2006年11月4日土曜日
ジョン・レノン イマジン
トリノ・オリンピックの開幕式の時にも同じようなことを書いた。
オノ・ヨーコのやっていることが気に入らないというような内容である。
それに輪をかけてジョン・レノンの遺志を受け継ぐどころか泥を塗りたくるようなこととをしていて平気な連中がいる。
もう20年以上も前のことになる。自分がラジオ番組の構成作家をしていたころの話である。
番組の構成のミーティングの席上で、ほぼ同い年のディレクター兼プロデューサー(女)に「かまたさん ジョン・レノンのファンじゃないですか?今度の番組でコーナーでレノンの特集をやりましょうよ」とか言われて、いろいろ考えてから「イマジン」のアルバム全曲をただ流すだけといった構成を考えて提出した。
それが一番だと思ったからだ。
ところがすぐに内容に文句が出た。なんでもそういう場合には事前にオノ・ヨーコの承諾が必要になるというのだ。レコード会社からのではない。なんでもオノ・ヨーコの事務所というかエージェントオフィスが日本にあって、テレビはもちろん、ラジオでもなんでも「ジョン・レノンの番組」を作る場合は、事前に内容を企画書としてまとめて審査を受けなければならないという「きまり事」になっているというのだ。
原稿に文句が来たのだ。自分の書いた予定稿である。大したことではない。
このアルバムが製作されたころのジョンレノンを取り巻く状況みたいなものを箇条書きにしただけのものである。
ところがそれがよくなかったらしい。
プロとしては恥ずべきことなので黙っていればいいのだろうが、自分は何が良くないのかを第三者経由で確認しようとしてその返答を待ったのである。
しかし帰ってきたのはその質問に対する返答ではなく、「かわりにこれを読め」という差し替えの原稿であった。
それには、ジョンがいかに平和を愛していて、ああだったこうだったというような紋切り型のセリフばかりを並べ連ねてあった。
恥ずかしくてそんなものをリスナーに向けては送れない。何故かと言うとその中にはいくつもの「嘘」があったからだ。
「もうこうなると一種の神話づくりのお手伝いをさせられているみたいだねぇ」といったような文句をミキサーあたりのスタッフと言い合った記憶がある。
最近の新しいジョン・レノンのファンとジョン・レノンについて語るとものすごい温度差を感じることがある。
自分が知っていて、当時誰もが知っていたことを知らない新しいファンが異様に多いのだ。
それだけではない。同年代の当時のレノンのファンだった人間でさえ「そうだったっけ?」なんてことを言ったりする。
これに関しては、どこかで誰かが「情報のすり替え」を行なっているのではないかと疑ったりしている。
ショーン・レノンの出生のことだ。
単純にショーン・レノンをジョンの息子だと思っているひとが結構多いので驚かされるのである。
そんな簡単な話ではないのだ。これ以上はここでは書かないが。
さて、話は変わる。今年もジョン・レノンの名前の冠されたイベントが世界中で行なわれる。そのことに文句を言ってみてもしかたがない。興味のある人が参加するなりなんなりすればいい。
ただし、ファンだからといってそういうイベントに参加しなければならないという義務があるわけではない。
特にここ数年は「果たしてこれはジョン・レノンの意思に基づいているといえるのだろうか?」と首を傾げたくなるようなイベントや印刷物やら音楽ソフトが次から次に出ている。
「何故リバプールとかニューヨークでなくて埼玉にレノン博物館を?」
この質問に真面目に答えてくれる関係者はひとりもいない。
「イマジンの最初の部分はもともと私が最初に考えたもの」というオノ・ヨーコの発言はどれだけの数のレノン=ファンの心を傷つけたのか、彼女は考えたことなどあるまい。
だからといってレノンのファンがそのままオノ・ヨーコのファンになるわけではない。
逆だ。知りたくもない舞台裏を無理矢理覗かされて失望してレノンのファンであるところから離れていった人間の数のほうが多いはずだ。
あの詞はジョン・レノンのものだからこそ意味を持ち今なお光輝くのだ。多くの人に愛されているのだ。
自分は、オノ・ヨーコがこの詞を考えたというのは一種の嘘だと確信している。
でなければなんでオノ・ヨーコはイマジンという曲が演奏された直後に「天国にいるジョン」なんて呼びかけをするのかだ。
取りようによってはギャグともいえるが、そうでなければ切なくなるくらいの裏切り行為である。
ジョン・レノンに対する裏切りでありこの「イマジン」という曲に対する裏切り行為である。
最近もまたオノ・ヨーコはとんでもないことを言って世間の避難を浴びている。例の「私はかつて世界中の人たちからいじめられていた」発言である。
当人がどう感じたかは知らないが、あれはいじめたのではない。オノ・ヨーコの発言に対してクレームをつけただけだ。オノ・ヨーコがどう考えても事実とは異なった発言を繰り返していたからだ。
世界中のビートルズファンがそれに文句を言ったのだ。英語が不自由だったという言い訳はなしである。
あれと今のイジメの問題を一緒くたにして語る方がどうかしている。
でさて、自分はその問題の番組をスタッフとしては聞くことはなかった。それに関しては別のところでも書いたのでここでは省略する。
数年前、たまたまラジオをつけていたら昔の知り合いのDJがジョン・レノンの「イマジン」を流したあとに「いゃぁ~、ジョンの歌にあるメッセージはどれもこれもすばらしいですねぇ~・・・特にこういう曲はいつまでも大切にしたいですねぇ・・・」なんてことを言っていて、聞いていた自分は思わず笑ってしまった。
彼がいわゆる「波動信者」だということを知っていたからだ。
オフでは、真面目な顔をして「死後の世界」だとか「輪廻転生」だとか「高次元」だとかを語っているような人物だということを知っていたからである。
そういえば、オノ・ヨーコは最近あの「水からのメッセージ」という疑似科学本(出版元が『波動研究社』!)のことを褒めるような発言をしていた。
ジョン・レノンのメッセージを大切にしていると標榜している人間の破綻ぶりは、ジョンのもっとも身近にいた人間のそれと相似しているという見本である。
そもそも、「イマジン」という曲の「言葉性」は、「ゴッド」という曲のメッセージをさらに押し広げたものだ。「ゴッド」という曲なしには「イマジン」という曲は語れない。それだけ密接な関係にある。
神とは、痛み・悲しみを計るための概念でしかない
という「ゴッド」の出だしの一節を「波動の人たち」に向かって聞かせてやりたい。どう思っているのかを問い詰めたい。そんな気分である。
もちろんオノ・ヨーコに対しても。
(2006.11.04.15:05)
(追加して改題2005.10.13)
(初出2002.03.03『a day in the life 想像せよとジョンは言った』)
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