殺人事件のケースについてのみ述べるとする。
さて、この事件を解決するためにイギリスから来たという透視能力者(ジョー・パワー)の能力だが、明らかに疑問符がつく。(註)
まず透視の結果だとして彼が言っていることがおかしいのだ。いろいろと述べたあとでジョー・パワーはこうも言った。
「警察も犯人の目星はついている」
「なにそれ」って感じだ。よく考えて欲しい。警察で真犯人の目星がついているというのであれば、このジョー・パワーをイギリスから呼ぶ必要はなかったということになる。つまりジョー・パワーは自分の口で自分の超能力(透視・死者の声が聞こえるという触れ込み)による捜査の必要はないことを宣言しちゃっているのである。つまり「そういうテレビ番組になっちまっている」ということだが。(註)
なんでこんな中途半端なヤツを呼んだん?テレビの人、しっかりしてよ。
カメラの前で、こめかみに両手を当てるポーズをとったりと、それっぽく見せようとしているところなんか、逆に芝居かがっていて見ていて萎えてしまった。
自分は画面に向かって思わず「キイナ(註)かよ」と突っ込んでしまっていたぞ。
註)知り合いから番組を録画したUSBメモリを借りて見た。というか、会うなりいきなり「これ、あの超能力の番組」と手渡されたのだ。んー、ありがたいことには違いないが…。
註)「キミハ、ブレイク」という週替わりのバラエティ番組だということはすでに聞いてしっていた。しかし、内容はテレビ朝日でやっていた「テレビのチカラ」の構成進行の演出であった。おそろいのスタッフジャンパーを着たオペレーターたちがひな壇にずらりと並んでいるところもまるっきり踏襲しているという念のいれようだ。事情を知らないでぼんやりとこの番組を見ていた人や、クロスネット(系列局またぎ)されている地方でこの番組を見たら「おっ『テレビのチカラ』が特番で復活か!」と勘違いした人も相当にいたのではないか。
註)イギリスでは一応透視能力者として活動実績のある人間であることは間違いないようだ。しかし、イギリスにいる知り合いに聞いたところでは「聞いたことないなぁ」というような反応がかえってきた。そのくらいの知名度の超能力者らしい。これは大きな目安となるだろう。番組の中で取り上げていたイギリスで起きた女児誘拐事件についても「そのジョー・パワーとは関係ないと思うよ」というような返事がかえってきた。どうやらイギリスでは「超能力で事件を解決した」とは見なされていないようである。あらら。
註)逆に言えば、仮にこの事件が解決したとしても、このジョー・パワーの透視能力の結果によるものとはまったくならないということになるのだ。「じゃぁ、なんのためにこのジョー・パワーは日本くんだりまで出向いてきたのだろうか?」ということになりかねないよねぇ。
註)日本テレビでやっていた菅野美穂主演の刑事ドラマ。正式な番組名は「不可能事件捜査官キイナ」だったかな。(※正しくは『キイナ~不可能犯罪捜査官』でした)
☆☆☆☆☆
2
しかし、やはり決定的にこのジョーパワーという霊能力者の能力の部分に対して懐疑的にならざるをえないのは、結局のところ、ジョーパワーがこの殺人事件の実体に迫るものをなにひとつとして提示できなかったことだろう。(番組で彼が提示したものは単なる推理というか想像でしかない)
下で述べた「超能力捜査番組のまやかし」の中のその3
その超能力者が海外で解決した事件を再現したV(ビデオ)やフィルムのなかでは、鮮やかな透視で見事に事件を解決したことになっているのに、どうして彼らを日本に連れてきて「超能力捜査」をさせるとダメダメな結果ばかりになるのか。
がそのままあてはまってしまっているといえる。
番組の中でジョーパワーは「事件現場から半径6.4キロ以内(註)に犯人の手がかりとなるものがある」と言った。
しかし、「霊とコンタクトを取る」と言っている霊能力者が何故このような広大なエリアを指定しなければならないのだ。いったいどんな霊と交信すればそのような「手がかり」を聞き出せるのだろう。このことだけでもジョーパワーなる人物の霊能力は疑ってかかって当然だろう。
しかも、ジョーパワーが言っているのは「真犯人の住居であるとか勤め先が半径6.4キロエリア内にある」ではない。あくまでも「事件の手がかりとなるものがある」なのだ
これではいくら透視をしたところでほとんどなんの意味も持たない。(註)
まして、そんな透視結果をもとにして真犯人の住居探しをするのは輪をかけて無意味な行動になる。番組スタッフはそのことには気がつかなかったのだろうか。
それとも、気がついていながらも、ああやって現場付近をくまなく探し回っていたということなのだろうか。
2009.06.17
註)多くの方がこの「半径6.4キロ」という部分に対していろいろと書いてきている。この半径6.4キロという「いかにも中途半端な距離」であるが、これはおそらくはマイルをキロメートルに換算した結果だと思われる。6.4キロとは4マイルのことだろうと思うのだ。(単純に1マイルに1.6キロという概数をあてはめただけの)大雑把な結果なのだろう。
註) 「半径6.4キロ以内」という広いエリアならば、こんな「透視」は当たっていて当たり前だろう。
☆☆☆☆☆
3
自分がこの番組で一番気になったところ、それは、この殺人事件の被害者の父親が当初は超能力捜査というものに対して懐疑的だったのだが、それを番組のスタッフが説得したと言っている個所である。(註)
つまりこういうことになる。
当初は番組のスタッフは(この家族に対しては)超能力捜査という番組のコンセプトを隠して接触をはかり、番組にすることを取り付けてから、あとになって超能力者を呼んで捜査をする番組の主旨というものを打ち明けて了承をとりつけたことになるわけだ。(少なくとも、画面上での流れを見るとそうとしかとれない)
こういったところが(感じられてしまうのが)自分が言う「テレビ局による心霊詐欺行為」なのだが。
実際のところどうだったのか、自分にはもう調べようがないことだが、こういうテレビによる「傲慢」の匂いというものが立ち昇るのが、テレビによる「超能力捜査番組」というものを自分が嫌うという説明にはなるかと思う。どうだろうか、ご理解はいただけただろうか。
ついでにこういうことをいうと投槍に聞こえてしまうかもしれないが、もっとよくないところがあるとすれば、この手の「超能力捜査の番組」一度足りともまともに事件解決までを放送したことがないことだ。
超能力捜査のテレビ番組、どれもこれも最初はまるで霊能力者を招いて、警察が手を拱いた難事件をたちどころに解決できるようなことを言っておきながらも、いまだかつて一度たりとも取り上げた事件を解決まで導いたことなどないというのが実情である。(註)
どうしたもんなんだろう。やるからには最後(事件解決)までちゃんと責任とって真犯人を探し出せよと言いたくなるこちら側の気持ち、それは視聴者の傲慢と片付けられてしまうようなものなのだろうかね。(おわり)
2009.06.19
註)うろ覚えだが、自分が昔見た「テレビのチカラ」だったかの番組中にも似たような、おなじようなシーンがあったので、もしかすると、こういう家族を説得するシーンの挿入というものは、この手の心霊番組・超能力捜査番組ではいわば「お約束」になっていることなのかもしれない。
註)FBI超能力捜査官シリーズにあった漫才コンビ麒麟の田村の父親探しのことは前に書いたとおりだ。また、日本テレビで取り上げた青森県弘前市での放火事件、あれはまったくの嘘=フィクションである。少なくとも、番組内で取り上げたナンシーマイヤーの似顔絵は捜査の役にもなんにも立っていないことは今では知られた話である。これは古い話になるが、35年前、NET(現テレビ朝日)でやった超能力捜査の番組でやった埼玉での女児行方不明事件も、その後の(雑誌などの)調査で、番組で招いたオランダ人の透視能力者クロワゼットの発言部分にまったく違う字幕(テロップ)をつけてごまかしていたり、編集の際に順番を入れ替えていたことなどが暴露されている。つまり、あの番組もまたやはりヤラセだったのだ。
☆☆☆☆☆
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2009年1月14日水曜日
テレビ朝日の傲慢さについて 「ブログは捏造されてもいいのか」
実は自分はこの番組を直に見ていた。知り合いから電話がかかってきて「今テレ朝でやっている番組、ちょっとヘンじゃないのか?」と言われてみていたのだ。いわれるまでもなくその「おかしさ」というものはすぐにわかった。それは番組で使われている「ブログ」についての説明がすっぱりと切られていて、まるで無断借用をしているかのような印象もあったし、そもそもこのような引用が無断で認められるというのであれば、それはテレビの番組が同じようにして無断で引用されても文句は言えなくなるということだから、テレビにとってはこのように無断借用はものすごくリスキーなことになる。
しかし果してテレビがそのようなことをするとは思えない。残る可能性は、そう、テレビがこの番組のためにブログをわざわざ作ったということだろう。
ならばそれはなんの問題にもなりはしないのである、普通に考えればだ。
しかし、それではこの番組のコンセプトがそもそも大きな嘘ということになる。実在しているブログやらHPに書かれている「嘘」を正すというのがこの番組の主旨だからだ。
しかしやその真相というのも呆れる。
というかその言い分自体がひどくあいまいで、それもまた信じるに足りうるものでは決してあるまい。
もしこの「依頼したが断わられた」というのが本当だったら、おそらくは、その断わったブログ主催者が名乗り出てきても不思議はないのに、未だそのような証言が出てこないというのも腑に落ちないことだからだ。
というか、そもそもこの番組は「ネットには嘘が多いので注意しましょう」というような、かなり底意地の悪さで作られている番組である。
しかし、この番組で取り上げられていたような「常識のウソ」を広めたのは実はネットではなくて、その何十年も前からメディアの帝王として君臨していたテレビ自身なのではなかったのだろうか。
だとすると、この番組で取り上げていた「ウソ」というものにはさらにもうひとつのウソというものが加わっただけ、ということもいえるのではないだろうか。
つまり、「テレビはウソをつかない」というウソである。
テレビはもうすでに死んだメディアなのかもしれない。
しかし果してテレビがそのようなことをするとは思えない。残る可能性は、そう、テレビがこの番組のためにブログをわざわざ作ったということだろう。
ならばそれはなんの問題にもなりはしないのである、普通に考えればだ。
しかし、それではこの番組のコンセプトがそもそも大きな嘘ということになる。実在しているブログやらHPに書かれている「嘘」を正すというのがこの番組の主旨だからだ。
しかしやその真相というのも呆れる。
というかその言い分自体がひどくあいまいで、それもまた信じるに足りうるものでは決してあるまい。
もしこの「依頼したが断わられた」というのが本当だったら、おそらくは、その断わったブログ主催者が名乗り出てきても不思議はないのに、未だそのような証言が出てこないというのも腑に落ちないことだからだ。
というか、そもそもこの番組は「ネットには嘘が多いので注意しましょう」というような、かなり底意地の悪さで作られている番組である。
しかし、この番組で取り上げられていたような「常識のウソ」を広めたのは実はネットではなくて、その何十年も前からメディアの帝王として君臨していたテレビ自身なのではなかったのだろうか。
だとすると、この番組で取り上げていた「ウソ」というものにはさらにもうひとつのウソというものが加わっただけ、ということもいえるのではないだろうか。
つまり、「テレビはウソをつかない」というウソである。
テレビはもうすでに死んだメディアなのかもしれない。
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